第6話 灯りをつけましょう
今年は、いや、今年も、と言うべきか、由利香が突然「カニが食べたーい!」と、言い出した。
やれやれ、では仕方がありませんね、と、ため息をつきつつも用意をするべく日程を聞いてみたのだが。
「いつにしますか? カニとなると、取り寄せ、もしくは市場に買いに行かねばなりませんので」
ちょっと困った様子で言うシュウに、由利香がきょとんとしたあと、あ、と言う顔になって答えを返した。
「そうよね、いつもカニ食べたーいって言うと、料亭『はるぶすと』してくれるもんねえ。でも、今回はちょっと違うのよ」
シュウが、何が違うんだと言うように首をかしげると、由利香がふふんと胸をはって言った。
「今年はカニを食べに行きたーい、の」
「食べに行きたい、と言うと北陸や山陰にですか?」
「え? あ、そうそう。産地の旅館や料理屋で食べるカニ! これぞ冬の醍醐味よ」
すると、話を聞いていた冬里が、こちらは可愛く首をかしげて言う。
「ふうん、由利香は料亭『はるぶすと』に不満があるんだね」
「え? 違うわよ、料亭『はるぶすと』はいつも完璧よ。でも、完璧すぎてなんか違うのよねえ」
「完璧すぎてなんか違うって、なんすか?」
今度は夏樹がきょとんとして聞く。
「えっとね、うちは見た目も味も、何から何まで私の好みに完璧に合わせてくれてるでしょ。それはそれでとっても嬉しいし感謝してるのよ。でも、他のところだと、いきなり苦手な食材とかがあって、わーってなったりする時があるし。ちょっとそういうのも面白いじゃない」
と、なんとも贅沢な事をおっしゃる。
「では、由利香さんの苦手な食材をお入れして献立を組み立てましょうか?」
シュウが至極もっともなことを言ったのだが。
「え? 嫌よ、料亭『はるぶすと』では全部美味しくいただきたいもん」
と、重ね重ね贅沢なわがままを言う。
「わー、出た出た。神さま仏さまより怖い由利香さま~」
「なによ冬里!」
はたこうと思った由利香だったが、残念ながら冬里はキッチンの中にいたのであきらめて、ペーと舌を出す。
そこまで話が進んだところで、夏樹が面白くなさそうに言った。
「はーいわかりました~。だったら椿と2人、北陸でも山陰でも、行ってくれば良いじゃないっすか。わざわざうちに来る事なんて、なかったんじゃないんすか」
料亭『はるぶすと』で腕が奮えないのでむくれているのだ。そんな夏樹を見て由利香は可笑しそうに言う。
「なによ~料理が作れないからって、そこまでふてくされないの」
そのあと、なんとも魅力的な話を持ち出してきたのだ。
「でね、どうせなら皆で行きましょうよ。カニを食べに」
「へ?」
「泊まりで行くにはもう日程が厳しいわね。でも大丈夫! 今は日帰りでカニを食べられるツアーもあるのよ。どう?」
「日帰りで、カニを食べに……」
「そう、夏樹にとってはよそでどんな料理を出してるか、勉強にもなるわよお」
由利香の言葉を聞いた夏樹の瞳が、キランと光る。
「カニ料理の、勉強……」
そして、今日は何故かキッチンの外にいた夏樹が、キッチンを振り返って言う。
「行きましょう、シュウさん! 冬里!」
キラキラの笑顔で言うのに、冬里がもうひとつ提案を出した。
「じゃあカニにする? 今回の日本全国美味いものめぐり」
「それいいっす!」
キラキラが2倍に増えた夏樹が、こぶしを突き出して言った。
そのあとはお決まりの、どこが良いだのあれが良いだの、ふたりして(もちろん由利香と夏樹)うるさいことこの上ない。
冬里は面白がって、ふたりが意見を出すたびにタブレットで検索してダメ出しをする。
用事で遅れてやってきた椿も、はじめは訳がわからずにいたが、シュウにいきさつを聞いて勇んで参戦した。
しばらくして、ようやく行き先が決まった時は、冬里以外の3人は百メートル走でもして来たかのような疲れっぷりだった。
「ハア、ハア、ようやく決まったわね」
「ウハア、由利香さんがとんでもない事ばっかり言うからですよ」
「失礼ね!」
「それを言うなら、夏樹、お前もだぞ」
「さすがね! 椿」
決まったあともギャアギャアとうるさい3人だっが、
「お疲れ様でした。少し気持ちを落ち着けませんか」
と言いながら、ティーカップを乗せたトレイを持って現れたシュウに目が行った。
良い香りが漂うハーブティと、オーソドックスなビスケット。
いつものマグカップではなく、それぞれの好みにぴったりあわせた美しいカップアンドソーサーは、それだけで心が華やいでいく。
「わあ、素敵ねえ」
「これだから鞍馬秋はやめられない」
「なんだよそれ」
