110.復讐を果たす時です
アルバートが顔を上げるのと同時に、呻くような声が聞こえてくる。
その声がした方を一瞥すると、ジョルジュがアルバートを険しい眼差しで睨み付けていた。
「ふざ…、けるなっ! 母上の持つクレスティ侯爵家の権利は、全て私が受け継ぐものだ! そいつではない!!」
「何がどうなったらそうなる? クレスティ侯爵家に関することは、ガルドレア公爵家の血を引く者には受け継がせない、そう決まっていた。つまりジョルジュ・ガルドレア、お前には最初からその権利はないよ」
アルバートがクレスティ侯爵家の後継になったことに異を唱えたジョルジュを冷たく切り捨て、ミハイルは態と大袈裟に溜息を吐く。
それを挑発と受け取ったジョルジュは、更に激昂しアルバートを攻撃し始めた。
「だったらそいつにも権利はないはずだ! そいつはデロス子爵家の息子で、母上の子ではない。母上の血を引く息子は私だけだ!」
「やはり愚かだな。お前達ガルドレア公爵家に命を狙われることが分かっているのに、分かりやすく正体を晒す訳がないだろう」
「だがそいつはデロス子爵夫人にそっくりではないか! 母上の息子な訳がない!!」
「はあ…、アルバート」
ミハイルの言葉に隠された意味を理解できず、自分に都合の良い身勝手な解釈をしたジョルジュが目を剥いて喚き散らす。
それにミハイルは話にならないとばかりに頭を振ると、アルバートの名を呼び目で合図を送る。
ミハイルに名を呼ばれ頷いたアルバートが左手首に触れると、その見た目ががらりと変化した。
薄い茶色の髪と目でどちらかと言えば地味だった顔立ちが、カテリーナと同じ銀髪とアイスブルーの目に変化し、多くの令嬢が憧れるであろう美しく整った顔立ちへと変わる。
その顔はカテリーナとの血縁を感じさせるほどよく似ており、フェルナンドの特徴をも受け継いでいた。
「な…、何だよ、それ……」
ジョルジュをはじめ、ガルドレア公爵達が呆然としてアルバートの顔を凝視する。
アルバートが幻影魔法を付与した魔道具で姿を変えていることを見抜いていたリリアンナ達は、これが彼本来の姿なのかとほうっと息を漏らした。
「クレスティ侯爵家は我がランメル王国において重要な家門だ。既に見限られていたガルドレア公爵家の手に落ちることも、血が途絶えることも看過できなかった。それで王家と議会は、カテリーナとフェルナンドとの間に生まれた子供を、クレスティ侯爵家の後継とすることに決めた。苦肉の策もいいところだが、特例としてガルドレア公爵家に嫁いだカテリーナに、夫以外との子供を産むことを命じたのだ。ガルドレア公爵家の血を引く者に手渡すことなく、クレスティ侯爵家を存続させる為にな」
王家はジョルジュが生まれた半年後、最低でも五年間カテリーナとの接触を禁じると、ガルドレア公爵家に命じた。
ジェラルドは助けてやったと嘯きながら、避妊せずに無理矢理カテリーナを辱めたのだ。
それはどう考えても助けたとは言えないし、それどころか犯罪である。
だが当時の法ではジェラルドを裁くことができなかった。
その後改正された法であれば可能だったが、この時点ではジェラルドを捕らえることができなかったのだ。
そして身籠ったことが判明したカテリーナは学園に通うことができなくなった。
王命による婚約を壊され、クレスティ侯爵家の唯一の後継であるカテリーナの学園卒業まで妨害したジェラルドとガルドレア公爵家に酷く憤った王家と議会は、カテリーナが望むタイミングで離縁に応じることを命じ、その時に備えフェルナンドとの間に子を儲けさせ、その二人の血を引く子だけをクレスティ侯爵家の後継として認めると通告したのだ。
カテリーナは特例として試験に合格することを条件に学園卒業が認められることになり、見事それを果たした。
そして接触が禁じられている間にフェルナンドとの子であるアルバートを産んだのだ。
