第2話 急な寒さには熱いお茶を
今日もいつも通りのランチの時間。
そこそこに忙しく、そこそこに楽しく面白く。
いつもより少し早めに最後の一食がオーダーされたので、夏樹が「OPEN」の札を「CLOSE」に変えるために、出入り口へと飛んで行った。
「ありがとうございました!」
そうして、最後のお客様が満足そうな様子で出て行かれると、いつもなら「あー今日も楽しかった!」と、夏樹がうーんと伸びをして言うのがお決まりだ。
けれど、今日は少し事情が違っていた。
コトン……。
料理をサーブする音、炒め物の音、揚げ物のジャッと言う小気味よい音、食器がふれあう音、お客様の楽しそうな話し声、Etc. Etc.
その音の洪水に混じって聞こえた、ささいなノイズ。
たぶん彼ら3人以外には聞き取れなかったほどの小さな小さなノイズ。
裏玄関で、音がしていたのだ。
もちろん営業中はそぶりも見せない彼らだったが。
「タマさんっすかね?」
タマさんと言うのは、『はるぶすと』の守護猫にして相談役の猫の事だ。
「わしがどうした?」
「わっ」
夏樹が裏階段から外を見てみようと扉を開けると、そこにタマさんがちょこんと座っていた。
「あ、タマさん! さっき中へ入りましたか?」
「うんにゃ」
「そうっすか、だったらやっぱり風か何かの聞き間違いだったんすねきっと」
と、タマさんを招き入れて裏玄関を閉める。
「どうしたんだ?」
「さっき裏で音がしたんすよね」
「音くらいするだろ」
「あーでもなんつうかちょっと違和感が……」
夏樹が首をひねって考えていると、冬里が2階から顔を覗かせる。
「あ、夏樹、ちょうど良い。ちょっと来てよ」
「へ? なんかあったんすか?」
「うーん」
冬里が珍しく言いよどんでいるので、夏樹はなんだろうと2階へ上がる。
夏樹がそこで見たものは……
「ひえっ」
リビングに先日出されたこたつ。その一部分が盛り上がっているのだが、そんな盛り上がったこたつ布団の端から、断末魔のように空を掴む手がニュッと伸びている。
「だだだ、誰っすか!? なんっすか? ととと、冬里~」
夏樹が恐ろしそうに冬里を見やるが、なんと、冬里の方が先に夏樹の影に隠れてしまう。
「誰だろう~、もしかしてミイラ?」
「え? そんなまさか」
「僕、幽霊とかは平気なんだけど、屍はちょっと……、ねえ、夏樹、ちょっとこたつ布団めくって見てみてよ」
「え? 俺が?」
「うん」
「嫌ですよお、こういうことは冬里の方が向いてる……」
そこまで言った夏樹が冬里を見た途端、目を見張り息をのんだ。
あの!
あの冬里が!
涙目になって、さも恐ろしそうに震えているのだ。
「だって……夏樹の方が……、ガタイいいし……、いざとなったら」
蚊の鳴くような声でつぶやく冬里。
そんな様子を見てしまったからには、夏樹の騎士道精神と正義感が大きく燃え上がる。
「わかりました! 冬里に怖い思いはさせません!」
「ありがとう」
言いながらうつむいた冬里の唇がニヤリとゆがんだ。
とは言え、夏樹だって本当はちょっと怖いのだ。ミイラ? ……そんなはずないよね。
そろり、そろりと近づいて、恐る恐る布団に手をかけたところで、
「わあっ」
冬里が急に声を上げた。
「うわあっ、なんすか! なんなんすかー」
夏樹は飛び上がって慌てて冬里の後ろへ隠れてしまう。
「いい加減にしなさい、冬里」
そこへリビングの入り口から声がした。
振り向くと、それは遅れて2階へ上がってきたシュウだ。
「あ、シュウさん! こたつに~ミイラが~屍が~」
「まったく……、冬里、夏樹で遊ぶのもほどほどに。それよりも、夏樹、よく見てみて」
と、こたつを指さしたところで、先ほどからの騒ぎがうるさかったのか、出ていた手がぐぐっと動いて布団を剥ぎ取り顔があらわになる。
「へ? 由利香さん?」
そう、それは紛れもない由利香だ。
「えーなんだよビックリしたあ。けど今日は平日っすよね。なんでこんなところにいるんすか?」
2人に聞くが、シュウは首を横に振り、冬里も肩をすくめている。
「シュウが知らないことを僕に聞かれてもわからないよ。夏樹のところに椿から連絡入ってない?」
「え? いや昨日も今朝も入ってませんでしたけど」
そう言いながら、リビングの留守電やファックスを調べ、何もないとわかると「ちょっと携帯見てきます」と部屋へ入っていった。
