極刀の力
龍の声は、森の静寂に低く響いた。傷ついた体を起こしながらも、その言葉には確かな重みがあった。ジークは極刀の柄に手を置いたまま、一言も漏らすまいと龍の話に耳を傾けた。
「黒龍の名は――ヴォルガノス。我ら龍族の中でも、最も古く、最も強大な存在だ」
氷龍の黄金色の瞳が、遠くを見つめる。まるで、遥か昔の記憶を辿るように。
「ヴォルガノスは千年以上前から存在している。かつては龍族の長として、この世界の均衡を保っていた。しかし――五百年ほど前、何かが変わった」
「何が変わった」
「分からぬ。だが、ヴォルガノスは突如として人間を憎むようになった。理由も告げず、ただ破壊を繰り返すようになったのだ」
氷龍の声が、重く沈む。龍にとっても、この話は辛いものなのだろう。
「我ら龍族は、ヴォルガノスを止めようとした。だが――奴の力は圧倒的だった。挑んだ龍は、ことごとく倒された。やがて、誰も奴に逆らう者はいなくなった」
「それで、放置していたのか」
ジークの声に、非難の色が滲む。氷龍は静かに首を振った。
「いいや。我らは人間の国々に警告を発し続けた。しかし――人間たちは龍の言葉を信じなかった。そして、多くの村が、街が、ヴォルガノスによって滅ぼされた」
ジークの拳が、音を立てて握られた。自分の村も、その一つだったのだ。
「ヴォルガノスの居場所は、誰も知らない。奴は気まぐれに現れ、破壊を撒き散らし、そして姿を消す。予測不可能だ」
「――ならば、どうやって見つける」
「それが、先ほど話した魔導師に繋がる」
氷龍の目が、鋭くなった。
「あの黒衣の魔導師――名をザルゴンという。奴は龍を研究している狂人だ。龍の力を手に入れ、この世界を支配しようと目論んでいる」
「そんな男が、なぜ黒龍の居場所を」
「ザルゴンは、ヴォルガノスを利用しようとしているからだ。奴はヴォルガノスが破壊した村や街を訪れ、龍の痕跡を調べている。そして――ヴォルガノスの行動パターンを分析し、次に現れる場所を予測しようとしている」
ジークの心臓が、高鳴った。つまり――。
「そのザルゴンを見つければ、黒龍に辿り着ける可能性がある」
「その通りだ。だが、ザルゴンは強力な魔導師だ。我ですら、奴の呪術にかかった。お前一人では――」
「関係ない」
ジークは冷たく言い放った。
「俺には極刀がある。どんな魔導師だろうと、この刀の前では無力だ」
その言葉に、氷龍は何も言い返せなかった。極刀――世界に五本しか存在しない、伝説の刀。その力は、龍すらも凌駕すると言われている。
「……ザルゴンの居場所は分かるか」
「ああ。奴は西の山脈に、隠れ家を持っている。廃墟となった古城を拠点にしているはずだ」
氷龍は、西の方角を見つめた。
「そこから三日ほど歩いた場所に、ガルヴァ山脈がある。その最も高い峰――ガルヴァノス山の中腹に、古城の遺跡がある。そこだ」
「分かった」
ジークは踵を返そうとした。しかし、氷龍が声をかけた。
「――待て、人間」
「何だ」
「名を聞いておきたい。我を救った者の名を」
ジークは少しだけ躊躇した後、答えた。
「ジークだ」
「ジーク、か。我の名は――セラフィナ。氷を司る龍だ」
「……覚えておく」
「ジーク。もう一つ、忠告しておく」
セラフィナの声が、真剣さを増した。
「ヴォルガノスは、お前の想像を遥かに超える存在だ。極刀を持っていても――油断すれば、命はない」
「忠告は聞いた。だが、俺の決意は変わらない」
ジークは背を向けたまま、言葉を続けた。
「あの日、俺は誓った。大切な人を殺した龍を、必ず殺すと。それが――俺の生きる理由だ」
その言葉を最後に、ジークは森の中へと消えていった。セラフィナは、その背中をただ黙って見送った。
やがて、氷龍は静かに呟いた。
「……哀れな人間よ。復讐の先に、何があるというのだ」
しかし、その問いに答える者は、もういなかった。
※
ジークは森を抜け、再び平原へと戻っていた。既に昼を過ぎており、太陽は西へと傾き始めている。彼は立ち止まることなく、西へ向かって歩き続けた。
「ジーク、本当にあの龍の言葉を信じるのか」
ヨルの声が、影の中から聞こえた。
「他に手がかりがない」
「確かにな。だが、魔導師ザルゴン――相当な実力者のようだが」
