第1話 遅い秋
今年は記録的に秋が暑かったそうで、紅葉もなかなか進まず、木々が色づかないまま冬になるのではと思うほどだった。
けれど、12月に入ると急に気温が下がり始め、今まで待ったをかけられていたかに見える木々たちが、まるで息を吹き返したように一斉に赤や黄色に染まり始めた。
遅くなった詫びなのだろうか、その色の鮮やかさと紅葉の進み具合の早さに目を見張る毎日だ。
秋から冬にかけては水やりと言うより庭掃除がメインの夏樹が、
「あ~、掃いても掃いてもどんどん降り積もる落ち葉さん~」
などと節をつけて言いながら箒を動かしていると、オープン目当てにやってきたマダムが可笑しそうに声をかけた。
「いつもご苦労様ね」
「あ! いらっしゃいませ! ちょっと待ってて下さいね、すぐに庭の通り道を綺麗にしますんで」
先に表通りの落ち葉を掃き清めていた夏樹は、フットワーク軽くくるりときびすを返すとエントランスまでの道をあっという間に綺麗にしてしまう。
「まあ、まるで魔法みたいね」
「いえ、それほどでもございません。では、どうぞお通りください」
そう言いつつ、うやうやしく胸に手を当てる夏樹にマダムがまたころころと笑っていると、カラン、とドアベルの音がした。
「お待たせしました。いらっしゃいませ、ようこそ『はるぶすと』へ」
「OPEN」の札をかけながらドアを大きく開いて、優雅にマダムをお招きするのは、言わずと知れたこの店のオーナーシェフだ。
エントランスの階段で当たり前のように手を差し伸べるシュウに「ありがとう」を言いつつ、彼女は楽しそうに店の中へと消えて行くのだった。
また別の日。
シュウは今日もいつもの時間に起きて、いつものように庭の手入れを始める。
12月に入って日が昇るのが少しずつ遅くなっている。
あと二週間あまりで冬至という日の朝のことだ。
遠くから、ザッザッ、と地面を蹴る音が聞こえてきた。この時間に店の前を通る者は大体決まっていて、ランニングをする彼もその1人だ。以前は由利香と夏樹もシュウの提案で早朝の散歩? をしていたのだが、由利香の独立(結婚とも言う)と同時にそれもなくなり、今となっては懐かしい限りだ。
そんな事を考えながら手入れを続けていたのだが、いつもは軽く会釈をして通り過ぎるその人が、今日は何故かシュウの前で歩みを止めた。
「?」
怪訝な顔でそちらを見やると、彼は少しはにかんだように苦笑しつつ「あ、いえ、特にどうと言うわけではないんですが」と、話しかけてきた。
「はい」
シュウは手を止めて話を促すように彼を見やる。
「さっきね、ここへ来る途中で初めて霜が降りているのを見つけて」
「はい」
「12月に入るまで見なかったので、ああ、やはり今年は季節が遅いんだなあ、とちょっぴり感慨にふけってたんですよ。それで、貴方はいつも庭の手入れをされているので、ここはどんな感じかな、とつい声をかけてしまいました」
「ああ、そうでしたか。……はい、仰るとおり私もつい先日、ようやく霜が降りているのを確認しました」
「そうですか!」
彼は何故か嬉しそうだ。
「今年は……」
とそう言ったきり言葉が途切れるシュウ。
「?」
今度は彼の方が怪訝に首をかしげる番だ。
「12月が霜月になってしまいましたね」
微笑んで言うシュウに、彼はまた嬉しそうにポンと手を打つ。
「本当だ! 霜月で師走で。この12月はいつにも増して駆け足ですね」
「はい、ですがあまり急ぎ過ぎませんよう、どうかお気をつけて下さい」
「え? あ、はい、了解です。お手間を取らせました」
そう言うと礼儀正しく頭を下げて、彼はまたリズム良く走り去っていく。
微笑みつつその後ろ姿を見送って、シュウもまたいつもの手入れに戻っていった。
庭の手入れを終えて店に戻ったシュウは、ふと気づく。
「そう言えば……今年はまだでしたね」
「おわっ! こたつが出てる! なんか今年は暖かかったんで、もう出てこないのかなあってちょっと心配で」
そんなに手間でもないので、夏樹が起きてくる前にしつらえが終わったこたつ。それを見た彼がおおいに喜ぶ姿を見て苦笑しつつ聞いてみる。
「それなら言ってくれれば良かったのに」
「いや、なんて言うか、シュウさんが忘れるはずないよなあって思って。だったら今年は出さないつもりなんだ~って、ちょっとガッカリしてたんすけど」
「私にだってうっかりはあるよ」
「へ? まさかあ」
「夏樹はシュウの事を、神さまか何かだと思ってるんだよねえ~。おはよ~」
そこへ、うーんと伸びをしながら冬里がリビングへ入ってきた。
「ええっと、そこまでは……。あ、でも料理に関してはあながち間違いじゃないかも……」
「ふふ、だってよ、シュウ。……で、その神さまにお願い。今朝はスパイスの利いたチャイティが飲みたいな~」
そう言い置いて洗面所へ消える冬里に、シュウは「誰が神さまですか」とため息をつきつつもキッチンへ入っていく。
「スパイスの利いたチャイティ……」
つぶやいた夏樹がハッと我に返る。
「シュウさん! どんなスパイスで作るんすか!」
言いながら慌ててキッチンに突進していくのも、いつもの光景だ。
遅かった秋もようやく本番。
色づいた銀杏の黄色に、天高く晴れ渡った青空が、ことのほか美しく広がっていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
『はるぶすと』第29段、始まりました。
季節の移り変わりを書いていこうかなと。一つ一つは少し短めになるかもですが、どうぞごゆるりとお楽しみくださいね。