第七話-衣を纏わる者
種ヶ原義之編です。
どうぞ。
義之は、一瞬だけ目を見開いた。
だが、その驚きはすぐに霧散する。
「これはこれは……杉本殿と藤山殿ではございませんか。」
落ち着いた声だった。
馬上にありながら、まるで最初から二人の出現を織り込んでいたかのような態度。
「さすがだな。」
杉本が、静かに言った。
「細道とは、訳が違うらしい。その風格……気の総量。奇襲を考えてはいたのだが、無駄だったな。」
視線を真っ直ぐ向ける。
「まさしく、武将に相応しい。」
義之は鼻で笑った。
義之は三十代後半。
身長は百八十二。
鎧の上からでも分かるほど、全身に無駄のない筋肉を纏っている。
大きな兜。
赤を基調とした装束は、戦場の中でもひときわ目立っていた。
そして、少し大きめの鼻が、その強面に奇妙な人間味を残している。
「ふん。そんな言葉を言いに来たわけではあるまい。」
義之は周囲を一瞥した。
「この人数差の前で、随分と堂々としているではないか。」
少し考える素振りを見せ、口角を上げる。
「……真剣勝負、といったところか。」
二人の表情が、僅かに揺れた。
「図星、というわけだ。」
義之は続ける。
「それで事が収まると、本気で思っているらしい。」
「どういう意味だ。」
藤山が問う。
義之は、二人を改めて見据えた。
その視線は冷静で、値踏みするようでもあった。
「今、こうして目の前に立って、よく分かった。」
「思っていたよりも……拍子抜けだ。」
「気の量も、体つきも、至って凡庸に見える。」
ゆっくりと息を吐く。
「私は何を、これほどまでに警戒していたのだろうな。」
「正直に言おう。」
「私一人で、貴様らを相手取ることも、十分可能だ。」
圧のかかった大きな声。
杉本は拳を握り直す。
「……言ったな。」
杉本が口を開いた。
声は低く、だが迷いはない。
「じゃあ、俺たち二人対、お前一人でいいんだな。」
義之は即答した。
「よかろう。」
「なら、今すぐ、あの攻撃をやめさせろ。」
藤山が言う。
次の瞬間だった。
「ハ、ハ、ハ!」
義之は大きく笑い、馬から飛び降りた。
鎧を着たまま、大地を蹴る。
――轟音。
まるで岩が落ちてきたかのように、桂の国の出入り口に着地する。
地面が震え、地響きが走った。
全ての武士が動きを止め、戦場の真ん中に降り立つ義之を見る。
義之は立ち上がり、ただ一言だけ告げた。
「……武器を置け。」
その声に、逆らえる者はいなかった。
恐怖が、命令として伝播する。
武士たちは、敵味方問わず次々と武器を地に置いた。
杉本と藤山は馬を走らせ、義之の前へと向かう。
だが、その異様な存在感に、一瞬、目を奪われる。
二人は義之の前で馬を止め、降りた。
馬を後ろへやる。
「勝利条件は、どうする。」
藤山が問う。
「そちらで決めろ。」
義之は即答した。
二人は目を見合わせる。
「相手が負けを認めるか。」
藤山が言う。
「もしくは、殺すまでだ。」
「よかろう。」
義之は頷いた。
「では、勝ったらどうする。」
「種ヶ原を頂く。」
藤山は迷いなく言った。
「ならば。」
義之の口元が歪む。
「私は、貴様らを私の部下にしよう。」
「それでいい。」
藤山は、そう答えた。
沈黙は、すでに戦場を覆っていた。 雲一つない空から、日光が容赦なく地面を照らしている。
杉本と藤山は、同時に刀を抜いた。
だが、義之は動かない。 刀に手を当てるそぶりすら取らなかった。
一瞬の静止。
次の瞬間――二人は同時に地を蹴った。
踏み込み。
鋭い斬撃。
