90.後はお任せです
幼馴染達にフレデリックとエミリアの兄妹だけの気楽な晩餐を終えると、リリアンナはエドワードと共に客室へと戻った。
ロザリーをはじめとする侍女達は心得たもので、お茶の準備を済ませると素早く退室していく。
本来はまだ婚約者なのだから、完全な二人きりにはならないよう僅かに扉を開けておくべきだが、今更だとばかりにきっちりと閉められている。
褒められたことではないが、オルフェウス侯爵家のタウンハウスでも密室状態で二人きりになるのはいつものことであるし、そこで使用人達には聞かせられない話をするのもよくあることだ。
婚姻前にリリアンナに対し度を越した不埒な真似をするのは不可能だという、絶対の安心感があることも一つの要因ではある。
だが一番は、ロザリー達使用人が余計な話をうっかり耳にしてしまうのを防ぐ為だ。
それとは別に、二人の甘い空気に当てられたくはないというのも、紛うことなき本音ではあるが。
ロザリー達の予想通り、二人きりになり先ずはお茶を口にすると、エドワードは早速リリアンナに構い始めた。
ソファーに隣同士でくっ付いて座り、リリアンナがカップをテーブルに置いたことを確認すると、その肩を抱き唇を寄せる。
そのまま軽く触れ合わせるだけのキスを交わすところまでは、リリアンナにとっても許容範囲だ。
だがそれが深いものに変わる気配を察すると、リリアンナは両手でエドワードの顔を挟み、無理矢理彼の顔を押しのけた。
「……リリィ、流石にこれはあんまりじゃないかな?」
「話をする前に、こういうことをしようとするからでしょう? どうしてそこは学習してくれないのよ……」
「リリィが可愛いから仕方ないよ」
「そういう問題ではないと思うわ……!」
臆面もなくそんな恥ずかしいことをさらりと言うエドワードを、更に顔を赤くしたリリアンナが上目遣いで睨む。
これは見上げる形になったから自然とそうなっただけで勿論狙った訳ではないが、エドワードに対しては完全に逆効果だ。
暫しそのまま唇だけでなく額や頬にもキスしたりそれを避けたりの攻防を続けると、漸く満足したエドワードは改めてリリアンナの肩を抱き寄せ、髪を梳くようにゆっくりと撫でた。
「侯爵家の私の部屋で会う時の約束を、ここでも適用してもらえないかしら……」
「ここはオルフェウス侯爵家のリリィの部屋ではないからね。当然それは無効だよ」
これでもかと言うほど顔を赤くしたリリアンナが消え入りそうな声でそう訴えると、あっさりとそれを却下される。
約束というのは、エドワードがリリアンナの部屋を訪れた直後のキスは、軽いのを一回のみというやつだ。
少し意地悪な笑みを浮かべるエドワードを恨めしげに睨むと、リリアンナは大きく息を吐き出し気持ちを切り替えた。
「それで、陛下は何と仰ったの?」
晩餐の前に、エドワードは遠距離通信用の魔道具で、父であるフォレスト国王と連絡を取っている。
こうして二人きりになっているのは、そのことを聞かせてもらう為だ。
それに関係なくエドワードがリリアンナと二人きりの時間を作るのはいつものことだが、今は話をする方が先である。
顔が赤いままながらも表情を切り替えたリリアンナに、エドワードも気持ちを切り替えると、父との遣り取りを話し始めた。
「取り敢えず、ゲルグの目的には絶句してたよ」
「それは、そうでしょうね……」
国で一番高貴な女性である王妃を好き勝手にできたら面白そうだなどと言う巫山戯た理由で、王宮に侵入するという大それたことを企て、何種類もの媚薬を作らせようとしていたのだ。
そんな馬鹿げた理由で王宮に侵入しようなどと、一体誰が考えるだろう。
呆れて絶句するのも当然のことだった。
「素で頭がおかしいのか、それとも様々な薬に手を出しておかしくなったのかって呆れてたよ」
「薬ね……。確かにそれで頭がおかしくなったと言われても納得できるほど異常ではあったわね」
ゲルグが手錠を嵌められた両手首を机に打ち付け始めた時に、精神異常を疑いたくなる程の不気味さを感じたのは事実だ。
それに、ゲルグ自身がそうした行為を愉しむ為に媚薬を服用していた可能性は否めない。
それ以外にも、様々な薬に手を出した可能性は、彼がいた環境を考えると充分に有り得ることだ。
無論あれが素であることも考えられるが、薬の影響だと言われた方がすんなりと納得できる気がした。
「でもこれ以上は、僕達が余計な口出しをすることでもないしね」
「そうね、後はランメル王国やフォレストから派遣した魔法士達に任せるべきことだわ。それに、私達が口出ししなくても、既にその可能性は疑っているでしょうしね」
ゲルグがリリアンナのところではなく侍女達の宿舎へと向かった理由が気になったので取り調べを見学させてもらったが、本来なら全てランメル王国の騎士団に任せるべきことだ。
ゲルグの取り調べは明日以降も続くが、リリアンナもエドワードも、彼の取り調べにこれ以上関わるつもりはなかった。
「ゲルグとガルド以外は、王宮とは別の場所にある収容施設に捕えられているのよね?」
「そちらの方が収容人数が多いらしいからね。それに、建国祭間近の時期に、王宮の牢に大人数の犯罪者達を収容するのは避けたいだろうし」
「万が一の事態を考えるとね……」
正直な話、建国祭を間近に控えた状況で、犯罪組織の拠点に突入するという大規模な作戦など決行したくはなかったことだろう。
この時期になったのは、リリアンナ達が自然な形でランメル王国を訪れることができるのが、このタイミングしかなかったからだ。
それを思うと申し訳なくなるが、これは両国間で決められたことなので、とやかく言うことはできない。
それに結果だけを見れば、リリアンナとエドワードが加わったことでゲルグ捕縛がスムーズに済んだのだ。
リリアンナ達が気に病むことはないと、ランメル国王は建前でも何でもなくそう笑い飛ばしていた。
「後は、私達がやるべきことは社交でしょうしね」
「そうだね。明日はブライトン伯爵令嬢達と婚約者候補の令息達との顔合わせか」
「ええ、彼女達と候補者の方々との魔法力の差などをチェックしてほしいと頼まれているのよね」
翌日はいよいよレイチェルの幼馴染の令嬢達と、その婚約者候補となるランメル王国の令息達との顔合わせがある。
都合が良ければそちらに顔を出して、彼女達と令息達の魔法力の差が許容範囲内かどうかを見てほしいと言われていたが、どうやら問題なく参加できそうだ。
「当然、僕も一緒に参加するからね」
「候補者の方々が、萎縮したりしないかしら……」
他国の王太子がいると令息達が緊張するのではないかと心配になるが、エドワードは一切気に掛けていないらしい。
リリアンナを自分のいないところで他国の令息達の前に出すことが、心配で心配でならないようだ。
だが実際には、エドワードよりも自分の方がより彼らに緊張を与えることになるなど、この時のリリアンナには思いも寄らないことだった。