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黒龍に全てを滅ぼされた少年

 夜明け前、ジークは宿を発った。街はまだ眠りの中にあり、通りには人影もまばらだった。冷たい朝の空気が肌を刺す。ジークは黒いジャケットの襟を立て、王国の東門へと向かった。


 門番は眠そうな顔で立っていたが、ジークの姿を見ると慌てて姿勢を正した。昨日の一件で、ジークの噂は既に広まっているらしい。極刀の使い手――それだけで、この街では一目置かれる存在になっていた。


「お、お早いですね、冒険者殿」


「東の森へ向かう。開けてくれ」


「は、はい!ですが、エルドラの森は危険です。魔物が――」


「知ってる」


 ジークの冷たい視線に、門番は言葉を飲み込んだ。そそくさと門を開け、ジークを通す。門をくぐり抜けると、眼前には広大な平原が広がっていた。朝靄に包まれた大地の向こうに、深い緑の森が見える。


 エルドラの森だ。


「ジーク、本当にあの老人の情報を信じるのか?」


 ヨルの声が、影の中から響く。


「信じるも何も、他に手がかりがない」


「確かにな。だが、三日前の現象が龍によるものだという確証はない」


「だとしても、行く価値はある」


 ジークは淡々と答えながら、平原を歩き始めた。朝日が地平線から昇り、辺りを黄金色に染めていく。草原には露が降り、それが陽光を反射して煌めいている。美しい光景だった。しかしジークの心には、その美しさを感じる余裕はなかった。


 彼の心を占めているのは、ただ一つ。


 龍への復讐。


 それだけだった。


 平原を抜けるまでに、二時間ほどかかった。その間、ジークは一度も休むことなく歩き続けた。ヨルは時折話しかけてきたが、ジークの返答は素っ気ないものばかりだった。


 やがて、森の入口が見えてきた。巨大な木々が立ち並び、その奥は深い闇に包まれている。枝葉が太陽の光を遮り、まるで別世界への入口のようだった。


「――エルドラの森、か」


 ジークは立ち止まり、森を見上げた。静寂が支配する空間。しかしその静けさは、決して平穏なものではない。むしろ、何かが潜んでいることを示唆するような、不気味な静寂だった。


