52.地雷を踏み抜いていました
気持ちを取り直すように、エドワードはお茶を口にすると、リリアンナの頭をふわりと撫でた。
「昨日はお茶会と勉強会だったんだよね。Fクラスの子達はどうだった?」
「……入学するまで教育環境が整っていなかったのが惜しいと思ったわ。全員飲み込みが早いし、貪欲に知識を吸収しようとしていたもの。地頭は悪くないというか、寧ろ良い方だと思う」
Fクラスの生徒達の様子を思い出しながら、リリアンナはエドワードと目を合わせる。
マナーはまだまだ拙く、及第点には届いていないが、こちらは淑女コースを専攻しているAクラスの生徒達が、最低でも週二日、放課後に指導してくれることになった。
逆に学業面に関しては、Fクラスであることを考えれば、入学時と比較して飛躍的に向上しているのではないかと思われる。
流石に彼らの入学試験の結果は知らないので想像でしかないが、現時点での学力であれば、充分に進級は可能だろう。
全員が意欲的に取り組み、理解力も高かった。
「確か全員男爵家で、そのうち三人は十年前の大雨で領地が大規模な水害被害を受けていて、後の二人は後継として養子に入った元平民だったね」
「ええ、水害被害を受けた家の子達は、今は何とか財政も立て直せたみたいだけど、領地が優先で後継以外の子達の教育は後回しだったそうよ。三人とも後継ではないから最低限の教育すら受ける余裕がなかったらしいわ」
十年前といえば、ニコラスが論文を発表する前のことで、まだ今のように積極的に治水工事が行われていなかった頃だ。
その時の大雨による被害を教訓に、今は被害が酷かった地域を中心に各地で治水工事が行われているが、領地を立て直すまでには長い時間が掛かっており、漸く落ち着きを取り戻してきたそうだ。
彼らが学園入学までに充分な実力をつけるには時間が足りなかった。
「他の二人は、唯一の後継が病死したり、一人娘が子爵家の後継との婚約が決まったりで、後継として養子に入っているわ。二人とも現当主の甥で、それまでは平民として暮らしていたそうだから、入学までに貴族としての教育が間に合わなかったのも無理はないわね」
彼らが男爵家の養子に入ってから、二人ともまだ二年も経っていないらしく、学園入学までの期間が一年と少しでは、どう考えても時間が足りない。
彼ら全員が入学時にFクラスに振り分けられたのは、それまでに充分な教育を受けられなかったからであり、仕方がないことだと言えた。
「平民から貴族になって間もない場合はどうしようもないけど、充分な教育環境が得られなかったばかりに優秀な人材を取りこぼすかもしれないのは問題があるわね」
「そうだね。その辺りは一考の余地があると思う」
リリアンナが見る限り、彼らは充分な教育を受けてさえいれば、Fクラスに振り分けられることはなかったように思う。
それができなかったばかりに出遅れたのは、正直勿体ないとさえ思えた。
「今回はザボンヌ子爵令嬢の所業が許せなくて、勢いで始めたことだけど、やってみて良かったと思うわ。彼らはもっと伸びるだろうし、何より向上心が高いもの」
そう言い切ったリリアンナに微笑み、エドワードが彼女の髪をゆっくりと撫でる。
それに恥ずかしそうに目を逸らしたリリアンナに目を細めると、彼女達の肩をそっと抱き寄せた。
「彼らも留年はしたくないだろうしね。入学して二年目以降にFクラスに振り分けられるのは留年を意味する。そして病気療養など学業面以外での理由を除き、留年三回で強制退学だ。社交界にデビューはしていても、卒業できなければ貴族として認められないのだから、彼らが自ら意欲的に取り組んでくれるのは喜ばしいことだね」
「ええ、そう思うわ」
二人は顔を見合わせると、お互いに笑みを浮かべる。
そしてエドワードはリリアンナの髪を一撫ですると、彼女の顔を覗き込んだ。
「それにしても、僕とクリフ以外のクラス全員が協力してくれるなんてね。彼らもリリィをいない者として扱うのは苦労しているみたいだし、その原因となったザボンヌ子爵令嬢は相変わらずどころか調子に乗っているからかな?」
「それが大きいと思う。正直私一人では無理だし、協力をお願いするつもりでいたから本当に助かったわ。大勢で一人を追い詰めるような真似をするのはどうかとも思うけど、喧嘩を売ってきたのは向こうだしね」
リリアンナの脳裏に、頬を腫らした二人の姿が浮かぶ。
叩かれたのは一度ずつらしいが、令嬢の力でどれだけ強く叩けばあれほど腫れるのか不思議なほど、二人の状態は酷かった。
他の者に危害を加えなければ、リリアンナもこんなことをしようとは思わなかっただろう。
結果的に彼らの助けになれる状況が作れたのは良かったとは思うが、その切っ掛けとなったアンナの暴行は到底許すことはできなかった。
「態々叔父上がリリィを呼ぶくらいだから、叩かれた令嬢二人の顔は、相当腫れて酷いことになってたんだろう? 叔父上の地雷を踏み抜くわけだ」
「ギルバート様の地雷?」
それは何かとリリアンナが首を傾げると、エドワードがリリアンナから顔を逸らし、深く溜息を吐く。
そしてゆっくり目を合わせると、疲れた表情で言葉を続けた。
「叔父上が学園に通ってた頃、執拗く付き纏っていた令嬢を修道院送りにした話は聞いたことがあるよね?」
「ええ、確かギルバート様の婚約者を自称していた令嬢よね? ギルバート様に付き纏い、他の令嬢が少しでもギルバート様と親しくすれば、自分より高位の相手であっても関係なく牽制していたそうね」
ギルバートに付き纏い、婚約者を自称していた令嬢が、限度を超えているとして修道院送りになり、生家は伯爵家から子爵家に降爵となった話は聞いている。
幼い頃の病が原因で子を儲けることができなくなったギルバートは早々に独り身を貫くことを決めていたので、彼に婚約者がいたことはない。
初めてその話を聞かされた時は、王族相手に婚約者を自称するなんてと呆れたものだ。
「僕も今回の件があって初めて知ったことだけど、その令嬢、相手の顔を遠慮なく叩いていたらしいんだ。伯爵令嬢が公爵令嬢や侯爵令嬢の顔を腫れ上がるほど何度も叩いたもんだから、当然大騒ぎだよ。それに被害者は、高位の令嬢だけではないしね」
「それで、地雷ね……。婚約者を自称するってことは、妄想も酷かったのかしら? その令嬢と重ねていると考えれば、ギルバート様がザボンヌ子爵令嬢に対し、やたら当たりが強いのも分かる気がするわ」
「妄想は酷かったみたいだよ。小説の悪役令嬢ほど愚かなことはしていなかったようだけど、大して変わらないんじゃないかな?」
現実に小説の悪役令嬢と似たような者が実在していたのかと愕然とする。
その事件以降、より貴族の令息及び令嬢の教育が厳しくなったとは聞いていたが、そうなるのも当然だと思えた。
それに、ケイトとフレイヤが暴行を受けた時のギルバートの怒りは静かではあるが凄まじかった。
だからあれほど苛立っていたのかと得心したリリアンナは、そっと目を伏せると顔を曇らせた。