情報収集
翌朝、ジークは宿屋の窓から差し込む朝日で目を覚ました。安宿特有の軋む床板、薄い毛布、そして隣の部屋から聞こえる誰かの鼾。決して快適とは言えない環境だが、ジークにとっては慣れ親しんだものだった。
身支度を整え、腰に極刀を差す。鞘に収まった刀身は静かに、しかし確かな存在感を放っている。ジークは窓の外に広がる王国の街並みを見渡した。石造りの建物が立ち並び、既に行商人たちが荷車を引いて往来を行き交っている。平和な光景だ。しかしジークの心には、いつもと変わらぬ虚無感が漂っていた。
「今日はどうする気だ、ジーク」
影の中からヨルの声が響く。彼女は姿を現さず、精霊体のまま問いかけてきた。
「決まってる。情報を集める。龍の行方を知る者がいるかもしれない」
「龍谷で空振りだったというのに、まだ諦めていないのか」
「当たり前だ」
ジークは短く答えると、宿屋を後にした。
王国の中心街は朝から活気に満ちていた。魔法具を売る店、武器屋、薬草店、占い師の露店。様々な商人たちが客を呼び込む声が、通りに響き渡っている。ジークはその喧騒の中を、目的もなく歩いていた。
と、その時だった。
「きゃあっ!」
甲高い悲鳴が聞こえた。ジークが視線を向けると、路地裏から一人の少女が飛び出してきた。年の頃は十五、六歳だろうか。茶色の髪を二つに結び、質素な服を着た少女は、必死の形相で走っている。
その後を、三人の男たちが追いかけていた。
「待ちやがれ、この泥棒が!」
「大人しく盗んだもんを返せ!」
男たちの怒鳴り声に、周囲の人々が道を開ける。少女は懸命に逃げようとしていたが、明らかに体力の限界が近づいていた。息が上がり、足取りが乱れている。
ジークは一瞬、この状況を静観しようと考えた。自分には関係のない諍いだ。わざわざ首を突っ込む理由もない。
しかし――。
少女が転んだ。石畳に膝を打ち付け、痛みに顔を歪めている。その手には、小さなパンが一つ握られていた。男たちが少女に追いつき、その周りを囲む。
「やっと捕まえたぞ、この野郎」
「パン一つ盗みやがって。いい度胸じゃねぇか」
男の一人が、拳を振り上げた。
――面倒だな。
ジークは小さく溜息をつくと、男と少女の間に割って入った。振り下ろされた拳を、片手で軽々と受け止める。
「――なっ!?」
男が驚愕の表情を浮かべた。ジークの握力に、拳が完全に封じられている。
「悪いが、これ以上は見過ごせない」
「て、てめぇ!何者だ!」
「通りすがりの冒険者だ」
ジークは男の腕を離すと、三人を睨みつけた。その眼に宿る冷たい光に、男たちは思わず一歩後退する。
「お、おい。こいつ、なんか……ヤバくねぇか?」
「あ、ああ……」
男たちは顔を見合わせると、捨て台詞も吐かずに逃げ出した。その様子を見たジークは、呆れたような顔で少女に視線を向ける。
「――大丈夫か」
「あ、あの……ありがとうございます」
少女は怯えた表情で、ジークを見上げた。その手には、まだパンが握られている。ジークはそのパンを見て、小さく息をついた。
「腹が減っていたのか?」
「……はい」
少女は俯いて答えた。その声は震えている。ジークは懐から銀貨を一枚取り出すと、少女の手に握らせた。
「これで何か食べろ。次からは盗むな」
「え……でも……」
「いいから受け取れ。それと――」
ジークは少女の頭に手を置いた。
「生きるために盗むのは仕方ない。だが、それで捕まれば命を落とすこともある。もっと賢く生きろ」
少女は目を丸くして、ジークを見つめた。やがて彼女は、涙を浮かべながら何度も頷く。
「あ、ありがとうございます……!本当に、ありがとうございます!」
少女は深々と頭を下げると、銀貨を握りしめて走り去っていった。その背中を見送りながら、ジークは小さく呟いた。
「――余計なことをした」
「珍しいな、ジーク。お前がああいう行動を取るとは」
ヨルの声が、どこか楽しげに響く。
「別に。気まぐれだ」
「ふむ。ならば、あの少女が戻ってくるのも気まぐれか?」
「――何?」
ジークが振り返ると、先ほどの少女が息を切らしながら戻ってきていた。その手には、焼きたてのパンが二つ握られている。