「魔物の気配がするな」


「ああ。それも、かなりの数だ」


 ジークは極刀の柄に手をかけた。そして一歩、また一歩と、森の中へと足を踏み入れていく。


 森の中は予想通り、薄暗かった。木々の間から差し込むわずかな光が、地面に斑模様を作っている。足元には落ち葉が積もり、一歩踏み出すたびにカサカサと音を立てた。


 ジークは周囲を警戒しながら、慎重に進んでいった。魔物の気配は確かにある。だが、まだ姿を現す様子はない。恐らく、様子を窺っているのだろう。


 しばらく歩くと、前方に倒木が見えた。直径三メートルはあろうかという巨木が、根元から折れて横たわっている。その幹には、巨大な爪痕が刻まれていた。


「――この爪痕……」


 ジークは倒木に近づき、爪痕を指でなぞった。深さは十センチ以上ある。しかも、この傷の付き方は――。


「龍のものではないな」


「ああ。恐らく、森に棲む上位魔物のものだろう」


 ヨルの分析に、ジークは頷いた。龍の爪痕なら、もっと鋭く、そして深い。これは別の何かだ。


 その時だった。


 グルルルル……


 低い唸り声が、周囲から聞こえてきた。ジークは素早く極刀に手をかけ、周囲を見渡す。木々の影から、複数の赤い眼が浮かび上がった。


「――フェンリルウルフ、か」


 姿を現したのは、体長二メートルを超える巨大な狼だった。漆黒の毛並み、鋭い牙、そして知性を感じさせる赤い瞳。上位魔物に分類される、危険な獣だ。


 しかも、一匹ではない。ジークの周りを、五匹のフェンリルウルフが取り囲んでいた。彼らは低い姿勢で、今にも飛びかかろうとしている。


「ジーク、囲まれたぞ」


「見ての通りだ」


 ジークは冷静に、それぞれの狼の位置を確認した。前方に二匹、左右に一匹ずつ、そして背後に一匹。逃げ道は完全に塞がれている。


 しかし――。


「――逃げる必要はない」


 ジークは極刀を抜き放った。刀身が陽光を反射し、鈍く光る。その瞬間、フェンリルウルフたちの動きが止まった。本能が、危険を察知したのだ。


 だが、群れのリーダーと思われる最も大きな狼が、咆哮を上げた。


「ガアアアアッ!」


 その合図とともに、五匹の狼が一斉に飛びかかってくる。鋭い牙が、ジークの喉元を狙う。常人なら避けられない、完璧な連携攻撃だ。


 しかし――。


「――遅い」


 ジークの姿が消えた。いや、消えたのではない。あまりにも速い動きで、残像すら残さずに移動したのだ。次の瞬間、ジークは五匹の狼の背後に立っていた。


 そして――。


 ドサリ、ドサリ、ドサリ、ドサリ、ドサリ。


 五匹の狼が、ほぼ同時に地面に崩れ落ちた。それぞれの首筋には、一筋の赤い線が走っている。致命傷だ。狼たちは、自分が斬られたことすら理解できないまま、息絶えた。


「――相変わらず、容赦がないな」


「魔物相手に容赦する理由がない」


 ジークは極刀を一振りすると、鞘に収めた。狼たちの体から、赤く光る魔石が転がり落ちる。ジークはそれを拾い上げ、巾着袋に入れた。


「さて、先を急ぐか」


 ジークは何事もなかったかのように、再び歩き始めた。しかし――。


「待て、ジーク」


「――何だ」


「この先、強力な魔力を感じる」


 ヨルの言葉に、ジークは足を止めた。確かに、森の奥から異様な魔力が漂ってくる。それは今まで感じたことのないほど、強大なものだった。


「これは――」


「恐らく、老人が言っていた現象の痕跡だろう」


 ジークの目が、鋭く光った。龍の可能性がある。そう判断した彼は、慎重に、しかし迅速に魔力の発生源へと向かった。


 森を進むこと三十分。ジークは、ある開けた場所に辿り着いた。そこは森の中にぽっかりと空いた、直径百メートルほどの空間だった。


 しかし、その光景は異常だった。


 地面は焼け焦げ、木々は炭化している。まるで、巨大な炎が全てを焼き尽くしたかのようだった。空気には焦げた臭いが漂い、ところどころから煙が立ち上っている。


「――これは……」


