70.新年祭は波乱含みです
国王による新年祭の開催を告げる挨拶の直後、レイチェルの婚約が発表されると、会場が大きく騒めいた。
通常、王族の婚約は学園を卒業する年の卒業パーティーの場で発表されるが、それは王太子、或いは婚約相手が自国の貴族であった場合だ。
今回は第一王女と隣国の王太子との婚約であることから国同士で話し合った結果、この時点で発表されることに決まった。
これは今回に限らず、王族が他国に婿入りまたは嫁入りする際には珍しいことではない。
だがまだ十三歳であるレイチェルの婚約が発表されたことに、多くの者が驚いている。
それでも一部を除き、誰もが喜び祝福していた。
そうではない一部は、恐らくレイチェルを妻にと目論んでいた者達かまたはその親達だろう。
彼らは全員が伯爵家の中でも序列が中位から下位の家であり、王女を妻に迎えるには家格が釣り合わない。
それなのに何故、そんな望みを持てたのだろうかと不思議なくらいだ。
中にはリリアンナと同じ学年の令息も数人いるが、CクラスとDクラスの生徒ばかりであり、王女を妻に迎えたいのであれば、せめて成績は上位にいるよう努力すべきではないかと皮肉の一つでも言いたくなる。
飛び抜けて優れた才能でもあれば、多少家格が低くても王族を迎え入れることができるが、リリアンナが見る限り、彼らの中にそうした話を聞いたことがあるのは誰一人いない。
レイチェルの婚約にショックを受けている全員がそう望んでいたとは限らないが、望む以前の問題である。
彼らの真意を確かめる為、秘密裏に王家の調査が入るだろうが、そこに考えが至る者が果たしているだろうか。
侯爵令嬢としての仮面を被り、一切そうだとは悟らせないままそんなことを考えていると、国王夫妻のファーストダンスが始まる。
その次は王太子であるエドワードとリリアンナのダンスだ。
それが終わると、他の貴族達も踊り始めることになる。
リリアンナは会場中の視線を集めながらエドワードとのダンスを終えると、綺麗な礼をし二人で壁際へと移動した。
ノンアルコールのドリンクで喉を潤しながら会場を見回すと、クリフとミレーヌ、そしてアルフレッドとイリーナのカップルが踊っているのが見える。
今踊っている中で注目を集めているのはこの二組だ。
今回の新年祭では、クリフはミレーヌをエスコートし、アルフレッドはイリーナをエスコートしている。
アルフレッド達の婚約は発表されているので、その婚約者であるイリーナに注目が集まるのはある意味当然だが、まだ発表していないクリフとミレーヌに対しては、もしかしたら婚約するのではと囁く声があちらこちらから聞こえていた。
こちらはこちらで、伯爵家を中心にショックを受けている令息や令嬢が一定数いる。
クリフもミレーヌも結婚相手として望まれることが多く、それとは別にしても人気が高いので、それも仕方がないことなのだろう。
リリアンナへの溺愛ぶりが引かれ、イリーナ以外の縁談が一つもなかったアルフレッドの婚約にまでショックを受ける者がいるのは少々解せないが。
グラスを手にダンスをする人々を眺めていると、よく知った声に名前を呼ばれる。
そちらに視線を向けると、ミレーヌの三歳上の兄であるレナード・ウィステリア侯爵令息と、彼の婚約者でありアリアの妹でもあるキャロル・アルトン侯爵令嬢が笑顔で手を振っていた。
「殿下、リリィ、お久しぶりです」
「レナード、久しぶりだな。相変わらずお前に殿下なんて呼ばれるとむず痒くなるが」
「流石にこんな場所では、気安く呼べませんよ」
リリアンナ達にとっても兄のような存在であるレナードは、仕事以外ではエドワードのことを愛称で呼んでいる。
学園を卒業し騎士団に入団してからは、状況により立場を弁えているので殿下と呼んでいるが、それにエドワードはなかなか慣れないようだった。
「殿下、少し話したいことがあります。リリィにも聞いておいてほしいことです」
「そうか、ならば休憩室に移動しようか」
笑顔のまま声を顰めたレナードに、エドワードとリリアンナも笑顔のままで応える。
グラスを給仕に手渡すと、四人は和やかに歓談しているように見せ掛けながら、王族の為に用意された休憩室へと向かった。
