第九十六話 深淵の街
1.闇の道の先に
深淵への扉をくぐった瞬間、視界は闇に飲み込まれた。
足元には布の光がかろうじて伸び、私たちの歩みを支えていたが、一歩先は底知れぬ暗黒でしかない。
リナが剣を抜き、周囲を見回す。
「……何も見えません。まるで夜でもなく、ただの虚無です」
マリエの歌声が震える空気を押し返し、淡い光を広げていく。
すると、闇の奥にぼんやりとした輪郭が浮かび上がった。
――街だった。
だが、その街は瓦解した家々をそのまま繋ぎ合わせたようで、壁も屋根もところどころ裂け、影の糸で強引に繕われている。
灯りはなく、代わりに裂け目から黒い光が漏れ出していた。
「ここが……深淵の街」
私は呟いた。
2.影の住人
街に足を踏み入れると、ひそひそと声が響いた。
「来たぞ……」
「また繕いを名乗る者が……」
影の中から姿を現したのは、人の形をしていながら顔が裂け、瞳から黒い光を滴らせる者たちだった。
彼らは裂け目を隠そうともせず、むしろ誇示するかのように胸を張っていた。
「お前たちは……ここに縫い目を持ち込むのか」
住人の一人が低く問う。
私は布を掲げて答えた。
「裂けても、繕える。そのために来た」
影の住人たちはざわめいた。
「繕うだと……? 裂け目を否定する気か?」
「裂け目こそが誇りだ。痛みも、恐れも、偽らずに晒す……それが深淵の在り方だ」
3.首領の思想の断片
影の住人たちは続けた。
「首領は我らを救った。裂け目を隠さなくていいと言った。繕わずとも、そのままで強いと」
その言葉に、リナが眉をひそめた。
「裂け目を……肯定する?」
私は深く息をついた。
「なるほどな……首領は、人の心の裂け目を“受け入れる力”だと説いているのか」
影の住人のひとりが笑った。
「そうだ。お前たちは傷を恥じ、隠そうとする。だが我らは違う。晒し、誇る。それが自由だ」
その瞳は狂気に満ちていたが、同時に苦しみから解き放たれた安堵も滲んでいた。
4.住人の葛藤
リオが拳を震わせながら口を開いた。
「……俺だって怒りを抑えきれねぇときがある。裂け目を隠すより、ぶちまけたほうが楽だ。そう思うときもある」
マリエが歌を弱め、声を落とす。
「私も……怖さを隠すたびに、自分を偽っている気がしました」
影の住人が口元を歪めて笑う。
「ならばここに残れ。繕わずともいい。裂けたままで生きられる街だ」
一瞬、私の胸の奥にも迷いが芽生えた。
――繕い続けることは、果てしなく苦しい。
裂け目をそのまま受け入れるだけで済むなら、どれほど楽だろうか。
5.大家の答え
だが、私は首を振った。
「裂け目を誇るのも、ひとつの生き方だろう。否定はしない。だが俺たちは繕うことを選んだ」
布を広げると、光が影の街の瓦礫を照らした。
「裂け目を受け入れたままでは、傷は広がり続ける。俺たちは、繕い合うことで共に立ち直りたいんだ」
リナとリオが頷き、マリエが歌を強める。
布と歌が重なり合い、街の裂け目のいくつかが淡い光で塞がれていった。
影の住人たちはその光を見つめ、怯え、同時に懐かしそうに目を細めた。
6.試練の扉
街の奥にそびえる巨大な塔があった。
裂け目の糸で絡み合い、空を突き破るように立っている。
影の住人たちが口を揃えて言った。
「首領はあの塔の頂にいる。だが扉は裂け目に呑まれており、繕う者しか開けられぬ」
リナが剣を掲げた。
「なら、繕いの力で開けるまでです!」
私は布を握りしめた。
――ここからが本当の試練だ。
7.裂け目に挑む
塔の前に立つと、巨大な扉は真っ黒に裂けていた。
そこからは人々の嘆きや叫びが渦を巻き、私たちを飲み込もうとしている。
リオが拳を突き出すが、裂け目は飲み込み返すように彼を押し返した。
「くそっ……!」
マリエが歌を強めると、裂け目が一瞬だけ揺らいだ。
「まだ……足りません!」
私は布を掲げ、叫んだ。
「町のみんなの想いをここに!」
布に住人たちの声が重なり、光が広がる。
扉の裂け目がゆっくりと閉じ始めた。
8.扉の開放
轟音とともに、黒い扉が軋みをあげて開いていく。
その奥からは、さらに深い闇と冷気が吹き出した。
リナが剣を構え、リオが拳を握り、マリエが歌を紡ぐ。
私は布を広げ、仲間たちを見渡した。
「さぁ、首領のもとへ。繕いの答えを示す時だ!」
光と影が交錯する中、私たちは塔の奥へと踏み込んだ。




