第18話【聖墓の冥憶】
まどろみが見せる追憶の中、2人のドワーフの少年は焼けたばかりの灰の香りと死臭が混じる朝靄に包まれ、焼け落ちた屋敷の前で膝を屈していた。
「父さん……! 母さん……! 僕は……」
「嘘だろ……、こんなことが……、なぁ、ザアカイ……!」
パカ……、パカ……
ゆったりと蹄が鳴る馬上の上でザアカイは転寝から目を覚ました。
時は日が沈んで間もない頃に遡る。
二人のドワーフの騎士は広場から離れた道をゆっくり馬の常歩で進み、ある場所を目指していた。
負傷した騎士バルティマイは今なお馬上で揺さぶられることで疼く足と肩の傷の痛みに苦悶していた。
ザアカイは無傷ではあったが、年端もいかない少年に敗れたことで愛用していた剣とプライドを失っていた。
「バルティマイ、広場から近い教会は聖墓の教会だ、そこなら回復魔導が扱える司祭や神父がいるはずだ……」
「くっ、すまねぇ……、ザアカイ……、油断した」
「そんなこと今はいい、私だってオリヴァーというガキにやられた……、もう少しの辛抱だ」
“聖墓トゥルシー”とはサルヴァトル教の聖人を祀ろう墓標が並ぶ施設であり、彼らの墓標が収められた大きな建屋の離れには地方にしては立派な教会が建てられていた。
そこには常駐する人手も多く、回復魔導が十全に扱える司祭や神父の滞在を期待することが出来た。
ザアカイはバルティマイの手傷を癒やすべく聖墓の教会へ向かっていた。
やっとの思いで聖墓の教会にたどり着いた二人の騎士は教会の門を叩く。
「夜分遅くすまぬ、傷の手当を願いたい! 誰かおらぬか!?」
ザアカイがそう大声で叫んでも教会からは物音一つ聞こえず周囲の暗闇はまさに静寂だった。
「ザアカイ、おかしいぜ……教会の窓辺に一つも明かりが点いてねぇぞ」
バルティマイは違和感を覚えて教会を見渡すと明かりがない事に気が付き、周囲を見渡した。
「聖墓の方には松明が焚かれているぞ……、行事か?」
「私は夜更けに聖墓で行う行事など知らぬがな……」
二人は離れの聖墓へ向かうと徐々に物音が聞こえてきた。
扉越しに慌ただしい足音が近づき、二人の前で勢いよく扉が解き放たれると手傷を負った若い男の教徒が二人にすがった。
「た、助けてください!騎士様!! アンデットです! 聖墓にアンデットが現れました!」
手傷を負った教徒は聖墓に現れたアンデットから命からがら逃げてきたのだ。
「アンデットだと! 教会の結界や祓魔師はどうした?!」
ザアカイが手負いの教徒に尋ねると教徒は答えた。
「祓魔師はこのトゥルシーから去りました! 教皇様の命で近頃は祓魔師の雇用もままならぬ状況でございます……
結界の方は異常ありません、アンデットがなぜ現れたのか見当もつきません」
「なんとおろ……、いやその様なことを言っている場合ではないな……、して、アンデットの種類や数は分かるか?」
「一体です、ただ恐ろしく強く、私ではその種類すら検討も付きません……!
何分そのアンデットは黒い霧のような物を纏い辛うじて人型であることが判断できる容姿でした、
泣くような声を上げながらその場にいた教団関係者を殺し回りました、もう私しか残っておりません」
バルティマイはギラリと目を凝らして聖墓を見ると彼の“奇跡”はアンデットの存在を告げていた。
「ザアカイ、聖墓に何かいるぞ……! 距離があるせいか詳しくはわからねぇが確かに1体だな」
「……わかった、幸い我らであれば死霊魔導が扱える
そのアンデット、祓おう……、」
手負いの教徒はザアカイに頭を付していた。
ザアカイはバルティマイを座らせると
「バルティマイ、剣を借りるぞ」
「おい、ザアカイ!俺達は教会より職を追われたのだぞ!何故お前がそこまでするのだ?
