第1話【数奇な運命】
作者:碧渚志漣(Xアカウント)
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平盛34年 6月29日
パソコンが並ぶ事務所には夕日が差し込み、空席の目立つ室内は閑散としていて、数少ない起動中のパソコンは画面内のカレンダーと時計で週末の定時過ぎを示していた。
そんな室内で機械油の匂いが仄かにする作業着を着た男はメガネをかけてパソコン作業に明け暮れており、その机の上には『機械設計の極意』、『品質管理のコツ』といったタイトルの書籍が並んでいた。
男は一度作業の手を止めてカップに注がれていた紅茶を口にしながら、腕時計を眺め少し浮かれ顔で思案しているとまるでホッとした隙を狙ったようにコール音が鳴り響いた。
コール音はPHSと呼ばれるポケットサイズの簡易な携帯電話から響き、卓上の充電器スタンドに収まっていた。
男が充電スタンドに差し込まれたピッチの画面に表示された内線番号を確認すると、ため息をつきながらピッチを面倒臭そうに取って男は通話する。
「こちら生産技術部エンジンブロックライン係のカミシマです」
「カミシマか? こちらはZ9エンジンブロックライン工長のフジムラだ スマンがまたOP100工程の設備でトラブルがあったから一度来てくれないか?」
カミシマは人気の少ないオフィスを見渡して、
「また、OP100のトラブルですか?
……わかりました、すぐに現場へ向かいます」
そう答えてオフィスをあとにした。
彼の名前はカミシマ・トオル。
カミシマは平和な国で一般的な家庭に生まれ、工業大学を卒業して大手自動車関係の会社に就職し、自動車エンジンの工場で生産技術者として働いていた。
一般的な技術者といえば何かを開発したり、設計することを思い浮かべるかもしれないが、生産技術者というのは工場の生産設備の準備や生産体制の不備を改善するのが仕事だった。大まかに言えば工場で作られる量産品を安定して生産できる体制を構築する技術職だったのだ。
実はカミシマには平和な国に生まれ、手に職つけるまで25年程度経つが、彼には誰にも言えない秘密があった。
時折、カミシマの脳裏に遥か遠い昔の出来事が蘇る……。
これは現代社会に生きるカミシマが赤子であった頃より遥か以前、生まれる前の記憶となる……。
そう、カミシマこそ数奇な運命を背負う男であり、「繭玉」だった。
ゼイウス暦897年……、繭玉が綻びるより100年も前の出来事、男が「仔虫」だった頃の出来事である。
遥かに遠い記憶の中では、周囲が茜色に燃え盛り、草木が燃えた煙が鼻の中を燻り、仲間達の歓声が上がり、大軍の地響きが遠ざかる中で少女の声がした。
『オリヴァーよ、妾に介錯を頼むとは酷い男じゃ……』
カミシマは遠い記憶の中でオリヴァーと呼ばれていた青年だった。
オリヴァーは褐色の肌に長い耳、真珠色の長髪をした少女に膝枕をされていた。
オリヴァーに膝枕をする少女は戦火を潜り抜け、身に着けている物がボロボロになっていても損なわれない美貌を持っていたが、眼の前に迫る別れにその美貌は悲しみを隠しきれていなかった。 そんな彼女は薄紅色の瞳を潤ませながらも蓄えた涙を気丈にも留めていた。
オリヴァーは深手を負って大量の吐血をし、病魔で体中が痣だらけになり、鉄の味を噛み締めながら薄れゆく意識の中で言葉を紡いだ。
「ミュルタレ、私の身体は病魔に侵され、回復魔導も効果がない……、魔力も尽きた、もう保たない……
頼む……、奴らに……、魂を奪われたくない……、私の魂は君に託す……、だから…… 」
少女はぎゅっと温かい手で握り返し頷いた。
握り返された温もりを感じながらオリヴァーは心の中で呟く。
「(すまない、ミュルタレ……、シグルズ……、アイラ……、ミーナ……、エリーザ……、それにソフィア…… )」
心の中で返答があった。
『(オリヴァー様……、面目ございません )』
「(ソフィア……、いや、本当に今までお前には助けられた お前を得たことはまさに奇跡だ 私こそお前をうまく扱ってやれなかった もっと知識があればな……、だがもう、指導者紛いな役割は懲り懲りだ )」
ソフィアと呼ばれた存在はカミシマの脳内に住まう声だけの存在で少年時代からオリヴァーと苦楽を共にしていた。
ゴボッと吐血がこみ上げてくる。
狭まる視界に少女の顔を捉えて言葉を絞った。
「……ミュルタレ様、ありがとう 」
オリヴァーはまるで童心に帰った様に苦しくも清々しくにこやかに眼の前のミュルタレに告げた。
少女がそれを聞き届けるとオリヴァーの胸目掛けて短剣を振り下ろし、オリヴァーの意識は闇の中に消えていった。
意識が消える間際にオリヴァーは頬を伝う暖かなものと呟きを僅かに感じ取っていた。
「このバカ弟子共が……」
そんな血なまぐさい記憶の次は平和な国のなんの変哲もない幼少時代の記憶であり、カミシマ・トオルと呼ばれる人生だった。
そう、カミシマには前世の記憶があり、オリヴァーの記憶を引き継いでいた。
それも時代も歴史も崇める神でさえ違う異世界の記憶だ。
工場長に呼び出されたカミシマはエアコンの効いた事務所から外へ出て生産ラインがある工場建屋へ向かう。
事務所と工場建屋は同じ敷地内ではあったが、建屋は別々だったので初夏の夕日に照らされながら歩いていかなくてはならなかった。
そんな作業着を着て茹だるような湿度を漂わせる道中を歩く中、心の中で呟く……。
「(ソフィア、OP100搬送工程の情報をピックアップしてくれ……)」
すると心の中で返答があった。
『(了解です、オリヴァー様 情報をピックアップします 当該設備の図面及び搬送装置のプログラムを展開しますか? )』
「(あぁ、それで頼むよ、ソフィア)」
カミシマの脳裏には圧縮された情報が展開され、視界にはまるで現実と仮想現実が融合したようなAR映像が表示された。 カミシマの主観視点上にはこれから対処する設備の立体的なホログラムが浮かび、まるでパソコンのウィンドウが幾重も重なりプログラムコードや図面が表示されていた。
カミシマには前世の記憶とともに前世の少年時代より馴染みのある相棒がいた。
その相棒は前世と変わりなく情報収集、情報処理、情報表示をサポートしてくれていた。
そして、その相棒こそカミシマにとって前世が摩耶花氏では無いと思えた唯一の証だった。
「はぁ……、それにしても今日の合コンはキャンセルしないと……
絶対残業で遅くなるな」
カミシマは腕時計を確認すると、ソフィアが主観視点上に表示してくれた時刻は意識しなければ体感に左右されるために数分程度ずれており、腕時計の時刻に整合された。
『(はい、作業時間は最低でも2時間以上が見込まれます)』
「(あぁ〜あ、そうですか……)」
一心の信頼を置く相方からの忠告とAR映像が示した「作業時間 2時間15分」を確認して愚痴り、合コンをセッティングしてくれた大学時代からの友人に断りの電話をかけるのであった。
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