だからと言って、カテリーナが王家の命じたことに抵抗なくすんなりと応じた訳ではない。
当然葛藤は大きく、政略とは言え愛するフェルナンドと結ばれる未来を望んでいいのか悩み苦しんでいた。
ガルドレア公爵家と関わらずに済んでいた期間も、常に精神的に不安定な状態だったのだ。
だがそれ以上に、ジェラルドをはじめとしたガルドレア公爵家に対する復讐心が強かった。
ガルドレア公爵家の血を引く者にクレスティ侯爵家のものは何一つ渡したくなかったし、愛しいと思う我が子はアルバートだけだった。
生まれてきたことに関してはジョルジュに罪はないが、血の繋がった息子である彼を愛したことはない。
ジョルジュの方も生まれて直ぐに引き離され、五歳になるまで母親の顔すら知らなかったからか、叔母であるカミラに懐き、カテリーナのことを母親としては見ていなかった。
形式的に母上と呼んでいるだけだ。
ガルドレア公爵家と離れている間に、ジェラルドには誰が母親なのか分からない娘のヴァネッサが生まれており、カテリーナの居場所はどこにもなかった。
それでも離縁に踏み切らなかったのは、ガルドレア公爵家が失脚するタイミングか、アルバートがクレスティ侯爵家を継げる年齢になるまで待っていたからだ。
ガルドレア公爵家が王家の決定を踏み躙り、アルバートを暗殺してクレスティ侯爵家が持つ権利を手に入れようとするであろうことは想像に難くなかった。
現にジョルジュは、王家が絶対に許さないと決めていたクレスティ侯爵家の全てを手にするつもりでいた。
ジョルジュにとってカテリーナは、クレスティ侯爵家の持つ権利を手に入れる為に必要な駒でしかなかったのだ。
だからこそカテリーナとフェルナンド、そして王家はアルバートの存在を徹底的に隠した。
ミハイルの乳母であるデロス子爵夫人の息子だと身分も家名も偽り、魔道具で姿も偽った。
そしてミハイルの従者として王家の庇護を受け、侯爵家嫡男としての教育を受けていたのだ。
フェルナンドも同じく幻影魔法を付与した魔道具で姿を偽り、身分も名前も偽った上で王家に仕え、ガルドレア公爵家の目の届かない場所でだけアルバートと親子として接していた。
そして、ガルドレア公爵家へと復讐する機会を窺っていたのだ。
漸く巡ってきたこのチャンスを、無駄にする訳がなかった。
「嘘、だ…。母上とフェルナンド・セルレイとの間に生まれた子供なんて確認できなかった。そんな奴がいる訳がない…。生まれなかったか、既に死んだか、そのどちらかに決まっている!」
「そうだ! そいつは偽物だ! そうに決まっている! そんな奴、私は認めん!!」
「そうよ! これはジョルジュにクレスティ侯爵家を渡さない為の陰謀よ! 何て卑怯なの!!」
またも自分達に都合の良い戯言を喚き始めたガルドレア公爵達に、ミハイルは呆れて溜息を吐く。
これにはランメル王国の問題だからと黙って傍観していたリリアンナ達も、ただ呆れるより他なかった。
「アルバートは間違いなくカテリーナ・クリスティ侯爵とフェルナンド殿との間に生まれた子だ。それは王家が証明する。彼は王宮内で生まれ、私と共に育ったからな」
「何がカテリーナとフェルナンドの息子だ! 私はそんなの認めんぞ……。クソッ、どいつもこいつも巫山戯おって……! だいだい何故リリアンナ・オルフェウスはまだ国外追放されていないのだ! 王太子の愛するアンナ・ザボンヌに嫉妬し虐げた罪でとっくに罰を受けてなければおかしいだろう!」
ミハイルの言葉に暴言を吐いたかと思うと突然脈絡のない、そしておかしなことを言い出したジェラルドに、フォレスト王国側の全員の視線が一斉に鋭く突き刺さる。
突然出てきた思いも寄らぬその名前に、リリアンナとエドワードの顔からは表情が抜け落ちた。
それは、ルイスとアルフレッドも同じだった。