そこまでせねばならぬのだ? 」
「私は祓魔騎士の身分を失ったが破門まではされていない
我が忠誠は未だ神の元にあるのだ……、教会への献身を欠くことなどできぬよ
(そうだ、私は神のために、教会のために……、そうでなければあの様な汚穢の所業など誰がするものか……)」
ザアカイはそう言い残して聖墓の建屋内へ向かった。
聖墓の建屋は歴史を感じさせる石造りの建築物であり、外観は大きなドームの様な形状で入口は木と魔青銅で作られた扉で重く閉ざされていた。
ギイイイィィ……
重い扉が音を立てながら開かれていった。
内部は大きな円形の床面が広がり、均等に支柱が立ち並び、所々で松明が灯ることで立ち並ぶ人間大の聖人の立像を照らしていた。
その中央は聖人の立像が無く開けていて、代わりに魔法陣の様なものが描かれ、中心にはポツンと一体の立像が直立していた。 その立像は周囲の聖人の立像よりも一回り大きく、より古びており、その姿はまるで甲冑を着込んだ古の戦士のようだった。
ザアカイは慎重に奥に進んでいくと徐々に鉄臭い血の匂いが鼻に入り込み、流れた血の量は察するに余りあった。
ザアカイがむせる鉄臭さに耐えながら更に足を進めると天井の窓から差し込んだ月光にとある聖人の立像が照らされ、その立像の前で頭を垂れる人影のようなものがいた。
その人影は月明かりに照らされながらも漆黒で輪郭が揺らめいていた。
ザアカイは一目で漆黒の人影が異形なものであると理解した。
そして、漆黒の人影は生者の存在を察したのか地面に着けていた頭を持ち上げ、立ち上がった。
漆黒の人影はスラッとしたスレンダーな体型で鎧を纏い頭部には鬼のような角が2本生えているような輪郭を有していた。 また、すすり泣く様な声、男とも女とも分からぬ声を上げ、ザアカイの方へ滑らかに歩き始めると重厚な足音を立てていた。
「立チ去レ……、ココヨリ立チ去レ……」
ザアカイはアンデットの格に腹を括った。
霊体のアンデットの格を外見から見極める場合、『どれほど明確に実体化されているのか』、『どれほど物理的干渉ができるのか』、『どれほど無駄なく滑らかに動けるのか』、『言葉を話すのか』が指標となるが、眼の前にいるアンデットは滑らかに動き、足音や声を出してしっかり物理干渉を行い、輪郭がボヤケながらも角や鎧が判別できるほど実体化されているため格の高さを伺えた。
「(ブレぬ身のこなし、恐らく知性も半ば取り戻しているだろう……、あとはどれほどか……)」
ザアカイは漆黒の人影に身構えた。
その頃、オリヴァー達は宿舎にたどり着いており、オリヴァーとシグルズは疲れた体を寝床に沈め、オリヴァーの修行について話し合っていた。
「オリヴァー、お前さんはどんな修行で剣技を鍛えたんだよ」
「うーん、ひたすら実践あるのみだったよ……、アンデット相手にね……ははは……」
苦笑いをしながらオリヴァーは答えると相手がアンデットである事にシグルズは驚いた。
「へぇ、アンデットは剣が使えるのか!?」
「そうだよ、ただ低級アンデットじゃ無理だけど上級なら生前と同じ技量で襲ってくるんだ、
特にはっきりと人型の形状をしてるやつは強かったな、学習するから同じ手が通じないんだ」
オリヴァーはミュルタレとの修行を思い浮かべながら苦々しく笑った。
「ぐああ!」
ザアカイは剣を構えた漆黒の人影に押され、強力な蹴りに吹き飛ばされ、立像の台座に身体を打ち付けていた。
「強い……、この強さ……もしや聖人の内の1柱ではないのか!? だが、だとしたら何故この世に御霊を捧げた聖人が化けて出るのだ!!」
ボトボト……
身体を起こしたザアカイの肩に何か上から垂れたものが掛かった。
宿舎にいる二人は会話を続けていた。
「なぁ、オリヴァー? アンデットの低級とか上級とか格は変化するのか?」
「うん、変化するよ……人を襲って魂を奪ったりすれば格は上がっていくし、霊体のアンデットは見ている人が増えれば力を増すんだってさ」
「見ている人?」
「そう、実は僕も良くわからないけど霊体のアンデットは存在が不安定らしくて、他者に見られることで現実に居られるみたいだってさ……、見てる人のことを『観測者』って言ってたっけ」