椿のおどけた言い方に、ちょっぴり苦笑いのシュウだったが、各々に飲み物を配り終えると静かに言い出した。
「今回は、日本全国美味いものめぐりと言う事ですので、私は参加しませんね」
爆弾発言(そんな大層なものか?)に、一瞬固まっていた3人が、またワーワー言い出した。
「え? 鞍馬くん行かないの?」
「せっかくなのに」
「し、シュウさん! なんでですか? 行き先が嫌だったとか? だったら変えますから!」
シュウは困った様子で3人をなだめていたが、最初からこの展開を予想していたかのような約1名。
「だって、日本全国美味いものめぐりだもん。もともとシュウは参加してなかったしね。今回はそれに由利香と椿が乗っかった形でしょ?」
ふふん、と読めない笑顔で言う冬里に、顔を見合わせている椿と由利香。
夏樹はそれでも納得できない様子だったが、しばらくしてあきらめたように黙り込む。
そんな夏樹を見て、また困ったように微笑んだあと、今度は少しおどけた様子を見せるシュウ。
「ツアーと言う事で、移動は電車かバスですよね。それなら偶数人数の方が座席がピッタリ埋まって良いのでは」
「ええっと、まあそうかも」
「それから、夏樹」
「……はい」
返事の遅れた夏樹には苦笑する。
「今回も宿題を出すよ。食べた料理からヒントを得て、新しいレシピを考えること」
「え? ええっと……、……はい! 頑張ります!」
ようやくキラキラが戻ってきた夏樹に、冬里がニッコリ笑って言った。
「これにて、一件落着~」
そして、日曜日の今日。
朝も早くから、4人は勇んで出かけていったと言うわけだ。
定休日の今日は、当然レトロ『はるぶすと』もない。
シュウは日ごろ出来ない一日ゴロゴロを……、するわけがないか(笑)
恒例の節分仮装(鬼の角カチューシャや角がついたミニ帽子)もすでに終わり立春も過ぎ、どんなに寒くても、暦の上ではもう春だ。
実はシュウは、今日やろうと思っていた事があった。
先日、元由利香の部屋に風を通すため、クローゼットなどの扉を開けていたところ、いつもは目にとまらない箱に目が向いた。見ると「ひな人形」と書かれている。
そう言えば、女の子がいた頃には(由利香の事です(笑)毎年2階リビングにひな人形を飾っていたなと気づく。由利香が嫁ぐ時に当然新居に持って行くものと思っていたが、「部屋が片付くまで預かってて~」と置いていき、結局そのままになっている。さすがここは実家というところか。
そのときに冬里が「勝手に店に飾っちゃうよ」と冗談めかして言っていたが、「いいわよ、おひな様も沢山の人に見てもらえた方が嬉しいでしょ」と返していたのを思い出す。
今年気づいたと言う事は、飾ってほしいと言う事なのだろう。
由利香のひな人形は住宅事情もあったのか、お内裏様とおひな様だけのシンプルな物だ。
初節句に買ったというそれはなかなかの年代物だ(由利香に言うと怒られるが)。けれどひな人形自体はそんなに古さを感じない。お内裏様もおひな様も、とても綺麗なお顔をされているし、さほど痛んでもいない。
ただ、お道具の方は少しくたびれが見えたので、手が空けば修復しようと思っていたのだ。
そんなときに出た日帰りカニ旅行の話。
ひとりでゆっくりと修復が出来るのは、たぶんこんな時しかないだろうと、カニの方を遠慮させてもらったというわけだ。
焦ることはないと、午前中はこちらも日ごろ出来ない店の入念なチェックをし、そのあとは2階リビングやキッチンやベランダまわりを入念に見て回った。
午後になって、破れていたぼんぼりの和紙を貼り替えたところで、ふと他のお道具にも目がとまる。これはここに少し手を入れれば綺麗になりますね、ああ、これはこうすれば、と、次々直したいところが浮かんでくる。しばしひとりで苦笑していたが、これはもう自分の性分だろう、仕方がないかと修復を始めるのだった……。
ガチャ
ふいに階下で音がした。
「あれ? シュウさん出かけてるのかな」
夏樹の声もする。
気が付くと外は真っ暗で、作業をするためにスタンドライトをつけたテーブルのまわりだけが明るくともされている。
そんなに長く時間がたっていたのだ。
ガチャ
すぐあとで、当然のごとくリビングのドアが開き、部屋の明かりがつく。
「え? わ! シュウさん、明かりもつけずにどうしたんすか?」
すると、続いて入ってきた冬里が、なぜか声を抑え気味に言う。
「ひとりこっそり見たい動画、とかがあったんだよねえ」
「え? ひとりこっそり見たい動画って、なんすか!」
また冬里にからかわれる夏樹に、2人分のため息をついてシュウが言う。
