第4話【伝えたかった言葉】
作者:碧渚志漣(Xアカウント)
https://x.com/wEoOjwhZjP36126?t=lEFyrMDAbXKKVylruW50mQ&s=09
「ありがとう……」
カミシマは朧気な意識の中そんな言葉が聞こえた気がした。
それはまるで古池に投じた小石が水底の堆積物を撹拌するように、カミシマの心に一石を投じた。
次に聞こえたのは聞き覚えはあれど再び耳にしたくなかった狂乱した男の叫び声と大衆の悲鳴だった。
幼いカミシマは何処か見覚えのある商店街の広い通路で叫びと悲鳴がする方を向いていた。
すると商店街の人混みが一本道を作るように分かれ、そこを我が物の様に駆ける男がいた。
男の叫びは人の理性を含まない野獣のような咆哮に近く、男の瞳は何処を睨むのか定まらず、手にした包丁が振り回されることでギラリと狂気を放っていた。
狂気から人混みが分かれていく中、ポツンと一人とある少女が取り残されてしまっていた。
「え……? あぁ……?!」
「きゃぁぁあ!ユリちゃん!」
少女は迫りくる男の狂気に竦み硬直し、離れた所から若い主婦は金切り声の様な甲高い声で咄嗟に少女を呼び叫んでいた。
その光景に幼いカミシマは前世で面倒を見きれなかったとある少女の面影を重ね、とっさに覆いかぶさるように硬直した少女を庇った。
ドスッ……
その瞬間、幼いカミシマの背中には衝撃、背面の脇腹には焼けるような鋭い痛みが走り、ぶつかった衝撃で跳ね飛ばされると倒れ込んでしまった
幼いカミシマは鋭い痛みがする脇腹に手を当てるとその手は真っ赤に染まり、シャツ全体が赤色に染まりつつあった。
「痛ぁ……、しまった……コレじゃ血が足らなく……、応急処置の知識でもインプットするんだった……」
動けなくなったカミシマの眼前にはユリと呼ばれた幼い少女が泣き叫ぶ姿が写っていた。
血が抜けて体が軽くなったはずの幼いカミシマは体が重く、寒く、鈍くなるのを感じ、少女の顔を脳裏に焼き付けながらも瞼の重さに堪えられなくなった。
カミシマは再び意識を闇の中へ溶かしていき、再びぼんやりと光を感じ取り、聞き慣れた声が聞こえた。
『(オリヴァー様、目を覚ましてください!)』
カミシマは意識を朦朧とさせながらボヤけた視覚や鈍くなった感覚が晴れてくるのを感じた。
「(ソフィア……、状況を教えてくれ……、まだ身体が上手く動かせないんだ……、ユリは…… )」
『(オリヴァー様の身体に多数の打撲擦過傷及び脳震盪の疑いがありますが致命的なダメージ及び神経系統への障害はございません クリュウ様は隣です)』
カミシマに感覚が戻ってくると体中が痛みを訴え始め、視界のピントが合うようになると咄嗟に抱きかかえたクリュウがいた。
二人を乗せたバスは横転事故を起こして大破し、二人は半ばバスから投げ出されていたのだった。
「(衰えたとはいえ昔取った杵柄だな……、“母上”)」
前世で探検家になるべく前世の母親から指南され、会得していた体術で無意識に受け身を取れたことに感謝しつつほっとしたカミシマだったが、ピントが合った視界には血で染まったカミシマの手が映り込み、心臓が凍るような緊張感が走った。
『(クリュウ様は……)』
カミシマの手に付いた血はクリュウの血だった。クリュウはお腹を守るように腕で庇っていたが脇腹に破片が刺さり大量の血が流れていた。
「おい、ユリしっかりしてくれ! 頼む!」
目眩が残るカミシマは咄嗟に手の平をかざし、前世の経験から”回復魔導”という魔力を用いた技術を使おうとしてしまった。
「クソッ!オレは何をやっているんだ、この世界じゃ使えない技術じゃないか!血を止めなきゃ、応急処置をしなくては!」
カミシマはソフィアから医療知識を引き出し、その場でできる応急処置を施して、事故で駆け付けた救急車へ青ざめるクリュウを担いでいった。