――だが。
義之の身体が、波打つように揺れた。
剣が、当たらない。
正確には、当たっているはずなのに、そこに手応えがない。
気が、流れている。
水のように、形を変えながら。
「――っ!?」
次の瞬間だった。
義之は一歩も動かず、両手を伸ばした。
二人の顔面を、同時に鷲掴みにする。
そのまま――
叩きつけた。
地面が割れたような音が響き、二人の身体が地に沈む。 息が詰まり、視界が白く弾けた。
「……これは……」
藤山が、血を吐きながら呻く。
「まさか……受水の『衣』……!」
衣
気を、身体の外側に定着させる技。 到達できる者は極めて少なく、扱える者はさらに限られる。
その種類は複数存在し、性質はそれぞれ異なる。
――受水の衣。 気を水のように循環させ、流動させる衣。 衝撃を受け止めず、受け流す。 ほとんどの攻撃を、無力化する防御の極致。
義之は、ゆっくりと後方へ下がった。
杉本と藤山は立ち上がろうとするが、足元が定まらない。 鼻血が、地面に落ちる。
「……ちっ……!」
杉本の瞳が鋭くなる。
次の瞬間、異能-風速を解放した。
超高速。
空気が裂け、踏み込みと同時に斬撃が放たれる。
――だが。
義之は、片手で刀を掴んだ。
信じられない光景。
そのまま、蹴りが飛ぶ。
腹部に直撃。 杉本の身体が宙を舞う。
義之は追いすがり、落下する杉本を地面へ叩きつけた。 間髪入れず、拳を振るう。
一発。 二発。 三発。
腹に、肋に、鳩尾に。
「が……っ……!」
肺から空気が抜け、剣を握る指先に力が入らない。
藤山が後方から針を放つ。
だが、全て――義之の素手に掴み取られた。
針は、地に捨てられる。
藤山は歯を食いしばり、踏み込んだ。 異能-天才。
受水の衣の動きを、瞬間的に再現する。
流す。 ずらす。 受ける。
一瞬、義之の攻撃を凌ぐことに成功した。
だが――
限界だった。
義之の拳が、正面から藤山の顔面を打ち抜く。 藤山の身体が吹き飛び、地面を転がった。
「つ、強い。」
藤山は声を震わせながら言う。
ゆっくりと腰の鞘を手に取った。
義之は、初めて刀を引き抜いた。
異様に長い刀身。
人の背丈を超えるほどの刃が、陽光を反射する。
義之は、杉本へと歩み寄る。
杉本は、ふらつきながらも立ち上がった。 再び、超高速。
連撃。 連撃。 連撃。
義之は、防御に回る。
――その背後。
藤山が、最後の力で踏み込んだ。 小刀を、鎧越しに突き立てる。
だが。
刃は、背に一センチほどしか沈まなかった。
「……っ」
義之の身体が、僅かに揺れる。 毒だ。
だが、浅い。 致死には、足りない。
義之の表情が、歪んだ。
次の瞬間、藤山へと振り向く。
長刀が、横薙ぎに走った。
「――っ!」
藤山の横腹が裂ける。
血が噴き出し、身体が崩れ落ちた。
「藤山ッ!!」
杉本が叫ぶ。
――だが。
義之は、すでに間合いに入っていた。
「遅いなあ。」
低く言葉を吐き捨てる。
刀が、振り下ろされる。 杉本は受け止める。
だが、一瞬。
義之は体勢を変え、刃を突き出した。
腹部を、貫く。
「……っ……」
杉本の身体が前のめりに倒れた。
立っているのは、義之だけ。
戦場は、静寂に包まれていた。 怯えと沈黙が、空気そのものを支配している。
――誰も、動けなかった。
義之は、一言だけ吐き捨てた。
「……これで終わりだ。」
その瞬間だった。
倒れていたはずの藤山が、ゆっくりと立ち上がる。
小刀を、両手で握り締めている。
足元は定まらず、生まれたての子鹿のように震えていた。
