第17話【フィロソフィア】
オリヴァー達はエリックの宿舎に到着していた。 宿舎は小さな古城で正面に広くひらけた庭を持ち、建屋自体質素な外観だったが幾何学的に配置された庭の生垣や中央の池には手入れが行き届き、石畳の小道から落葉等のゴミが除かれ歴史を重ねてもなお純麗さがあった。
そして、日が落ちたせいか建屋には人気が疎らとなっており、静寂とその清潔さが厳格な雰囲気を醸し出していた。
宿舎に着いてから一晩過ごすために各々最小限の手荷物を運び込んでいるとエリックはジョアシャンに問いかける。
「ところで部屋割りをどうするんだ? ジョアシャン」
「そうだな、どうやら2人用の部屋は我々が使っていた1室と空きが2部屋しか無いようだな……」
するとアイラとコーネリアにジョアシャンは視線を移すと眉間に指を添えて考えながら言葉を紡いだ。
「ここは男性と女性で分けるとしよう……」
この言葉にコーネリアはガーンとショックを受けたのかオリヴァーの背中に抱きついていてジョアシャンに目を潤ませていた。
ジョアシャンとエリックはそんなコーネリアの姿を見て呆れながらも諭そうとした。
「ダメだ、コーネリアよ、ここはサルヴァトル教の宿舎なのだ、未婚の男女の同室が咎められるのは知っているだろう?
もし、君とオリヴァー君が同室となってしまえばシグルズ君とアイラさんが同室になってしまう」
「そうだぜ、それにオリーはもう赤ん坊じゃないんだ、一人でも大丈夫だろうよ」
「あの……、母上、大丈夫です! その、今日はシグルズと話したいことがたくさんありますので!」
「エリックちゃんの意地悪……」
「な、なんで俺だけだよ!」
コーネリアは渋々受け入れながらもシグルズには念を押す様に話しかけ、アイラといっしょに部屋へ向かっていった。
「シグルズ君よろしくね、行きましょうねアイラちゃん」
「あっはい! シグルズ、また明日ね!」
「おう……分かっ……りました」
シグルズはぎこちなく本心と力量の差に馴染めぬまま最小限の返答をするとアイラとコーネリアを見送った。
そのまま、3室へ分かれていくとジョアシャンは分かれ際にオリヴァーへ声をかけた。
「オリヴァー君、あとで時間を貰えるかな?」
「ルクレールさん、構いませんが何でしょうか?」
「私のことはジョアシャンで良いよ、実は君の剣筋を一度見ておきたいのだ、これでも私は実剣技で宮廷指南役を務めたこともあってね」
ジョアシャンがそういうと腰に下げた剣の鍔を見せた。
ジョアシャンの剣の鍔は羽を広げた翼のような形状で、白銀の輝きを帯びつつも黄金色の残光が仄かに輝いていた。
「君は明日の朝、ここを発つのだろう? 疲れているところ申し訳ないがほんの僅かだが指南をしたいと思ってね」
「ジョアシャンさん、いえこちらこそよろしくお願いします!」
夜暗に包まれた庭には松明が焚かれていた。
松明の光に照らされながらオリヴァーとジョアシャンは剣の形状に型どられた木の剣を握りながら相対し、二人の稽古試合に興味を覚えたシグルズが眺めていた。 そして、そのシグルズの眼前で2人の稽古試合が始まった。
オリヴァーは機敏に果敢に立ち位置を変えながら自由奔放に数々の攻め手を披露するように、常人には予測しがたい変則的な太刀筋をジョアシャンに打ち込むが、そのどれもがジョアシャンにとって既知の凡手であるかの様に往なされ払われていた。
「(これが実剣技1級を超えた実力! 凄い! アンデットで研鑽してたけどこれ程の剣技は見たこと無い!)」
「この齢でこの手数を心得るとは中々だな……、ふむ、何だか嬉しそうだねオリヴァー君」
「あははは!色々試せるのがとても楽しいです!まだ知らないことが多いって感じられて面白いです!」
「オリヴァー君、君は学ぶことが本当に好きなんだね
未知への探求……良い素質だ!