「うーん……つまり、幽霊みたいなアンデットはたくさんの人に見られたら強くなるってことか?」
「それで合ってると思うよ、だから幽霊みたいなアンデットを相手にするときは単独で戦ったほうが良いらしいよ」
ザアカイが垂れたものを拭いながら上を見上げるとその光景を見てしまったことに後悔した。
肩に垂れたものは建屋の柱や壁から滴り、更に上を見上げると教会の人々が梁に漆黒の杭を打ち込まれ磔にされていた。
教会の人々は磔になりながらも微かに息を繋ぎ止めている状態で虚ろに目を開けた状態だった。
「これは一体!? ……そうか!観測者を増やしてより実体化の精度を引き上げたのか!!」
漆黒の人影はザアカイへ俊敏に斬り掛かり、足技を含め軽快な身のこなしで追い詰めていった。 膂力に関してはお互いに拮抗していたが、敏捷性においては漆黒の人影が上回り、剣筋を受け止めるだけでもザアカイにとっては困難な状況だった。
「(アンデット相手に長期戦は不利だが……、この俊敏性、これでは死霊魔導の使役で抑えることも叶わぬ!)」
ザアカイは深く呼吸をし、息を整えて剣を上段に構え、次の一手で勝負を決しようとしていた。
「膂力が同等ならば叩き込めるはずだ……」
漆黒の人影はザアカイの構えを察すると姿勢を低くし、指を鳴らすと一気に駆け出して影の剣を振りかざした。
「(輪郭が朧気に……、更に速い!)」
ザアカイは迫りくる漆黒の人影に上段で構えた剣を一気に振り下ろした。
振り下ろされた刃は漆黒の人影を捉えかけたが抵抗し得ない強力な力にその軌道は歪められ、地面へ空を切りながら叩きつけられてしまっていた。
漆黒の人影の剣筋はザアカイの剣を横斬りに弾き、その剣筋の勢いを殺さぬように体幹を中心にコマのように一回転し、回転し終えた剣筋はそのまま勢いを維持したまま再度ザアカイ目掛けて振られた。
「(しまっ……!)」
ザアカイの刹那の逡巡、漆黒の人影はザアカイの腹を深々と切り裂き、鮮血が滝のように溢れた。
それは正に致命傷だった。
ザアカイは自身の血に浸かるようにうつ伏せで倒れ込むと遠くで磔られた教徒が偶然映った。
磔の杭が歪で大きく刺々しいモノに変わり、磔た者の命を絶っていた。
「(そうか……あの鳴らした指……、暗がりで距離があるために視界の途切れかけた者の命を奪い、急激に力を高めたのか……)」
今際の際でザアカイはまともに首すら動かせない状態ですすり泣く声と死霊の存在を全身に感じながら自身の末路を悟った。
「まだ俺は己が罪を贖い切れていないのに……
俺の魂は喰われるのか……
恐ろしい……」
漆黒の人影の剣はザアカイの心臓を貫き、その魂を刈り取ったのだった。
魂が失われる刹那、ザアカイは走馬灯の果てに漠然と思ったことがあった。
「(もし、あの小僧ならどう戦ったであろうか……)」
そして、静寂の聖墓で立ち尽くす漆黒の人影は大きく響くように指を鳴らした。
この時、体全体の輪郭を歪ませながらより禍々しいものへと変化させ、より具体的な輪郭を持った存在へと変貌を遂げた。
そんな育ちつつある漆黒のアンデットなど知る由もないオリヴァーとシグルズは語らいに一段落付くと両者の眼は重くなり始め、微睡みに誘われていた。
「シグルズ、僕はそろそろ眠るよ、今日は色々あった……、ここに着いてからジョアシャンの指南もあったし……」
「ふぁ〜、そうだな、オレも眠いわ」
あって間もない幼い二人はいつの間にか打ち解け、気の合う友人となった。
「それにしてもシグルズ、寝るときもマフラーをしてるのかい?」
「あ~ぁ、これか? これは俺の一部みたいなもんさ……、
しかし、立会人の対価でここまで来たが随分と長い付き合いになりそうだな……」
聖墓は静寂の朝を迎えた。 外で生き残った2名の報告により教会中にこの事態が周知されることになり、漆黒の人影には後に『聖墓のバンシー』という名称が与えられた。
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