今にも崩れ落ちそうな身体。
だが――
目だけが、死んでいなかった。
そこには、何一つ諦めていない光が宿っている。
杉本は、その光景をぼんやりと視界の端で捉えていた。
だが、意識はすでに限界だった。
視界が白く滲み、音が遠のいていく。
――次の瞬間。
気が付くと、杉本は白い空間に倒れていた。
どこまでも白い。
壁も、床も、境界が分からない。
身体は、金縛りに遭ったように動かなかった。
正面には、誰かが座っている。
だが、見えるのは足だけだった。
それ以外は、黒く塗り潰されたかのように、何も認識できない。
低い声が、響いた。
「何を寝転んでいる。」
続けて、叱責が飛ぶ。
「誰が、そんな許可をした。」
――強い。
だが、どこか懐かしい声。
(でも……相手が、強くてよ……)
杉本の声は、口からは出ない。
心の中で、そう呟くだけだった。
「それが、どうした。」
間髪入れず、言葉が返ってくる。
「仲間を、置いていくつもりじゃないだろうな。」
さらに、畳みかけるように続く。
「今も、たった一人で戦っている仲間を――」
「放っておくわけじゃないだろうな。」
胸の奥が、強く締め付けられる。
(どうしろってんだよ……)
杉本の叫びに、黒い影は動じなかった。
「起きろ。」
「苦しくても、剣を握れ。」
そして、決定的な一言。
「戦え。」
「それが、お前の使命だ。」
――世界が、反転した。
義之は、藤山の髪を掴み上げていた。
刀を振り上げ、首を落とそうとした、その瞬間。
背後から、膨大な気を感じ取る。
義之は、即座に振り向いた。
――危険。
本能が、そう告げる。
これは、今すぐ殺すべきだ。
藤山を放り捨て、義之は刀を振るった。
だが――
次の瞬間
気の圧力だけで、身体が吹き飛ばされた。
地面を抉りながら、義之は後方へ転がる。
藤山は、その場に崩れ落ちながら、微かに笑った。
「……やっと、戻ってきたかよ。」
そう言い残し、意識を失う。
「何が、起きた……?」
義之が問いただす。
その視線の先に、杉本が立っていた。
全身から、異様な気が溢れ出している。
「よお。」
杉本は、口元を歪めた。
「てめえは、ぜってえ――」
「生きて返さねえからな。」
「何を――!」
義之が飛びかかる。
だが、杉本は一振り、気の斬撃を放った。
義之は、難なくそれを防ぐ。
「……何が変わったと言うんだ。」
踏み込み、反撃に転じる義之。
その瞬間――
気が、こだました。
先ほどの斬撃が、反響するように増幅し、
一段階強い斬撃となって、再び襲いかかる。
「――っ!」
義之の腹部が、鎧越しに切り裂かれた。
衝撃の衣。
放った気の攻撃が反響し、より強い一撃となって重なる衣。
単純にして、凶悪。
技が、二重になる。
杉本は、異能を解放した。
超高速。
視認不能の斬撃が、連続して叩き込まれる。
義之は、受水の衣で防ぐ。
だが――
衝撃の衣で重なった超高速の斬撃は、次第に押し切っていく。
「……馬鹿な……!」
義之の右腕が、宙を舞った。
悲鳴が上がる間もなく、
杉本の刃が、首元を走る。
勝負は、決した。
歓声が、戦場を包み込む。
桂の兵たちは叫び、種ヶ原の武士たちは愕然と立ち尽くした。
杉本は、その場で力尽き、崩れ落ちる。
すぐさま、小林が駆け寄り、治療に取り掛かった。
戦いは、終わった。
杉本と藤山の勝利だ。
面白かったでしょうか。
読んでいただきありがとうございます。
まだまだ、続くのでこれからもよろしくお願いします。
まだこれは一章の序盤から中盤です。




