第三十五話 遠方からの布
1.風に運ばれる噂
勝負から半月ほどが過ぎたころ。
町の広場では相変わらず子供たちが布を縫い合わせ、遊んでいる。
その様子を見守る大人たちの口からも、自然と「あの仕立て屋の縫い目は特別だ」という噂が囁かれるようになった。
噂は風に乗り、商人の口を経て、旅人の荷馬車とともに遠方へと運ばれていった。
ある日、アパートの前に一台の馬車が止まった。
御者台から降り立ったのは、旅装束をまとった青年商人だった。
「ここが……縫い目の仕立て屋のいるアパートですか?」
彼は汗を拭いながら深々と頭を下げた。
2.遠方からの依頼
青年が持参した荷は布ではなかった。
丁寧に包まれた木箱の中には、古びた旗が入っていた。
「これは……」
広げた瞬間、部屋の空気が変わった。
布は無数の裂け目で繋ぎとめられ、色もすっかり褪せている。
だが、かすかに残る紋章は誇りを示していた。
「北方の村で代々受け継がれてきた旗です。かつて祖先が戦で掲げたもの。けれど、裂けが多すぎてもう使えないと……。どうしても、これを未来へ渡したいのです」
マリエは胸に手を当て、静かに頷いた。
「……分かりました。お預かりします」
3.縫う覚悟
旗は大きく、裂けも深かった。
ただ修復するだけではなく、未来に耐える強さが必要だった。
夜更け。
居間で布を広げ、マリエは針を構えた。
「これを縫い直すには……一人じゃ難しいです」
リオが勢いよく手を挙げる。
「じゃあ、手伝う! 俺も縫えるようになったんだ!」
リナは頷き、糸を準備する。
「力仕事は私がやるわ。裂けを広げずに押さえる役、必要でしょう?」
トルクも腕を組んだ。
「針仕事は無理だが、布を張る枠を作ろう。しっかり固定しなきゃいけねえ」
幽霊少女は旗の上を漂い、そっと囁いた。
「声を残してもいい? この布に、みんなの想いを染み込ませるように」
マリエは目を潤ませながら微笑んだ。
「お願いします。これは、みんなで縫う旗ですから」
4.旗を囲む夜
数日間、アパートの居間は針と糸の音で満ちた。
リオの手は不器用で何度も糸が絡まったが、マリエは笑って解いた。
「大丈夫。糸が迷うのも、縫い目の一部になります」
リナは端を丁寧に押さえ、時に鋭い指摘をする。
「この裂けは一度解いて、別の縫い目を重ねた方が強い」
トルクは木枠を作り直し、旗が揺れないよう支え続けた。
幽霊少女は優しい声を布に吹き込み、夜の静けさの中に響かせた。
私も湯を沸かし、手を休めるみんなに茶を配りながら見守った。
それは一つの作業ではなく、家族のような営みだった。
5.完成の瞬間
一週間が過ぎた夜、ついに最後の針が布を貫いた。
マリエが息を整え、糸を切る。
旗は見違えるほど生まれ変わっていた。
裂け目は縫い目で模様のようにつながり、褪せた色の上に新たな輝きが宿っていた。
「これは……もう壊れていた旗じゃない。未来を掲げる旗だ」
トルクの低い声が静かに響いた。
マリエは涙をこぼし、布を胸に抱いた。
「……みんなで縫ったから、ここまで来られました」
6.届けられる未来
翌日、青年商人に旗を返した。
彼は驚き、そして膝をついて深く頭を下げた。
「これを……本当に村に持ち帰れるとは……!」
マリエは微笑んだ。
「裂けた跡は消えません。でも、それは未来へ繋いだ証です」
青年は涙を拭いながら言った。
「必ず、この旗を掲げます。村の未来のために」
馬車が去るとき、旗の先端が風に揺れ、縫い目が陽光に輝いていた。
7.アパートの灯り
その夜。
居間で皆が集まり、火を囲んでいた。
「ねえ大家さん」
リオが顔を上げる。
「俺たちのアパートって、なんかすごい場所になってない?」
私は笑った。
「すごいかどうかは分からないけど……縫い目のように、人を繋げる場所にはなってるわね」
リナが頷く。
「ここからまた、遠くへ繋がっていくのでしょうね」
マリエは針箱を抱きしめ、静かに言った。
「はい。どんな遠くの裂け目も、いつか縫いに行けるように」
アパートの灯りは、夜空の星々に負けないくらい温かく輝いていた。