しばらくして夏樹が首をひねりながらリビングへ入ってくる。
「椿から連絡入ってたんすけど、……なんか要領を得ないというか……」
「なんだって?」
「はい、ええーっと、〈由利香を頼む、俺は行けないんだ、夏樹、あとのことは頼んだぞ〉って、ちっともわかんないっすよね」
「要するに、由利香が来るからよろしくって事じゃない? 経過はわかんないけど」
「そのようっすね」
2人がああだこうだ言うやり取りの横で、シュウが苦笑気味に言う。
「察するに、会社で調子が悪くなった由利香さんが早引きをしたのだれど、椿くんは一緒に帰れなくて夏樹に助けを求めたと言う事かな」
「! それっす! さっすがシュウさん。けど、椿はなんでか由利香さんのことになると見境がなくなるんすよねえ、情けない」
「ふふ、まあ惚れた弱みなんじゃない?」
ぷう、とふくれる夏樹をなだめた冬里が「さて、どうやって起こすかな」と腕組みをする。
「起こすんすか? だったら今度こそ冬里がして下さいよ」
「ええ~なんで~」
「だって由利香さん、無理に起こそうもんなら、もんのすごく機嫌が悪いんですもん」
さすがに長年寝起きを共にしていた夏樹、由利香の寝起きの悪さも知っている。
「夏樹」
するとシュウまでが夏樹を呼ぶ。
「え? シュウさんまで俺に起こさせるつもりっすか?」
「違うよ。こたつで寝ているのはあまり身体に良くないから、寝室に運ぼうと思って。由利香さんの部屋のベッドをきちんとしつらえてくれるかな」
「あ! そういうことっすか! ラジャです」
そう言うと、夏樹は元由利香の部屋に飛んで行った。
「ふふ、やっぱり過保護。姉にも弟にもね」
面白そうに言う冬里は、夏樹の邪魔をしに? リビングから出て行った。
そのあと、由利香は夜になって椿が血相を変えてやってくるまでぐっすり眠っていた。
「じゃあなにか? あまりにもぼんやりして使い物にならない由利香さんを、後輩たちが心配して無理矢理早引きさせたってこと?」
ここは『はるぶすと』の2階リビング。
本日のデイナーはふた組だけだったので、珍しいことに夏樹が店をシュウと冬里に任せて、里帰り? している2人のために夕飯などを作り、ワイワイと食べ終えて、今は椿と2人で洗い物をしているところだ。
「うん。今朝からなんかぽわんとしてたんだけどさ、仕事に行ったら目が覚めるかなと思ってたら大間違いだったんだよ」
話をかいつまんで言うと、朝からぼんやりしていた由利香だが、いつもなら会社へ行けばシャキっとなるはずなのだ。けれど今日は、なぜだか凡ミスが多く、心配になった後輩が休憩させようと手を取ったのが始まり。
「うわ! 由利香先輩、手が冷たーい」「え? どれどれ、ほんとだあ」「これは超低体温! そりゃあ頭も働きませんよ。由利香先輩、今日はもう早引きしなさい!」「え? ええーっと……」「ほら、いつもの覇気がない! 上司と椿先輩には私たちが連絡しておきますから」「ええ~」
と、そういうわけで、ロッカーに連れて行かれ、着替えをさせられ、帰ることになってしまったのだが、とりあえず椿にメールを送る。
その椿は今日に限って午後から社員研修の講師を任されていたため、一緒に帰るわけには行かなかった。慌てた様子で来た返事は、1人で家に帰って倒れたら困るから、必ず! 絶対に! 実家へ帰ること! との厳命だったというわけだ。
「にしても、店にいる間は電話もメールも見ないって知ってるだろ? 椿らしくもない」
「あ~、あはは、ごめん」
「ほんと、椿は由利香さんが絡むとポンコツなんだから」
「誰がポンコツですってえ」
キッチンでの話が聞こえたのだろう、由利香がこたつから文句を言う。クッションとかが飛んでくるかな、と身構えた夏樹だったが、由利香も店にいる彼らに声をかけずじまいだったので、そこはほんの少し反省していた。
「さすがにほぼ徹夜はもうきつい歳なのかなあ、ちょっと前まで全然平気だったのに」
実は由利香は昨夜、ずっと続きが読みたかったミステリーを書店で見つけてしまい、喜び勇んで購入した。けれど読み始めたが最後、あっと思ったときにはもう夜が明け始めていたのだ。
「そうっすよ、由利香おばさん」
「なんですって!」
