第三十二話 仕立て屋の嫉妬
1.不穏な影
町に春の光が満ちていた。
祭りの余韻はすでに薄れ、人々は再び日常へ戻っていた。だが、アパートの中では依頼の布や注文が増え、活気は衰えを知らなかった。
「大家さん、これ新しい注文!」
リオが駆け込んで布の包みを差し出す。
「はいはい、ありがとう。マリエ、これで今日だけで四件目よ」
私が声をかけると、マリエは少し困ったように笑った。
「でも、全部を仕上げられるわけではありませんから……順番をきちんと守れば大丈夫です」
彼女の針は休むことなく布を縫い、アパートにはいつも温かな灯りと針音が満ちていた。
その幸福な空気の裏で、一つの影が静かに広がっていた。
2.仕立て屋の噂
ある日、リナが市場から戻り、眉をひそめて告げた。
「ちょっと妙な噂を耳にしたわ。町の仕立て屋ギルドで、アパートの名前が出ていたの」
「ギルド?」
私は首を傾げる。
「ええ。祭りの日にあなたたちの服が評判になったでしょう? それを面白く思わない人たちがいるのよ。特に、例の仕立て屋の男。名前はデゴラ。町で長年店を構えてきたけれど、評判が落ちてきているらしい」
「デゴラ……」
私は先日の夜、門の外に立っていた影を思い出した。
確かに彼の眼差しには強い嫉妬と怒りが宿っていた。
「彼はギルドの中でも権力を持っている。あなたたちに嫌がらせを仕掛けてくるかもしれないわ」
リナの言葉に、マリエの手が止まった。
彼女の顔色が薄くなり、針を握る指が震える。
「また……壊されるの……?」
その言葉に、私はすぐ隣に座り、手を取った。
「大丈夫。ここはあの町とは違う。私たちが一緒にいるもの」
リオが拳を握って言った。
「誰にも壊させないよ!」
その言葉に、マリエは少しだけ微笑んだ。
3.最初の嫌がらせ
予感はすぐに現実となった。
数日後、届けられた布の束が切り裂かれていたのだ。
「ひどい……」
マリエが布を広げると、大きな刃の跡が走っていた。
「偶然じゃないな」
トルクが険しい目をする。
「わざとだ」
さらに翌日、依頼人からの手紙が届いた。
「アパートに縫わせたら評判が落ちる」
「仕立ては正式な店に頼むべきだ」
そんな文句が並び、注文を取り消すと書かれていた。
マリエの顔から色が消えていく。
「また……私のせいで……」
「違う!」
私は強く声をあげた。
「あなたのせいじゃない。誰かが意図的に仕組んでるのよ」
リナが冷静に言葉を継ぐ。
「間違いなくデゴラの仕業ね。証拠を集めなきゃ」
4.仲間の支え
その夜、アパートの居間で住人たちが集まった。
「俺が見張ろう」
トルクが真っ先に言った。
「また布や道具を壊されちゃ困る」
「私は市場で聞き込みするわ」
リナは頷く。
「どんな噂を流してるか確かめる」
「僕は町に行って、子供たちに聞いてみる!」
リオが元気よく手を挙げる。
幽霊少女は静かにマリエの隣に座り、小さな声で囁いた。
「大丈夫。壊されたって、縫い直せる。あなたはそれができる人だから」
マリエはしばらく沈黙していたが、やがて小さく頷いた。
「……そうですね。壊されたら、また縫えばいい。私には針がある」
その言葉に、皆の顔が和らいだ。
5.布の力
翌日、マリエはわざと切り裂かれた布を持ち出し、新しい作品に仕立て直した。
裂け目を装飾として活かし、金糸で縫い合わせることで、独特の模様が生まれたのだ。
「これは……逆に美しい」
リナが目を見開いた。
完成した服を依頼人に届けると、相手は驚き、そして深く感動した。
「こんなに素晴らしい縫い目は見たことがない!」
その評判はたちまち広まり、「裂けを生かす縫い目」という新しい技法として噂になった。
マリエの表情にも、自信が戻りつつあった。
「壊されたものでも、美しく縫える……私にできるのは、きっとそれなんです」
6.デゴラの怒り
だが、その噂はデゴラの怒りをさらに燃え上がらせた。
ギルドの中で彼は声を荒げる。
「素人の寄せ集めに負けるとは……許せん!」
彼は部下を使って市場でさらに悪質な噂を流し、アパートへの依頼を妨害し始めた。
「アパートの服は呪われている」
「着たら不幸になる」
根も葉もない噂が広がり、再びマリエは心を痛めた。
「どうして……どうしてここまで」
彼女は涙ぐみ、膝に顔を伏せた。
私はそっと背を撫でながら言った。
「嫉妬よ。あなたの針が本物だからこそ、恐れているの」
7.決意
夜、アパートの灯りの下で、住人たちが再び集まった。
「もう逃げない」
マリエが静かに立ち上がった。
「私は服を縫う人。どんな噂が流れても、私の針が示すものを信じます」
その目には強い光が宿っていた。
リオがにっこり笑う。
「うん! 僕たちも一緒だよ!」
トルクが頷き、リナも微笑む。幽霊少女はそっと手を握った。
私はその光景を見守り、心の奥で強く誓った。
「デゴラがどんなに仕掛けてこようとも、この家とみんなを守る」
アパートの窓からこぼれる灯りは、夜の闇を押し返すように温かく輝いていた。