その後、二人は同じ病院へ搬送された。
自力で歩けるカミシマは精密検査が行われ、意識のないクリュウは緊急救命室へ運ばれていった。
カミシマの容態はソフィアが告げたように軽症で済んでいたが、クリュウの方は大量失血で輸血が必要な状況だった。少なくとも、輸血さえできれば危篤状況から回復でき、意思疎通ができただろう。 しかし、クリュウの治療にあたっていた医者たちは彼女のカルテを見て困惑した。 それは彼女の血液型が希少な型で輸血用の血液製剤のストックが無かったのである。
クリュウの安否を気遣うカミシマはソフィアと「リーディング」を駆使して慌ただしいオペ室を探し当て、壁伝いに漏れた声で状況を理解した。 オペ室から血液製剤を手配すべく看護師が出てくるとカミシマは必死に願い出た。
「看護師さん、僕の血を使ってください! クリュウ・ユリとは同じ血液型なんです!」
「彼女の彼氏さんね……、でも君も事故にあってる患者です 輸血なんて……」
「ユリは危ないんでしょ! それにもう精密検査も受けました! そもそも、あいつと知り合ったのも血液型からなんです!」
「わかったわ、先生!」看護師がオペ室へ駆け戻っていった。
一刻を争う中、カミシマはクリュウのベッドの前に居た。カミシマの血液検査を行っている最中に彼女の手を握り呼びかける。
「大丈夫、助かるからな……、今度はオレがこの血で助ける番なんだ……」
《(ありがとう、私は生きたい……)》
「ユリ! 意識が……、いや、違うのか?」
ふとカミシマがクリュウの方を見ても、クリュウの意識が無かった。
「(オリヴァー様、リーディング能力の影響です
魂を覆っている生命力が思念の漏れを防いでいましたが、生命力が失われつつありますので思念が漏れているのでしょう)」
《(自由になりたいよ、開放されたいよ、トオル君助けて、生きたいよ )》
「こんなに近いのに、話せない……こんなに遠いなんて、もっとちゃんと話がしたい!
君がいれば十分なんだ……夢なんてどうでもいいからもう一度目を開けてくれ!」
そんな、二人の純粋な世界は舞い込んできた狂騒に掻き乱され、部屋の外からヒステリーな声が近づいて来た。
「うちの娘に輸血なんて許しません! 娘の血は神より賜ったものなのです! ましてや神を信じぬ祝福なき血を入れるなど我らの教義に反します!」
「命が掛かっているのですよ! 娘さんの! 輸血なしでは死んでしまいます!」
「だから、何だというのです?! 教義に従い信仰すれば救済されるのです! それに娘は絶対的無輸血の誓約書にサインしているのです! 信仰の自由を侵すつもりですか!」
ヒステリーな声の主が二人の前に現れると暗号表を握りしめながらカミシマに詰め寄った。
「私の娘を地獄に落とすつもりか! お前が私のユリを誑かしていたのか! お前のような淫欲なサタニストの、悪魔の血を私のユリに入れさせるか!」
カミシマは唖然としていた。
ヒステリーな声にではない。
昔見たユリの母親と眼の前にいる人物が一切重ならず、同一人物とは思えなかったのだ。
以前のユリの母親は血色のいい顔色、おっとりとした性格で人の温かみが感じられる雰囲気を纏っていたはずだった。しかし、眼の前にいるヒステリックな人物には温かみが抜け落ちて、余裕がなく、風貌は痩せた頬に目の下にクマが目立つ女性がいた。
主観映像上は音声から推測して中学時代のユリの母親の顔が表示されていたので明確に見比べる事ができ、他人が抱く違和感以上の衝撃がカミシマを襲った。
呆然としてしまったカミシマは乱高下する心拍数を知らせるモニターのアラーム音に気付き、再びクリュウの手を握った。
「(オリヴァー様、危険です!)」
《(嫌だ!、嫌だ!、嫌だ!
嫌だ!、嫌だ!、嫌だ!
嫌だ!、嫌だ!、嫌だ!
嫌だ!、嫌だ!、嫌だ!
助けて!、助けて!、助けて!
