第3部 第21話
「三浦。この後、職員室に来い」
「嫌です」
「・・・お前は教師に逆らうのか」
「先生、その言い方はパワハラです。校長先生に訴えて・・・」
「お前、どっかの誰かに似てきたな。とっとと職員室に来い」
ちぇっ。
仕方ない。
私は3限の本城先生の授業の後、職員室へ向かった。
何よ、何よ。なんで私が呼び出されなきゃ、いけないのよ!
でも、職員室では、私以上に不機嫌な本城先生が待ち構えていた。
「用件はわかってるな?」
「森田の再教育について」
「違う。俺の夕飯についてだ」
「そんなこと、生徒の私に言わないでください。全く、これだから近頃の教師は」
「・・・」
先生は、本気で怒りながら、でも小声で私に言った。
「昨日の俺の夕飯が何か知ってるか!?」
「あれ?あったんですか?」
「なかった」
やっぱり。
「なんで俺があんなオシオキされなきゃいけないんだ!?俺、なんかしたか!?」
「胸に手を当ててよ~~~く考えてください」
本当に胸に手を当てる先生。
私は、催眠術師のように、まったりした声で言った。
「あれは、10数年前・・・まだ、和歌さんと出会う前・・・ほら、あの女の人のこと、覚えてますか?」
「・・・うん・・・」
「じゃあ、あっちの女の人は?こっちの女の人は?ほ~ら、まだいる、まだいる・・・」
「・・・うん・・・」
「今まで、散々遊んできたツケが、今『夕ご飯抜き』という形で現れて・・・」
「・・・うん・・・、ってそんな訳ねーだろ!!!!」
教科書で思いっきり頭を叩かれた。
結構痛いゾ。
「お前は!あいつに何を吹き込んだんだ、何を!」
「別に何も吹き込んでませんよ。事実を述べただけです」
「たくっ。好きな男とキスできたんだから、それでいいだろ。俺を巻き込むな」
「なっ!ひどい!!」
私が口を尖らせて怒ると、先生は笑った。
「おお。怒る元気があるなら大丈夫だな。落ち込んでたらどうしようかと思ったぞ」
「・・・」
なんだ・・・心配してくれてたんだ。
だったら、「大丈夫か?」とか聞けばいいのに。
素直じゃないなあ、先生も。
「まあ、三浦はどうでもいい」
なんだ、どうでもいいって。
「かわいそうなのは市川だ。キスしてみろ、なんて冗談のつもりで言ったんだろうけど、
相手が悪かったな。まさか本当にされるなんて思ってもみなかっただろう」
「でも、自業自得ですよ。これで先生のこと、諦めてくれるといいですけど」
私と先生は、なんとなく職員室の入り口の方を見る。
特に誰かいる気配はない。
「今日はまだ、一度も市川に話しかけられてないんだ。森田のお陰で、
本当に諦めてくれたのかもな。怪我のことも含めて、森田にまた礼しないとな」
「昨日のことは、お礼なんてしなくていいんじゃないですか?
案外、森田も喜んでやったのかもしれないし」
私が嫌味タラタラで言うと、
先生は、「そんなこと言う余裕があるんだな」と言ってまた笑った。
でも、もし昨日和歌さんに会っていなければ、
そんな余裕なんて微塵もなかっただろう。
和歌さんは、先生の面白い話をいっぱい聞かせてくれた。
でもそれは、決して先生を馬鹿にしたりするような内容ではなく、
純粋に笑える話ばかりだった。
私は、教室へ戻りながら、昨日の和歌さんとの会話を思い出した。
「へー。じゃあ、和歌さんが修学旅行の時、本城先生が沖縄だったのは、
北海道組と沖縄組の生徒が本城先生を取り合いしてクジで決めた結果だったんですねー」
「そうなの。大騒ぎだったのよ」
来年もそうなりそうな気がする。
「それ以来、『本城先生は沖縄に行く』って暗黙の了解みたいなのができちゃって、
修学旅行の引率をする時は、必ず沖縄に行かされてるの。沖縄の方が、教師にとっては大変なんだって」
「へえええ」
「一度は北海道に行ってみたい、ってずっと言ってるんだけどね、いっつも学年主任に却下されてる。
『本城先生みたいに体力がある人は、涼しい北海道より暑い沖縄で生徒と戯れてきなさい』って」
「へえええええ」
そんな裏話があるんだ・・・
面白過ぎる。
「でも、先生と和歌さんは別々の行き先でよかったかもしれませんね。
修学旅行中にキスなんてされたら大変ですからね」
「な、何言ってるのよ」
和歌さんが赤くなる。
「その頃はまだ付き合ってないわよ。教師と生徒なんだから・・・」
「ぶっちゃけ、いつから付き合ってたんですか?和歌さんが高校生の時から?」
「・・・・・・」
わかりやすいなー、なんて思ってたら、和歌さんが反撃に出た。
「そういえば、歩君はどうして急に舞ちゃんにキスしたのかしらね」
「・・・」
「どんなのがキスかって聞かれたからって、それで舞ちゃんにキスしちゃうなんて、
いくら歩君でも飛躍しすぎよね」
そうなのだ。
そして、和歌さんにも恥ずかしくて言えないけど、もう一つわからないことがある。
それは「キス」そのもの。
森田は、市川さんにしたキスを「あんなのキスって言わない」と言った。
だから私は、じゃあ森田にとってのキスってどんなの?と聞いたのだが・・・
森田が「こんなのが本当のキスかな」と言って私にしたキスは、市川さんにしたキスと同じものだった。
ポケットに手を突っ込んだままの、0.1秒のキス。
訳が分からない。
やっぱり、私なんかに本当のキスをするのは躊躇いがあったのかな。
自分のファーストキスがこんな変な形で終わってしまい、
本当なら悶々とした夜を過ごさなきゃいけないところだったけど、
和歌さんの話と、森田のキスの謎(?)のお陰で、クヨクヨせずに済んだ。
もちろん、まだ森田に腹は立つ。
でも、あんまり怒ったら逆に「何?キスしたことなかったのかよ?」とかって、
森田に馬鹿にされそうだから、やめておこう。
あれは事故みたいなもんだ。
唇が相手の身体のどこかに触れればキスだ、と思ってたけど、
あんなのは、キスじゃない。
さっさと忘れるに限る。
それに・・・腹は立つけど、森田を嫌いにはなれない。
ちょっと嬉しかったりもする。
ただ、森田が何の気持ちもなく、平気で私にあんなことをしたのは、悲しい。
森田にとっては何でもないことでも、私はこんなに振り回されてるんだってことをわからせてやりたい。
そのためには、森田に告白しないといけないんだけど・・・それは無理だ。
自分が誰かに告白してるところなんて、想像つかない。
だから、早く忘れよう。
そう決心しつつ、やっぱりショックが大きすぎて忘れられないんじゃないか、という心配はあった。
けど。
ほんの1時間後。
私は、昨日のキスなど綺麗さっぱり忘れるくらい衝撃的な光景に出くわすことになる。