第三十七話 山道の裂け目
1.帰路の始まり
旗の村を後にした私たちは、再び馬車に揺られていた。
朝日に輝く旗を背に、みんなの顔にはまだ余韻が残っている。
「楽しかったなあ!」
リオは窓から身を乗り出して、遠ざかる村に手を振った。
「また絶対来ような!」
マリエは膝の上で針箱を抱きしめ、静かに微笑んでいた。
「はい……。あの旗を見たら、また頑張れそうです」
リナは横目で彼女を見て、軽く頷いた。
「でも帰り道も気を抜けないわ。山越えは行きよりも険しい」
トルクは荷台で地図を広げ、低い声で言う。
「峠を越える道は狭い。雨で地盤も緩んでいるだろう。注意しろ」
幽霊少女は空を漂いながら、小さく呟いた。
「……裂け目が、待っている」
その声に、私の胸に不穏な影が差した。
2.山道の異変
二日目の昼頃、山道に差し掛かった。
左右は切り立った崖。馬車一台がやっと通れる狭さだ。
進むにつれて、足元の土がじわりと沈むのを感じた。
トルクが険しい顔で言う。
「崩れるな……。馬車を降りて歩け」
皆で慎重に進んでいたその時――
突然、山肌が大きな音を立てた。
ゴゴゴ……!
岩が崩れ、前方の道が大きく裂け落ちた。
その先には谷底が広がり、深い霧が渦巻いている。
「道が……!」
リオが叫ぶ。
前へ進むことも、後ろへ戻ることもできない。
裂け目は馬車ごと道を断ち切っていた。
3.立ちはだかる裂け目
裂け目は幅三メートルほど。
人が飛び越えるには危険すぎる距離だ。
マリエは青ざめた顔で呟いた。
「これじゃ……帰れません」
リナは冷静に崩れた地形を見渡した。
「板を渡して橋にするのが一般的だけど……材料が足りないわね」
トルクは荷台を漁り、持っていた木材や縄を確認する。
「補強すれば人は渡れるが、馬車は無理だ」
リオが拳を握る。
「じゃあ、馬車を置いて行く? でも旗の村からの荷物もあるのに……」
幽霊少女は裂け目の上を漂い、かすかに声を響かせた。
「縫えばいい……。裂け目だって、縫えばつながる」
その言葉に、皆の視線がマリエへ向いた。
4.縫うという発想
「裂け目を……縫う?」
マリエは一瞬戸惑ったが、やがて深く息を吸った。
「できます。裂け目を布だと思えば……岩と岩を糸で結ぶんです」
リオが目を輝かせる。
「すごい! それなら渡れるかも!」
トルクは腕を組み、険しい顔を崩さない。
「糸で岩が持つのか?」
マリエは針箱から特殊な糸を取り出した。
旗を縫うために残していた、丈夫な金糸と銀糸だ。
「これは普通の糸じゃありません。何人もの想いを縫い込んだ糸……岩だって結べるはずです」
私は頷いた。
「やりましょう。裂け目を縫って、道を繋ぎましょう」
5.裂け目を縫う夜
作業は夜に及んだ。
トルクが岩に杭を打ち、リナが縄で補強し、リオが懸命に道具を運ぶ。
幽霊少女は裂け目を漂いながら、霧を払うように声を響かせていた。
マリエは巨大な針を使い、岩の裂け目を縫っていった。
一針ごとに、金糸と銀糸が星のように光る。
「未来へ繋がって……!」
彼女の声とともに、糸は崖と崖を結び、揺れる橋のような道を作っていった。
やがて夜明けが近づくころ、裂け目は見事に縫い合わされていた。
6.試される一歩
最初に渡ったのはトルクだった。
重い体格でゆっくりと進み、足元の糸が軋むたびに皆が息を呑む。
だが、糸は切れなかった。
トルクは向こう岸へ到達し、振り返って叫んだ。
「渡れるぞ!」
次にリオが勢いよく駆け抜け、リナは慎重に歩み、幽霊少女はふわりと浮かんで渡った。
最後にマリエが馬車を引きながら進み――無事に全員が向こう岸へ辿り着いた。
渡り切った瞬間、皆は歓声を上げた。
「やった! 裂け目を越えた!」
マリエは安堵のあまり、糸を抱いて涙を流した。
「……本当に、縫えたんですね」
7.道を越えて
朝日が山の向こうから昇り、裂け目を縫った金糸と銀糸を照らした。
それは一夜のうちに作られた奇跡の橋であり、未来を繋ぐ象徴でもあった。
私は仲間たちを見渡し、胸の奥で思った。
――縫い目は布だけじゃない。道も、人も、未来も縫えるのだ。
こうして私たちは再び歩き出した。
アパートへ帰るために、そして新しい縫い目を探すために。