助けて!、助けて!、助けて!
助けて!、助けて!、助けて!
死にたくない!、死にたくない!
死にたくない!、死にたくない!
死にたくない!、死にたくない!
もっと一緒にいたいよ!たすけてこの子だけは……)》
心拍数モニターに水平線が走るとカミシマに途轍も無い情報が巡り通り抜けた。この時放出された情報は本の比ではなかった。 クリュウの走馬灯……、人が抱えていた思いであり、記憶であり、魂だった。
リーディング能力を介して濁流のように流れ込んだ膨大な情報は奇跡たるソフィアでさえ制御できる範疇の埒外であり、1人の人間が受け止められる量を遥かに超えた。
そして、クリュウの記憶を見てしまったカミシマは意識を失いつつも彼女が抱えていた秘密に愕然としてしまった。
カミシマが気がついた時には病院のベッドの上だった。 カミシマは脳の過負荷で2日間もの間寝込んでおり、周りを見渡すと彼の現世の両親がパイプ椅子で寝ていた。
身体を起こそうとすると頭痛が襲い呻くと両親が目を覚まして、看護師や医師が駆けつけた。
両親はバスの事故で無事だったことに涙を流していた。
「父さん、母さん……、ユリは……? クリュウは?」
両親は互いに視線を合わせて頷き告げる、
「クリュウさんは亡くなったわ……、仲が良かったのに残念ね……」
「そんな……、僕の血が有ったんだよ……、医者だって看護師だって居たんだよ! なんでだよ! 人だって物だって最新の技術だってあるじゃないか! この世界だったら救えた命じゃないか! 人を救えない技術に何の価値があるんだよ! ”アイツ等”を救えなかった!」
カミシマは手の震えが止まらず、髪を掻き毟りながら湧き上がる悔しさや自虐的な無力さを含んだ感情の濁流が決壊した。
「僕がユリと遊びに行かなければ良かったんだ! 僕がアイツ等を殺したんだ! 僕は彼女の気持ちを、助かりたかった気持ちを一番理解していたのに周囲に伝えられなかった! 僕のせいだ!」
脳への過負荷の影響なのかカミシマの瞳から血の滲んだ涙が出てしまった。
眼の前で滴り落ちるのは愛しい人に捧げたかった血、命の欠片だった。
「落ち着きなさい、トオル お前は悪くない! 誰にも事故が起こるなんて分からない、お前は傷だらけの状態で友達を救おうとしただろ? お医者さんは言っていたよ、適切な応急処置がされてなかったら事故現場で亡くなっていたと、お前は友達を殺したんじゃない、数時間分の命を救ったんだ!
それにお前の友達を殺したのは……
いや十分だ……
もう十分にお前はできることをした、もう十分お前は傷ついたんだ、もう休みなさい」
数日後にカミシマは退院した。
「(ソフィア、ありがとう 今まで1人でいさせてくれて、もう大丈夫だよ、あとお前がいてくれたお陰で応急処置を施すことができた)」
『(大変申し訳ございません、オリヴァー様!! 私があの時バスをご提示しなければこの様な事には……)』
「(それはお前にも分からなかったんだろ? 俺達は知識を幾らかき集めていても何も分からない人間だったんだよ、それにお前はその時の最善策の提案をしてくれたんだ、その提案を選び採用したオレの責任だよ)」
カミシマは久々に自分の部屋に入り、心が大きく揺れ動くなかルーチンワークで日常に戻ろうと本棚に収めた一冊の本を取り出す。
「さて、久々にいつもの情報収集をするか……、ソフィア頼む」
カミシマはいつも通りにリーディング能力を使って本を読み取ろうとした。
すると急に悪寒が走り、クリュウのことが蘇り、臓腑が締め上げられるような感覚に襲われて嘔吐した。
ゲホっ……
「……そっか、今のオレは一杯一杯なんだな……(最初の時か……)」
見てしまったクリュウの記憶には陽性の検査試薬に戸惑い、カミシマに打ち明けるべきか悩む彼女の姿があった。
この時のカミシマには赤子を抱えた血塗れのカノジョの恨みのビジョンが拭えなかった。
《(全テヲ受ケ入レルッテ言ッタジャナイ……、嘘ツキ……)》
カミシマは吐き捨ててしまった物を片付けるとリビングのDVDデッキをみて思い出す。