今度こそクッションを持ち上げようとした由利香が、やってきた夏樹がトレイにケーキを乗せているのを見て、あわててクッションから手を離す。
「わあ、どうしたのそれ」
「椿が買ってきたんすよ、皆を驚かせたお詫びだって」
「ふふーん、さすがは椿ね。気遣いは一流だわ」
「誰のせいだと思ってるんだよ」
夏樹のあとから、椿があたたかい紅茶を運んできた。
「ありがとう、と言いたいところだけど、寝てたから喉が渇いちゃって。私はアイスがいいなー」
「ええー?」
不服そうに言う椿だが、そこはやはり椿。由利香のお願いには逆らえないので、アイスティを入れに行こうとしたのだが。
「だめですよ」
裏階段の出入り口から声がした。
「あ、シュウさん。ディナー終わったんすね、どうもすんませんでした」
「いや、大丈夫だよ。それより由利香さん、ここのところ急に寒くなったのですから、幾ら喉が渇いていても、アイスはやめた方がよろしいですよ」
「ええ? 不満~」
ぷう、といつものごとくふくれる由利香を見ていたシュウが、唐突に言う。
「由利香さん、あっかんべーをしてみてくれませんか?」
「え?」
「へ?」
「は?」
これにはそこにいた夏樹と椿もビックリだ。
「ええーっと、あっかんべーって、あの、あっかんべー、よね」
「はい」
ニッコリと微笑むシュウに驚いた様子の由利香。
そこへ。
「あっかんべー」
「わあ」
いつの間にそこにいたのか、冬里が絵に描いたようなあっかんべーをする。
「ほら、これのことだよ、ねえ? シューウ」
「そんなの知ってるわよ! べーだ!」
ちょっとイラッとした由利香も、思い切り舌を出してあっかんべーをした。
「はい、そのまま、……失礼します」
するとすかさずシュウが、舌の様子とまぶたの裏を確認する。
「え? え?」
「やはり。……由利香さん、代謝がかなり落ちていますね。これでは手が冷たいのも頷けます」
「え? あっかんべーをしろって、舌とか目の裏とか見たかったの?」
「はい」
またニッコリ微笑むシュウに、由利香はガックリと肩を落とす。
「それならそうと言ってくれれば……、ハッ、鞍馬くんって舌とか目の裏とか見ただけで身体の調子がわかるの? 凄い! お医者さんみたい」
「そんなの当たり前だよ、だってシュウだもん」
「シュウだもんって」
あっけにとられる由利香に、今度は冬里がいたずらっぽく微笑んで言う。
「そんなことより、今年ってものすごく暑かったからさ、どうせ由利香、いつでもどこでも冷たい物ばーっかり飲んだり食べたりしてたんでしょ」
「う」
痛いところを突かれた由利香。
「だって、皆もそうでしょ。この間まで、本当に秋かー! ってほど暑かったんだから」
「それでも、朝夕はかなり気温が落ちていましたからね。それに由利香さんのように、日中は冷房の効いた部屋で仕事をされる方は、特に冷たい物ばかりとるのは良くありませんよ」
「良くありませんよ……って言われても、今さらどうしようもないし~」
またぷう~とふくれる由利香に微笑み返したシュウが言う。
「今さら、ではありますが、今からでも身体の内側から温めていけば大丈夫ですよ。今日は熱い薬膳茶をお入れしましょうか」
「薬膳茶? ハーブティみたいなもの?」
「ハーブティはヨーロッパや北欧などで飲まれますが、薬膳茶は古代中国医学の漢方の考えを元にして、その方の体質や体調に合わせてレシピを作る、言わばオーダーメイドのお茶ですね」
「へえ、凄いわね。じゃあお願いするわ」
「かしこまりました。ちなみに由利香さんは食べ物などのアレルギーはありませんか?」
「うん、ほとんどない」
由利香の返事を聞いたシュウはひとつ頷くと、キッチン横のパントリーへ入っていく。
話を聞いていた夏樹が、またまた慌ててあとを追う。
「ちょっと面白そうだから、俺も行ってくる」
そして椿までが、2人のあとからキッチンへと行ってしまう。
そんな様子を興味深そうに見ていた冬里が、ふうん、とひとつ頷いて由利香に話しかけた。
「愛されてるねえ、由利香」
「え? なによ突然」
「椿はさ、きっと由利香の体調を立て直すために薬膳茶を教えてもらいに行ったんだよ」
ちょっと驚いていた由利香だが、
「まさか~面白そうって言ってたじゃない」
と、こちらも可笑しそうに言う。
「どうかなあ」