「問題ない。極刀があれば、どんな魔法も意味をなさない」
ジークの声に、迷いはなかった。極刀――それは単なる刀ではない。古代龍の魔力を封じ込めた、究極の武器。その切れ味は、あらゆる物質を両断し、その魔力は、いかなる魔法をも打ち消す。
かつて、ジークはこの極刀で数多くの強敵を倒してきた。上級魔物、魔導師、そして――龍族にも匹敵する力を持つ魔獣たちを。
極刀の前では、全てが無力だった。
「それに――」
ジークは腰の極刀に手を置いた。
「この刀は、俺の復讐を果たすための唯一の武器だ。これがなければ、黒龍を殺すことはできない」
「……そうか」
ヨルは、それ以上何も言わなかった。彼女は知っている。ジークの心が、復讐に支配されていることを。そして、それを止めることは誰にもできないことを。
平原を歩くこと数時間。ジークは小さな村に辿り着いた。木造の家屋が十数軒ほど立ち並ぶ、質素な村だ。畑では農民たちが働いており、子供たちが路地で遊んでいる。
平和な光景だった。
しかし、ジークの目には、その平和が脆く、儚いものに見えた。いつ龍が現れて、この村を焼き尽くすか分からない。あの日の自分の村のように。
「……宿を取る。明日の朝、早く出発する」
ジークは村の中心にある宿屋へと向かった。小さな二階建ての建物で、看板には「旅人の宿」と書かれている。
扉を開けると、中年の女将が笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃい!お泊まりですか?」
「ああ。一晩頼む」
「はいはい、銀貨二枚になります」
ジークは銀貨を支払い、二階の部屋へと案内された。狭いが清潔な部屋だった。窓からは、村の通りが見える。
ジークは荷物を置くと、窓辺に立った。夕日が村を橙色に染めている。炊事の煙が、あちこちの家から立ち上っていた。
「――平和だな」
「ああ。しかし、いつまで続くか分からない平和だ」
ヨルの言葉に、ジークは無言で頷いた。
その時、階下から騒がしい声が聞こえてきた。ジークは眉を顰め、階段を降りた。
宿屋の一階は、食堂も兼ねている。そこに、五人ほどの男たちが集まっていた。皆、険しい顔をしている。村人たちのようだった。
「また魔物が出たのか!」
「ああ、今度は村の東側だ。羊が三頭やられた」
「くそっ、このままじゃ冬を越せないぞ!」
男たちの話を聞いて、ジークは女将に尋ねた。
「魔物が出るのか、この村に」
「ええ……最近、頻繁に魔物が現れるんです。狼や、時には大きな熊のような魔物も」
女将は心配そうな顔で答えた。
「冒険者ギルドに依頼も出してるんですが、こんな辺境の村まで来てくれる冒険者は少なくて……」
「そうか」
ジークは、それだけ言って自室に戻ろうとした。自分には関係のない話だ。魔物退治など、時間の無駄だ。
しかし――。
「あの、お客さん!」
女将が、ジークを呼び止めた。
「もしかして、冒険者の方じゃないですか?その腰の刀――ただの旅人じゃないですよね」
「……まあな」
「だったら、お願いです!村を助けてください!報酬は――少ないですが、できる限りのことはします!」
女将が頭を下げた。それを見ていた男たちも、次々と頭を下げる。
「頼む!このままじゃ、村が滅びちまう!」
「俺たちじゃ、魔物に太刀打ちできないんだ!」
必死の懇願。しかし、ジークの表情は変わらなかった。
「――断る」
「そ、そんな!」
「俺には、やるべきことがある。魔物退治に構っている暇はない」
ジークは冷たく言い放つと、階段を上り始めた。
「お願いします!」
女将の声が、背中に刺さる。しかし、ジークは立ち止まらなかった。
部屋に戻り、ベッドに横たわる。窓の外では、既に日が沈み、闇が訪れ始めていた。
「……ジーク」
「何だ」
「本当に、いいのか」
ヨルの声が、静かに響く。
「何がだ」
「あの村人たちを、見捨てて」
「俺の目的は、黒龍を殺すことだ。それ以外のことに、関わるつもりはない」
ジークの声は、冷たかった。しかし――その声には、わずかな迷いが滲んでいた。
「……そうか」
ヨルは、それ以上何も言わなかった。