「そんなもの、どこにあるの? 違うよ夏樹、お道具の修復を始めたら止まらなくなってしまったんだよ」
そう言ってテーブルの方に目をやると、ちょうど由利香が入ってきて、綺麗になったお道具を見つけたところだった。
「わあ、おひな様のお道具だわ。しかも、すっごく綺麗になってる。鞍馬くんがしたの? さすがねえ、すご~い」
「どれどれ。ああ、結婚する前に2階リビングに飾られてたやつか。まだ実家に置いてあったの? どうりでうちでは飾らないはずだな」
由利香に続いて入ってきた椿も、感心したように眺めている。
「おひな様のお道具?」
ようやく夏樹も気が付いたようだ。
修復されたお道具の数々を、ためつすがめつ眺めている。
3人は「わあー」とか、「へえー」とか、口々に言いつつしばらくそれらを眺めていたが、ふいに由利香がパチンと指を鳴らす。
「いいこと思いついた。こんなに綺麗になったんなら、どうせなら店に飾りましょうよ」
「え、おひな様をっすか?」
「じゃあ飾るのは3月だな」
「ううん。たしかおひな様って立春を過ぎたら出してもいいのよね。ね?」
最後の「ね?」は、こういうことに詳しいであろう冬里に向けて言った。
「そうだね」
冬里は珍しくややこしいことを言わずに頷いている。
「じゃあ、決まりー!」
オーナーの一言は誰よりも強いのだ。由利香は旅の疲れもどこへやら、とっととおひな様の入った箱を持ち上げて裏階段へと向かう。
すると、さっきはおとなしかった冬里がいたずらっぽく言う。
「いつまで飾ろうかな~、もう由利香は行き遅れる事はないから、4月まで飾っちゃおうか」
「行き遅れる?」
夏樹が不思議そうに言うと、キッと冬里を睨み付けていた由利香があきらめたように説明する。
「あのね、ひな祭りって3月3日でしょ。でも、祭りが済んだらとっととしまわなくちゃならないんですって。でないと、そこの家の子がお嫁に行き遅れるって言う、まあ言い伝えみたいなものががあるの」
「へえ、面白いけど、変な言い伝えっすね。なんでなんすか?」
「知らないわよ」
諸説あるのだろうが、本当のところは誰も知らないと言う事が、この世にはままあるものだ。
そんなやり取りを可笑しそうに見ていたシュウだが、そう言えばまだ肝心のことを聞いていなかったなと問いかける。
「カニはどうでしたか?」
ハッと気づいてそちらを向いた由利香がぱあっと満面の笑みになる。
「美味しかったわよお~もう、聞いて聞いて」
けれど、
「シュウさん! 新しいレシピ、いっぱい思いつきました! あとで絶対見てくださいね」
カニと聞いて黙っていられないのが約1名。
由利香は出鼻をくじかれたのでおかんむりだ。
「ちょっと! 私の感想が先よ! 」
「なんでっすかあ。俺だってレシピ見てもらいたいです」
リビングから裏階段へと続く廊下に、2人のうるさい声が響き渡っていた。
店の暖炉にしつらえられたマントルピースの上、和洋折衷な感はあるが、いざ飾ってみると、それはしっくりとそこに溶け込んでいる。
「素敵ねえ、サイズもピッタリよ。まるで最初からここに飾られるようにあったみたいね」
「ふふ、由利香にしては詩的で良い表現だね」
「私にしてはって、何よ!」
「まあまあ」
ワイワイといつものごとくうるさいオーナーと従業員を眺めながら、シュウはさきほど由利香が飾り付けをしながら口ずさんでいた歌を思い浮かべる。
灯りをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花
ひな祭りは女の子の健やかな成長を願う日だと聞くが、シュウは、女の子だけではなく、すべての子どもたちに、すべての子どもたちが生きる世界に、灯りがともり続けるようにと願わずにはいられない。
願わくば、すべてが平和で明るく穏やかであればいい。
春が、やってきた
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
『はるぶすと』第29話 終了です。
またまた作者の得意技(笑)日々の歳時記です。
『はるぶすと』シリーズは、こういう日々のちょっとした事をエッセー風に書くのが面白くて、やめられまへん(笑)
でも、子どもたちだけに灯りがともるんですかあ、と、聞かれたあなた。いえいえ、なんのことはない、彼ら千年人にとっちゃあ、私たちなんて、みんな子どもみたいなもんすよ?
と、オチが決まった?ところで。
『はるぶすと』は今後も営業を続けて参ります。
皆様のお越しを、こころよりお待ちしております。