第三十八話 旅人の裂け布
1.峠を越えて
裂け目を縫い、奇跡の橋を渡った私たちは、ようやく峠を越えた。
朝日が背後から差し込み、金と銀の糸がきらきらと輝いている。あの光景は、一生忘れないだろう。
リオは誇らしげに胸を張った。
「な、言っただろ! 俺たちなら絶対できるって!」
マリエはまだ少し震える手を見つめながら、微笑んだ。
「……でも、私一人じゃ無理でした。みんながいたから」
トルクは無骨にうなずき、荷台を整える。
「感傷に浸るのは帰ってからだ。道はまだ続いている」
リナも真剣な表情を崩さない。
「そうね。山越えは終わったけど、平地にも危険はあるわ」
幽霊少女はふわふわと漂いながら、ふいに後ろを振り返った。
「……裂け目は閉じた。でも、新しいほころびが来る」
その声に、私は胸騒ぎを覚えた。
2.出会い
山を下り、緑の広がる平地に差し掛かった頃。
道の脇に、一人の旅人が座り込んでいるのが見えた。
粗末な外套をまとい、頭から布を垂らして顔を隠している。
ただ、その布は不自然なほどに裂けていた。裂け目が蜘蛛の巣のように広がり、端は焦げて黒ずんでいる。
近づくと、旅人が弱々しい声をあげた。
「……すまない。水を、少し分けてもらえないか」
私は馬車を止め、水筒を差し出した。
「大丈夫ですか?」
旅人は震える手で布を押さえながら、口元を覆い、少しだけ水を口に含んだ。
「助かった……。恩に報いることはできないが……せめて、この裂け布を見てほしい」
そう言って、外套の裾を広げた。
3.裂け布の謎
布には無数の裂け目が走っていた。
だが、不思議なことに、その裂け目から淡い光が漏れている。まるで星空のきらめきが布に縫い込まれているようだった。
「これは……?」
マリエが思わず声を漏らす。
旅人は布を撫でながら語った。
「これは“運命布”。生まれた時に与えられ、死ぬまでその者の歩みを映す布だ。裂け目は、試練や苦難を意味する」
リオが目を丸くする。
「えっ、じゃあその布、ボロボロってことは……めっちゃ大変な人生ってこと?」
旅人は笑いもせず、ただ頷いた。
「そうだ。裂け目が増えるたびに、私は歩むのが怖くなった。……けれど、不思議なことに、この裂け目から光が零れるようになったのだ」
リナは訝しげに眉をひそめた。
「普通は裂ければ裂けるほど布は弱るものよ。なぜ光が?」
旅人は答えず、ただ布を差し出した。
「だから、試してほしい。この裂け布を縫ってみてくれないか」
視線は、マリエに向けられていた。
4.縫うべきか、縫わざるべきか
マリエは布を両手で受け取った。
光の漏れる裂け目を見つめながら、針を握る手が震える。
「……私が縫ったら、この光は消えてしまうんでしょうか」
旅人は静かに首を振った。
「分からない。ただ、裂け目は縫わねば広がり続ける。光は……君の縫い目次第だろう」
トルクが渋い声で言う。
「怪しい話だ。だが、もし本当なら放っておけん」
リオは身を乗り出して叫ぶ。
「やろうよ! マリエなら絶対できる!」
リナは慎重に付け加える。
「ただし、失敗すれば旅人の“運命”そのものに影響する可能性もある。覚悟は必要よ」
幽霊少女が、かすかな声を響かせた。
「……縫って。裂け目は、光の道になる」
その囁きが背中を押し、マリエは深く息を吸った。
「はい……やってみます」
5.裂け布を縫う
私は布を広げ、仲間たちとともに囲んだ。
夜風が吹き抜け、裂け目の光が淡く揺れる。
マリエは金糸と銀糸を取り出し、裂け布に針を通した。
一針ごとに、光は糸へ吸い込まれ、縫い目に沿って星のように輝いた。
リオが感嘆の声をあげる。
「すっげえ……! まるで夜空を縫ってるみたいだ!」
リナは静かに見守りながら呟く。
「これが……運命を縫うということなのね」
トルクは腕を組み、ただ頷く。
「針が折れんよう祈るしかない」
やがて最後の裂け目に糸が通され、布は閉じられた。
縫い終えた瞬間、布全体がまばゆい光に包まれ、まるで新しい星座が生まれたかのように輝いた。
6.光の意味
旅人は震える手で布を抱きしめ、涙を流した。
「……ありがとう。本当に……ありがとう」
裂け布は確かに縫い合わされた。
だが、光は消えなかった。それどころか、縫い目に沿って柔らかな輝きが流れ、裂け目が道しるべのように浮かび上がっている。
「裂け目は……消すべきものじゃなかったのですね」
マリエの目からも涙が零れた。
「試練も傷も、縫い合わせて初めて道になるんだ……」
幽霊少女が柔らかく微笑んだ。
「そう……裂け目は絆。縫えば、未来へ繋がる」
旅人は布を胸に抱き、深々と頭を下げた。
「この布は私の命そのものだ。だが今日からは、君の縫い目が私を導いてくれる」
7.別れと余韻
翌朝、旅人は新たな道へ歩き出した。
裂け布は背に翻り、縫い目が朝日に照らされて輝いている。
リオは大きく手を振った。
「がんばれよー! また会おうな!」
マリエは胸に手を当て、静かに祈った。
「どうか、この縫い目があなたを守りますように……」
私は皆の顔を見渡し、心から思った。
――私たちのアパートは、ただの住まいじゃない。
縫い目を通して、人の運命すら繋いでしまう場所なんだ。
そして胸の奥で、確信した。
まだまだ縫うべき裂け目が、この世界には無数にあるのだと。




