117.会場でも問題発生です
夜会出席者との挨拶が一段落し、クリフとミレーヌは壁際で飲み物を手に一息つく。
そして扇子を広げ口元を隠すと、ミレーヌは腑に落ちないといった声でぼやき始めた。
「私達って護衛兼任で出席しているはずよね?」
「そうだな」
「なのに、護衛対象と離れて私達だけ会場にいるのはどういうことかしら?」
「それは言うな」
「アルフレッド様達が戻ってきたかと思えば、ルイスとフレデリック様を連れて行ったのは何故だと思う?」
「何かあの二人が必要な問題でも起きたのだろう。何せリリィが絡んでいるからな」
「そうよね、リリィが絡んでいるものね……」
二人揃って深々と溜息を吐く。
リリアンナが絡むとやたら事が大きくなるのはいつものことだ。
今回もそうなのだろうというのは、嫌でも察しがつく。
後で二人の予想を上回ることが起きているのを知るのは想定外だが、問題が大きくなっているという点においては考えている通りだった。
「俺達まで会場を離れる訳にはいかないからな。ここで待っているしかないだろう」
「それは、そうだけど……」
「それに、ここで問題が起きないとは限らない」
「確かに、その通りね」
クリフとミレーヌは、こちらを執拗にちらちらと見てくる者がいることに気付いている。
それが、事前にフレデリックから要警戒人物として聞かされていた一人であることも把握していた。
フォトレイ伯爵家の長男ウィルザード・フォトレイで、年齢はイリーナやジョルジュと同じ十七歳。
ガルドレア公爵家とフォトレイ伯爵家は、現当主同士が再従兄弟の関係にある。
それだけでも警戒するには充分な相手だ。
そのフォトレイ伯爵家の長男が、二人というよりミレーヌに対し視線を執拗く送ってきている。
何かあると考えるのは当然のことだった。
「私がウィステリア侯爵家の娘だと知ってのことかしら?」
「……有り得ないことではないな」
二人の世代でも、ミレーヌの大叔母にあたるソフィア・ウィステリアの事件を知る者は多い。
知った上でその話題を避けていることには気付いている。
だがあの絡みつくような視線にはミレーヌに対し嘲りの色が含まれており、それを敢えて揶揄しているのではないかと思われた。
そしてそのウィルザードが不快な笑みを浮かべながらこちらに近付いてきている。
厄介事の予感に嫌気が差し、二人はスッと目を細めた。
「フォレスト王国のミレーヌ・ウィステリア侯爵令嬢ですね? 一曲お相手願えませんか?」
「申し訳ありませんが、婚約者ともまだ踊れていませんの。先程まで皆様と挨拶させていただいておりましたから」
「そうですか。婚約者よりも先に踊っていただけるとは光栄ですね」
「婚約者を差し置いて他の方と踊る訳にはいきませんわ。それに、貴方はどちら様でしょうか?」
二人の前にやって来たかと思うと、ウィルザードは名乗りもせずにミレーヌにダンスを申し込んできた。
更には婚約者とまだ踊っていないことを理由に断っているのに、勝手に了承したことにしている。
他国の高位貴族の令嬢に対して、有り得ない無礼な振る舞いだ。
しかも婚約者のクリフはフォレスト王国の筆頭公爵家の後継である。
ウィルザードの行為は、ミレーヌとクリフだけでなく、フォレスト王国をも侮辱するものだった。
「おや、私のことをご存知ないのですか?」
「何故存じ上げていると思われるのですか? 魔法の二大名門として知られているオルフェウス侯爵家とコルト侯爵家、そしてニコラス・ザボンヌ子爵令息ほどの大きな功績を上げているのであれば、王族ではなくとも他国に名が知られているかとは思いますが」
他国にも知れ渡るような功績を上げてもいないのに知る訳がないと、言外に揶揄し首を傾げる。
実際には要警戒人物として絵姿を確認していたのだが、それを態々教えてやる義理もない。
礼儀やマナーを欠く相手に、遠慮などするつもりはなかった。
「流石にオルフェウス侯爵家やコルト侯爵家、ニコラス・ザボンヌ子爵令息に比べると、私など大したことはありませんね」
「それに、ラドリス公爵家の皆様から侯爵家以上の貴族家のことは事前に教えていただきましたが、貴方のことは存じ上げておりませんでしたので」
国は違うが爵位はこちらが上だと含みを持たせ、ウィルザードの礼を欠いた振る舞いを指摘する。
国力に大きな差があれば話は別だが、フォレスト王国とランメル王国ではそれに当てはまらない。
伯爵令息のウィルザードの振る舞いは、公爵令息のクリフと侯爵令嬢であるミレーヌに対し、随分と無礼なものだ。
実際に近くで彼らの遣り取りを見ている者達は、ウィルザードに非難の目を向けている。
恐らくそこには彼がフォトレイ伯爵家の者であることも加味されているだろう。
フォトレイ伯爵家によくない噂があることは、フレデリックからもラドリス公爵家からも忠告されている。
その家の長男であり後継でもある令息がミレーヌにダンスを申し込んできたことにどんな意図が隠されているのかは気になるが、礼儀やマナーを無視してそれに乗る訳にはいかない。
それを改めて断ろうとすると、不快な魔力を感知した。
思わず眉を顰めそうになったのを何とか堪え、その魔力を探る。
目の前のウィルザードから仕掛けられたものであることは間違いない。
魔法力は大したことがないが、無詠唱で発動していることからかなり適性が高い魔法なのだろう。
洗脳などの精神を操る類の魔法だと思われるが、具体的な効果までは分からない。
リリアンナがいればそれを正確に解析した上で無効化しているだろうが、ミレーヌとクリフには無理な芸当だ。
だがこうした精神に作用する魔法は、自分より魔法力がそれなりに高い相手には通用しない。
ウィルザードに比べ遥かに高い魔法力を有するミレーヌには、単に不快に感じる程度で何の効力も発揮しなかった。
それを相手が気付いているかどうかは分からないが。
当然クリフもウィルザードの魔法には気付いているが、ミレーヌには通用していないことも分かっている。
その上で何を企んでいるのかと、クリフとミレーヌは冷めた目でウィルザードを見据えた。