「そういえば、ドラマの最終回、録画してたな……」
もう、何かをしていなければ押しつぶされてしまいそうになった。
片付けで疲れたカミシマはリビングのソファーに腰を沈めてリモコンでドラマの最終回を再生させる。
ドラマは男女が陣営の違うスパイが織りなす物語で、主人公たちは表向きの職業で知り合い恋仲になるシリアスながらもコメディーもある明るい作品で、最終回前の話ではお互いの素性が割れてしまうところで終わっていた。 そして、最終回の終盤には男女が戦っている最中に両陣営の和平が成立し、隔てるものが無くなった男女は最後に、
「それじゃ結婚するか!」
と言ってコメディータッチで物語が終わった。
「なんだよ、チープなオチだな、アハハ……、アハハハ…… 」
カミシマはソファーの上で背中を反らせるようにもたれ、顔を上向けながら力無く笑い、目元に腕を乗せて呟く。
「あぁ……、…………このセリフ言いたかったな……、言ってやりたかったな……、なんで大事なことを知ることができなかったんだ……、畜生…… 」
胸の空虚を埋めるものが見つからず、荒い吐息で膨らむ肺は胸の空虚を広げるばかりで、この世のもの全てがカミシマにとって痛かった。
本来、カミシマには前世から異能力として情報をまとめてくれる「ソフィア」と触れた物から情報を読み取る「リーディング」があり、それらの能力を連動させれば如何なる高度な学問や高度な職業をこなせたと言える。
しかし、何かを達成するためには『能力』以外にも必要な物があった。
それは『精神』……、『意思の力』である。
高校時代のカミシマには後者である『意思の力』が失われていた。
カミシマは前世含め今世の神も嫌悪の対象となっていた。 彼にとって神は与えたもの以上のものを取り立てる存在だったからだ。
前世の神からは
命を与えられ、奪われ
魔力を与えられ、奪われ
夢を与えられ、奪われ
友を与えられ、奪われ
師を与えられ、奪われ
家族を与えられ、奪われた。
残ったのは「命なき意志と記憶」と「得たものを失うトラウマ」という負債だけだった。
そして、今世の神からは
愛を与えられ、奪われ
能力を与えられ、奪われ
子を与えられ、奪われた。
前世で打ちひしがれたカミシマにとって今世で救いだったのは前世の世界からソフィアがいた事とクリュウに出会い何かを得る喜びを再度味わった事だった。 それが彼の人生を支えた両輪だったと言え、片輪を失った彼には時間が必要だったのだ。
クリュウを失い、リーディング能力がトラウマで使用できなくなり、人生の目標を見失ってから何とか入試時期が遅れていた地元の工業大学へ滑り込むように入学した。
それからは大学で友人を作り、自らのトラウマと少しずつ向かい合いながら工業系の勉学に打ち込んでいき、前世のオリヴァーだった頃に学んだモノ作りの興味からロボットに代表される機械産業の道を志し、平和な国の生産現場で勤務することになった。
大学の友人は警察関係の仕事に就き、カミシマとは違う職種を歩んでいたが交流は続いていた。
そして、今回の友人との合コンも大学時代を経て仕事に打ち込むことでやっと薄まったトラウマを乗り越える一環だった。
「(ユリを失ってもうすぐ10年、この世界に転生して四半世紀も経つのか……、
父上や母上、恩師だったミュルタレ、ミーナ、エリーザ、我が親友のシグルズ、それにアイラは今何をしているのだろうか?無事だろうか?)」
生産技術者のカミシマは夕暮れの工場へ向かいながら決してカミシマの人生で交わることのない、胸中にしか存在しない故郷、遥か遠き日々に思いを馳せる。
皆さま、ここまでお読み頂きありがとうございます✨
もし、楽しんで頂けましたら、大変お手数をおかけ致しますが「高評価」、「感想」、「レビュー」をよろしくお願い致します。m(_ _)m
©碧渚 志漣, Aona Shiren, 2024. All Rights Reserved. Reproduction and translation are prohibited.