「あ、あの……!」
少女はジークの前で立ち止まると、パンの一つを差し出した。
「お礼です!さっきの銀貨で買いました!」
「……いらない」
「そ、そんな!せめて、これくらいは……!」
少女は必死の形相でパンを押し付けてくる。ジークは困ったような顔をしたが、結局それを受け取った。
「……ありがとう」
「いえ!本当に、ありがとうございました!」
少女は満面の笑みを浮かべると、今度こそ走り去っていった。ジークは手の中のパンを見つめ、小さく溜息をつく。
「――余計なことをした」
「二回目だな、その台詞」
ヨルの声が、明らかに笑っていた。ジークは無視してパンを齧ると、再び街を歩き始めた。
それから数時間、ジークは街中の情報屋や酒場を回った。しかし龍に関する有力な情報は得られなかった。どの情報屋も「龍なんて伝説の生き物だ」「本当にいるのか怪しい」と首を傾げるばかりだ。
日が傾き始めた頃、ジークは王国の外れにある古びた酒場に辿り着いた。看板には「竜の髭亭」と書かれている。皮肉な名前だ、とジークは思った。
扉を開けると、薄暗い店内に数人の客がいた。カウンターには、白髭を蓄えた老人が立っている。店主らしい。
「いらっしゃい。何を飲む?」
「――情報が欲しい」
ジークは単刀直入に切り出した。老人は片眉を上げる。
「情報屋じゃないんだがね」
「分かってる。だが、お前なら知っているかもしれない」
ジークは極刀の柄に手をかけた。老人の目が、一瞬鋭く光る。
「……極刀、か。なるほど、ただの冒険者じゃないってわけだ」
「龍を探している。行方を知らないか」
その言葉に、店内の空気が一変した。他の客たちが、ジークを注視する。老人は腕を組み、しばらく黙考した後、ゆっくりと口を開いた。
「……龍、ね。何のために探してるんだ?」
「それは言えない」
「そうか」
老人は溜息をつくと、カウンターの下から一枚の地図を取り出した。古ぼけた羊皮紙に描かれた地図には、この王国の周辺地域が記されている。
「三日前、東の森で奇妙な現象が起きた。空が紫色に染まり、雷が鳴り響いたそうだ」
「――それが龍と何の関係がある」
「分からん。だが、目撃者の話によれば、その雷の中に巨大な影が見えたらしい」
老人は地図の一点を指差した。
「ここだ。エルドラの森。魔物が多く棲む、危険な場所だがね」
「……分かった」
ジークは地図を受け取ると、銀貨を数枚カウンターに置いた。
「情報料だ」
「おいおい、まだ酒も飲んでないだろ?」
「急いでいる」
ジークは踵を返して店を出ようとした。しかしその時、老人が声をかけた。
「――若造。一つ忠告しておく」
「何だ」
「龍ってのは、人間が安易に近づいていい存在じゃない。お前がどれほど強くても、龍を相手にするのは命懸けだ」
「……分かっている」
ジークは答えると、酒場を後にした。
夕闇が迫る街を、ジークは宿屋へと向かって歩く。明日の早朝、エルドラの森へ向かう準備をしなければならない。
「ジーク、本当に行くのか?」
「当たり前だ」
「龍谷に続いて、また空振りかもしれんぞ」
「それでも行く」
ジークの声には、強い決意が込められていた。ヨルは小さく溜息をつく。
「……相変わらず、頑固な男だ」
「お前と契約した理由を忘れたのか」
「忘れるわけがないだろう。お前の目的は――」
「龍を殺すことだ」
ジークの目が、憎悪に染まる。その眼差しには、深い闇が宿っていた。
かつて、ジークには大切な人がいた。しかしその人は、龍によって命を奪われた。以来、ジークは復讐のために極刀を手に入れ、龍を探し続けている。
それが、ジークの生きる理由。
唯一の、存在意義だった。
「――明日、エルドラの森に向かう。準備しておけ、ヨル」
「了解した」
夕日が沈み、闇が街を包み込む。ジークは宿屋の部屋に戻ると、極刀の手入れを始めた。刀身を布で丁寧に拭い、刃こぼれがないかを確認する。
明日からまた、龍を追う旅が始まる。
果てしない復讐の旅が――。
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