 ジークは焼け跡の中心へと歩いていった。そこには、巨大なクレーターが形成されていた。直径十メートル、深さ五メートルほどの穴だ。


 クレーターの底には、何かが刺さっていた。


 それは――槍だった。


 いや、正確には槍の形をした、巨大な氷の結晶だった。長さは三メートルほどあり、全体が青白く光っている。氷からは冷気が立ち昇り、周囲の空気を凍らせていた。


「これは……氷の魔法、か?」


「いや、違う。これは――龍の吐息だ」


 ヨルの言葉に、ジークの心臓が高鳴った。


「龍の吐息だと?」


「ああ。この氷の純度、魔力の残滓――間違いない。これは氷龍の吐息によって生成されたものだ」


 ジークはクレーターに降り、氷の槍に近づいた。確かに、これほどの氷を生成できるのは、龍クラスの存在しかいない。


「ここで、龍が戦ったのか」


「恐らくな。そして、この焼け跡は――」


「相手の攻撃、か」


 ジークは周囲を見渡した。焼け跡の痕跡から判断すると、龍と何者かが激しく戦ったのは明らかだった。しかし、どちらが勝ったのかは分からない。


「痕跡を辿れば、龍の行方が分かるかもしれん」


「ああ」


 ジークは焼け跡の端に移動し、足跡を探した。すると、巨大な足跡が点々と続いているのが見つかった。爪は四本、一歩の幅は三メートル以上。間違いなく、龍のものだ。


「――こっちだ」


 ジークは足跡を追って、森の奥へと進んでいった。足跡は明瞭で、辿るのは容易だった。しかし、進めば進むほど、周囲の木々が傾き、折れているのが目立つようになった。


 龍は、何かから逃げていたのか――それとも、追いかけていたのか。


 その答えは、すぐに明らかになった。


 足跡を追って十分ほど進むと、前方に巨大な影が見えた。ジークは木陰に身を隠し、様子を窺う。


 そこにいたのは――龍だった。


 全長二十メートルはあろうかという、巨大な白銀の龍。四本の脚、長い尾、そして翼。その姿は、まさに伝説に語られる龍そのものだった。


 しかし、龍は倒れていた。


 翼は破れ、体には無数の傷が刻まれている。荒い息をしており、明らかに瀕死の状態だった。


「――これは……」


 ジークの手が、極刀の柄を握る。目の前にいるのは、龍だ。自分が探し求めていた、憎むべき存在だ。


 今なら、殺せる。


 瀕死の龍を、一刀両断にできる。


 しかし――。


「ジーク、待て」


 ヨルの声が、ジークを制止した。


「何だ」


「あの龍を見ろ。何かがおかしい」


 ジークは龍をよく観察した。すると、龍の首元に何かが巻き付いているのが見えた。それは、黒い鎖のようなものだった。


 いや――鎖ではない。


「呪いの紋章、か」


「ああ。あの龍は、何者かによって呪いをかけられている」


 黒い紋章が、龍の体を蝕んでいる。それが、龍を弱らせている原因のようだった。


 その時――。


「――人間、か」


 低く、しかし威厳のある声が響いた。龍が、こちらを見ている。黄金色の瞳が、ジークを捉えていた。


「……お前、喋れるのか」


「当然だ。我ら龍族は、人間の言葉も理解できる」


 龍は苦しそうに息をしながらも、ジークを睨みつけた。


「――我を殺しに来たのか、人間」


「ああ」


 ジークは迷わず答えた。極刀を抜き、龍に向ける。


「だが、その前に聞きたいことがある」


「……何だ」


「お前は、十年前――人間の村を襲ったか」


 ジークの声が、憎悪に震えている。龍は、その問いにしばらく沈黙した後、ゆっくりと答えた。


「――いいや。我は人間を襲ったことなど、一度もない」


「嘘を言うな!」


 ジークは怒りを露わにした。


「十年前、俺の故郷が龍に襲われた!村は焼き尽くされ、多くの人が死んだ!俺の――」


 ジークの言葉が、途切れた。彼の脳裏に、あの日の光景が蘇る。


 炎に包まれる村。逃げ惑う人々。そして――大切な人の、最期の笑顔。


「……俺の大切な人も、龍に殺された」


 ジークの声が、静かに響いた。その声には、深い悲しみと怒りが込められていた。

 