夜が更けていく。ジークは眠ろうとしたが、なかなか眠れなかった。頭の中で、女将の懇願する声が、何度も繰り返される。
――関係ない。
そう自分に言い聞かせる。しかし――。
ふと、あの日の記憶が蘇った。
炎に包まれる村。逃げ惑う人々。そして――。
「……助けて……」
大切な人の、最期の言葉。
その声が、耳から離れない。
――くそっ。
ジークは起き上がった。もう眠れそうにない。彼は窓を開け、夜風に当たった。
満月が、村を照らしている。静かな夜だ。しかし――その静寂は、突如として破られた。
「ぎゃああああっ!」
悲鳴が、村の東側から聞こえた。魔物の咆哮が、夜空に響く。
「魔物だ!魔物が出たぞ!」
「誰か、助けてくれ!」
村中が、騒然となった。人々が家から飛び出し、武器を手に魔物に立ち向かおうとしている。
ジークは窓から外を見た。村の東側――そこに、巨大な影が見えた。体長五メートルはあろうかという、熊のような魔物だ。しかし、その背中には鋭い棘が生えており、口からは毒々しい緑色の液体が滴っている。
グレイブベア――上級魔物に分類される、危険な獣だ。
村人たちが、槍や斧を持って立ち向かっていく。しかし、魔物の一撃で簡単に吹き飛ばされる。人間と魔物では、力の差が歴然としていた。
「くそっ、こいつ、強すぎる!」
「逃げろ!全員逃げろ!」
パニックになる村人たち。しかし、魔物は容赦なく襲いかかる。その爪が、一人の男を捉えようとした――。
その瞬間。
キィン!
金属音が響いた。
魔物の爪が、何かに弾かれた。男の前に、一人の人影が立っていた。
黒いジャケット、黒いズボン。腰には、一振りの刀。
「――ジーク!」
女将が、驚きの声を上げた。
ジークは無表情のまま、魔物を見据えた。グレイブベアが、侵入者に気づき、低く唸る。
「……面倒だな」
ジークは小さく呟くと、極刀の柄に手をかけた。
その瞬間――空気が変わった。
圧倒的な殺気が、辺りを支配する。魔物が、本能的に危険を察知し、後退りした。
「逃げるなら、今だぞ」
ジークの声は、静かだった。しかし、そこには揺るぎない意志が込められていた。
グレイブベアは、しかし逃げなかった。魔物の本能が、目の前の獲物を逃すなと叫んでいる。魔物は咆哮を上げると、ジークに向かって突進してきた。
巨体が、地を揺らす。その速度は、常人なら避けられないほど速い。
しかし――。
「――遅い」
ジークの手が動いた。
抜刀。
極刀が、鞘から抜き放たれる。刀身が月光を反射し、銀色に輝いた。そこに刻まれた古代龍の紋章が、青白い光を放つ。
極刀が、空間を斬った。
いや――斬ったという表現すら、生ぬるい。
極刀は、存在そのものを断ち切った。
魔物の巨体が、真っ二つに割れた。断面は完璧なまでに滑らかで、まるで初めから二つだったかのように見える。魔物は、自分が斬られたことすら理解できないまま、地面に崩れ落ちた。
血が、地面を赤く染める。
その光景を見ていた村人たちは、誰も声を出せなかった。ただ呆然と、立ち尽くすしかなかった。
一撃だった。
たった一撃で、あれほど強力だった魔物を――倒した。
「……これが、極刀……」
誰かが、震える声で呟いた。
ジークは極刀を一振りすると、鞘に収めた。魔物の体から、赤く輝く魔石が転がり落ちる。
「これで、しばらくは魔物も近寄らないだろう」
ジークは振り返り、女将に言った。
「明日の朝、早く出る。起こさなくていい」
「あ、ありがとうございます……!本当に、ありがとうございます!」
女将が涙を流しながら、何度も頭を下げた。他の村人たちも、次々と礼を言ってくる。
しかし、ジークは何も言わず、宿屋へと戻っていった。
部屋に戻り、再びベッドに横たわる。
「……なぜ助けた、ジーク」
ヨルの声が、問いかける。
「気まぐれだ」
「二回目だな、その答え」
「……うるさい」
ジークは目を閉じた。しかし――その表情は、少しだけ柔らかくなっていた。
あの日、自分の村を助けられなかった。大切な人を、守れなかった。
せめて――他の誰かは、守れるかもしれない。
そんな思いが、ジークの心の奥底に、確かにあった。
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