ふふん、と微笑む冬里に肩をすくめる由利香だった。
しばらくすると、キッチンからあたたかい香りが漂ってくる。
「黒豆って身体を温めるんだよな」
「ショウガは知ってるけどな。けど、なつめなんてなかなかお目にかかれないよな」
「そうか? うちにはいつでもあるぜ」
「はあ、さすが鞍馬さん」
「なんでそこでもシュウさんなんだよ」
わいわいとうるさい兄弟のBGM付きだ。
やがてそれもおさまると、夏樹がトレイを手にこたつへとやってきた。
「お待たせしましたあ」
トレイの上には大小のポットが2つ。
「この小さい方が由利香さんのですって。えーと、身体を温めて、お肌の調子も良くして、あとなんだっけ」
「疲れにも効く」
あとから、マグカップを乗せたトレイを持ってきた椿が補足する。
「あ、そうそう」
「へえ、凄い」
「由利香の体調に合わせたオーダーメイドだぜ」
「わあお」
そして、もう一つのポットの説明をする夏樹。
「この大きい方は、あとの4人の分。特にひどい冷えもないんで、ごく一般向けの、でも、お肌の調子が……えーっと椿が気になるって言ったから、そのあたりの改善は入ってるって」
「椿ってそんなの気にするんだ」
すると冬里がちょっと意外そうに言った。
「え? いや、今の男子はたいていそうですよ。俺より若い奴なんて、もっとずっと気を遣ってますよ」
「へえ、そうなの?」
由利香にも聞くと、うんうんと頷いている。
「そうよお、最近は男子も大変なの」
「ふうん」
そんな会話の合間に、椿が持って来たマグカップに各々の薬膳茶を注ぐ。
「へえ、こっちが私専用? もしかして鞍馬くんの本気入り?」
おどけて言う由利香に、シュウは苦笑気味だ。
「いいえ、食物が本来持っている自然の力は、私の本気などとは比べものになりませんよ」
「そうなの? でも鞍馬くんの本気がこもったものって凄いじゃない」
「それは……」
言いよどむシュウに冬里が横から口をはさむ。
「シュウの本気はね、身体だけじゃなくてこころにも働くの」
すると由利香は、納得したようにポンと手を打つ。
「ああ、なるほど」
うんうんと頷く由利香に、シュウが苦笑したところで。
由利香がマグカップを持ち上げた。
「いただきまーす」
他の4人も、それぞれのカップに注がれた熱々の薬膳茶を思い思いに楽しんでいる。
しばらくすると、由利香が何かに気づいたようだ。
「あ……」
「どうした?」
心配そうに聞く椿に、嬉しそうに言う由利香。
「なーんかねえ、お腹のあたりがほわんとあったかいの」
「へえ、そうか、それは良かった」
「もう効き目があったって事っすよね」
「由利香は気が短いから、薬膳も気を遣ったんじゃない?」
おどけて言う冬里に、「なんですって」とこちらもおどけながら返す由利香。
そんな2人を笑いながら見ている椿と夏樹。
微笑むシュウ。
こうして、あたたかい夜は更けていく……。
それからしばらくして。
休みになると、椿が「2階リビング料理教室」に通うようになった。
薬膳の話を聞いた彼が、お茶だけでなく、ありきたりの食材を使って冷えや疲れに効く料理を教えてもらいたい、と、シュウに根気よくお願いしたからだ。
はじめはレシピをお渡ししますと言っていたシュウも、椿の熱心さに負けて「では、お互いの休みが合うときだけ」と了解したのだった。
この料理教室には、もちろん! 夏樹も参加している。
由利香は?
「椿にお任せするわ~」
と、料理教室が開催されている間は、茶飲み友だちの冬里と時にはタマさんも加わって、こたつでまったりと過すと言うお決まりのコースだ。
時を同じくして。
あるとき、冬里がうっかり? (いや、きっとわざとよね!)常連のマダムに薬膳茶の事を話してしまった。試しにと薬膳茶を堪能されたマダムは口の重い方でしたので、そんなに広まりはしなかったのだけど。
それから『はるぶすと』に、知る人ぞ知る裏メニューが登場したらしい。
〈その日の貴女の体調に合わせた薬膳茶はいかがですか〉
って言うのがね。
ようこそ『はるぶすと』へ。
裏メニュー? いえいえ、そんなもの、ありませんよ。
ただ……。
足繁く通って頂いて、従業員と相当懇意になってくだされば、もしかしたら……。
いろんな噂がありますが、『はるぶすと』は本日も通常通り営業しております。