 龍は、ジークを見つめた。その瞳には、同情のような色が浮かんでいた。


「――それは、気の毒に思う。だが、それは我ではない」


「証拠は?」


「我は氷龍だ。お前の村を焼いたのなら、それは炎を操る龍の仕業だろう」


 確かに、目の前の龍は氷を操る。村を焼いた龍とは、種類が違うのかもしれない。


 しかし――。


「龍は龍だ。種類など関係ない」


 ジークは極刀を構えた。龍を殺す――その決意は、揺らがない。


「――待て、人間」


 龍が、苦しそうに声を絞り出した。


「お前の村を襲ったのは、黒龍ではないか?」


「……なぜそれを」


 ジークの動きが止まった。確かに、村を襲ったのは漆黒の鱗を持つ龍だった。炎ではなく、闇を操る恐るべき存在――黒龍。


「黒龍は――我ら龍族の中でも、最も危険な存在だ。奴は人間を憎み、幾つもの村を滅ぼしてきた」


「……知っているのか、その黒龍の居場所を」


 ジークの声が、低く沈んだ。


「いいや。黒龍は気まぐれに現れ、破壊を撒き散らす。その行方を知る者は、龍族の中にもいない」


「――そうか」


 ジークは、再び極刀を構えた。


「ならば、お前を殺しても意味はないが――龍は龍だ」


「そうか――ならば、仕方ない」


 龍は立ち上がろうとした。しかし、呪いの紋章が光り、龍の体が苦痛に歪む。


「ぐ……っ!」


「その呪い、何者にかけられた」


「……魔導師だ。黒衣を纏った、人間の魔導師に」


 龍は苦しそうに答えた。


「奴は我を捕らえ、この呪いをかけた。そして――我の力を奪おうとしている」


「力を奪う?」


「ああ。龍の魔力を吸収し、自らのものにする禁術だ。あと数時間もすれば――我は、完全に力を失い、死ぬだろう」


 龍の声が、弱々しくなっていく。ジークは、その様子を黙って見ていた。


「だが――その魔導師は、黒龍のことを知っているかもしれん」


「……何?」


 ジークの目が、鋭く光った。


「奴は龍を研究している。我だけでなく、他の龍の情報も集めていると言っていた。黒龍の居場所も――知っている可能性がある」


 その言葉に、ジークの心が揺れた。


 ――どうする。


 今なら、龍を殺せる。復讐を果たせる。


 だが――この龍を生かしておけば、黒龍の手がかりが得られるかもしれない。


「ジーク、判断しろ」


 ヨルの声が聞こえた。


「この龍を殺すのか――それとも」


 ジークは、極刀を握る手に力を込めた。刀身が、微かに震えている。


 十年間、ずっと探し続けてきた黒龍。


 真の復讐の対象。


 憎むべき存在。


 しかし――そこに辿り着くためには、この氷龍を生かしておく必要がある。


「――チッ」


 ジークは舌打ちをすると、極刀を鞘に収めた。


「……殺さないのか」


 龍が、驚いたような声を出した。


「気が変わった。お前を殺しても、俺の真の復讐は果たせない。お前が言った魔導師――そいつが黒龍の居場所を知っているなら、そいつを探す」


「……そうか」


 龍は小さく息をついた。


「ならば――頼みがある」


「何だ」


「この呪いを、解いてくれ。我は――まだ、死ぬわけにはいかない。そして、礼として――黒龍に関する情報を、全て教えよう」


 龍の瞳が、ジークを真っ直ぐに見つめた。その目には、強い意志が宿っていた。


 ジークは、しばらく考えた後――。


「――分かった。だが、条件がある」


「聞こう」


「呪いを解いた後、お前は黒龍について知っている全てを話せ。そして、その魔導師の居場所も教えろ」


「承知した。龍は約束を違えぬ」


 龍の言葉に、ジークは頷いた。


「ヨル、呪いは解けるか」


「見てみよう」


 ヨルが影から姿を現した。銀色の長い髪、紫水晶のような瞳を持つ美しい精霊の女が、龍の前に立つ。


「――精霊、か」


「ああ。私はヨル。ジークと契約している精霊だ」


 ヨルは龍の首元に巻き付いた黒い紋章を調べた。眉を顰め、小さく呟く。


「……厄介だな。これは相当高度な呪術だ」


「解けないのか」


「いや、解けないことはない。だが、時間がかかる。それに――」


 ヨルはジークを見た。


「呪いを解くには、強力な魔力が必要だ。ジーク、お前の極刀を貸せ」


「極刀を?」


「ああ。極刀に込められた魔力を使えば、この呪いを強制的に断ち切れる」


 ジークは極刀を抜き、ヨルに手渡した。ヨルは刀身を掲げ、呪文を唱え始める。


「古き契約に従い、闇を断つ光となれ――」


 極刀が、青白い光を放ち始めた。その光が、龍の首元の黒い紋章を包み込む。紋章が激しく明滅し、抵抗するように蠢いた。


「ぐ……っ!」


 龍が苦痛の声を上げる。しかし、ヨルは呪文を唱え続けた。


「――断ち切れ!」


 ヨルの叫びとともに、極刀の光が一気に強まった。そして――。


 バキィン!


 乾いた音とともに、黒い紋章が砕け散った。破片が光の粒子となって消えていく。


「はぁ……はぁ……」


 龍が荒い息をついた。しかし、その目には生気が戻っていた。


「――助かった。礼を言う、人間、そして精霊よ」


「礼はいい。約束を守れ」


 ジークは極刀を受け取り、鞘に収めた。


「ああ。約束しよう」


 龍はゆっくりと立ち上がった。傷は残っているが、既に回復が始まっているようだった。


「まず、黒龍について話そう――」


 龍が語り始めた内容に、ジークは食い入るように聞き入った。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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