「ガイ・ドリアスが、リリィのことを狙っているらしい」
「どういうことだ? 確か、マーク・ドリアスの弟だよな。貴族籍を剥奪され廃嫡されたマークの代わりにドリアス男爵家の後継になった令息で、歳はレナード、お前と同じだったか」
「ああ、そうだ」
休憩室に入ると同時に普段通りの口調に変え、顔を険しくしたレナードの言葉に、エドワードが訝しげな目を向ける。
マークの事件で、伯爵から男爵へと降爵されたドリアス家の後継がリリアンナを狙うのはどういうことかと、エドワードの目に剣呑な光が灯った。
「リリィに媚薬を盛って既成事実を作ろうと企んでいるようだな。侯爵家序列一位のオルフェウス侯爵家の娘であり、我が国の宝とされているリリィを手に入れれば、伯爵に返り咲けるとか馬鹿なことを考えているらしいぞ」
「何だと……!」
あまりにも無謀で的外れな策略とも言えない企みに呆れ、リリアンナは背筋に寒気を覚えながら目を眇める。
公表されていないとは言え、リリアンナがエドワードの婚約者であることは公然の秘密も同然、そんなことをすれば、王家とオルフェウス侯爵家の怒りに触れるだけだ。
伯爵家に返り咲くどころか、今度こそドリアス男爵家が断絶されることになるだろうに、何故そんなことも分からないのだろうか。
「媚薬が原因で兄が廃嫡され、家も降爵されたというのに、何故それで媚薬を使った騒動を引き起こす気になれるのかしら?」
「あいつは常にDクラスで卒業できたのが謎だと言われるくらい成績も悪かったが、考えることもここまで馬鹿だったとはな……」
リリアンナとレナードが深く溜息を吐き、キャロルは自分の姉の件があるからか、ずっと顔を強張らせている。
エドワードは、できれば認識したくないほど黒いオーラを漂わせていた。
「僕のリリィを、媚薬を盛って無理矢理穢すだと? 余程地獄を見たいようだな……!」
「エド、そうならないよう対策はしているのだから落ち着いて。それに、事前に知ることができたのだから、私なら返り討ちにできるわ」
リリアンナは防御結界だけでなく、状態異常無効化の魔道具も装着している。
仮に媚薬を摂取しても、直ぐにその効果は無効化されるのだから、その企みが成功することはないのだ。
おまけに、リリアンナには王家の影が付いている。
影の仕事には、リリアンナの身を守ることも含まれているのだから、ガイにリリアンナを害することなどできる訳がない。
それ自体が最初から無理なのだ。
「あの家は、どれだけ問題を起こせば気が済むのかしら? ギルバート様と叔父様が子を儲けることができない身体になられたのも、現当主の妹が原因なのでしょう?」
「ああ、体調が悪いのにお茶会に参加して、叔父上とコルト侯爵に付き纏っていたらしいからね」
ドリアス現男爵の妹は、子供同士の交流を目的としたお茶会に出席した僅か二週間後に、病で幼くして亡くなっている。
そのお茶会の直後、ギルバートとトビアスも同じ病に罹り、子を儲けることができなくなった。
ドリアス男爵の妹は、お茶会の時点でその病の兆候が見られていたことから、彼女からギルバート達に感染したと考えられている。
それによりドリアス家は、伯爵家の中で序列を落としており、更に問題を起こして男爵に降爵になったというのに、それだけでは飽き足らないようだ。
「いっそのこと、罠にかけて引導を渡した方がいいのかしら?」
「リリィッ!?」
「いつ仕掛けられるかとずっと警戒するより、敢えて隙を作って、今日中に片付けた方がいいのではなくて?」
リリアンナが心配なエドワードは、彼女を止めようと声を荒げるが、逆にそう諭され唇を噛み締める。
レナードに目を向けると、彼もリリアンナの意見に賛成なようだ。
「エド、リリィが心配なのは分かるが、こいつがそんなあっさりとやられる訳がないのは理解しているだろう? 寧ろそんな杜撰な計画が上手くいくと思うなんて、リリィを侮り過ぎだ。リリィが国の宝だと言われる理由を、思う存分見せつけてやればいい」
レナードにまでそう説得され、エドワードが渋々と頷く。
そうしてガイの企みを打ち砕く為、それぞれが動き出した。