真の知とは自身の知識の欠如を認めることから始まる、フィロソフィア……愛しなさい知識を」
「フィロ……ソフィア……」
「そうだ、君自身が知らないことを知り、知識を愛しなさい……、それが叡智を得る近道だ」
機敏に打ち込みを行っていたオリヴァーはあることに気がつく。
それはジョアシャンが最初の立ち位置からほとんど動いていないことだった。
ジョアシャンの剣筋は無駄のない最小限の動きで自由機敏にして変幻自在のオリヴァーの太刀筋を捌いており、目立たない地味な技の一つ一つが研鑽されていた。
「(まるで人間大の岩球を斬り付けているみたいだ……、往なされびくともしないなんて……!
もっと知識がほしい……、僕なりに修行はしてきたけれど全てを学びきれたわけじゃない……、
あぁ、取りこぼした知識はどれ程だろう……、全ての経験を活かせたらな……)」
ジョアシャンの圧倒的な剣技がオリヴァーの学び漏れてしまった経験知識への渇望を呼び起こし、この時オリヴァーが願う『経験を取り零さぬ奇跡』が定まった。
『(|si vis quod《貴方がそれを望むなら》……)』
「(何だ?、誰の声だ!?)」
のちに後世の人間から呼ばれる『この世で最も強欲な奇跡』はこの時産声を上げた。
オリヴァーは聞き慣れない声を聞いた。 男とも女とも判別できない中性的な声がオリヴァーの抱いた願望に応えるように発せられ、オリヴァーは急に周囲を見渡すが周囲には稽古試合の相手であるジョアシャンとそれを見届けるシグルズしかいなかった。
そんなオリヴァーの様子にジョアシャンは心配そうに、だが決して構えは解かずに声を掛ける。
「どうしたのかね、疲れたのかな?」
この時、試合の様子と戸惑うオリヴァーを見ていたシグルズは首を傾げていた。
「いえ……、声が……、何でもありません
(気のせいなのかな?)」
オリヴァーはまるで何も感じていない二人の様子を見て自身が聞いた声が勘違いだと思い、眼の前のジョアシャンに集中した。
オリヴァーの集中力が戻ったことを感じ取ったジョアシャンは再び真剣な表情に変わり、稽古試合が再度始まった。
ただ、この時オリヴァーは今までで感じたことのない快感、全能感が流れ込み始めていた。 それはまるで現代で言えば乗れなかった自転車を初めて乗りこなせるようになった充実感、スポーツでコツを掴みそれまでの自分に一線を画した瞬間の達成感をより濃縮した感覚に近かった。
オリヴァーはジョアシャンに打ち込み、払いのけられる度にジョアシャンの動き……それも微細な所作に至るまで完璧に記憶することができ、技の理合への理解度が格段に向上し、今の自分ならこの世の全てを理解できるのではないかという全能感に溺れ始めていた。
「(ハハハ……、分かる!分かる!全てが分かる!! 急にこう何だろう! 打ち込めば打ち込むほどジョアシャンさんの構えや細かな技は理解できる!)
ははは!」
「(急にオリヴァー君の技量が上がったのか? 私の剣技を見切り始めているとは……!!
この意欲、才能は素晴らしい……だが、同時に狂気に近いものを感じる)」
ジョアシャンは防御と同時に力を込めてオリヴァー自身を跳ね飛ばし、少し距離を明けた。
今までに無い一手に対応が遅れて跳ね飛ばされたオリヴァーは体勢を大きくは崩さず保ちジョアシャンに集中し続けていた。
「オリヴァー君、なにやらやたら愉快そうに笑っているがどうしたのかね?」
今浮かべているオリヴァーの笑みは冷静な眼でジョアシャンを見据え、口元が大きく笑んでいた。
あって間もないジョアシャンにも今のオリヴァーの立ち振舞に違和感を覚えるぐらい狂気的で強烈な印象を与えていた。
「ジョアシャンさん、僕ね、今の僕なら色んなことが理解できてしまうんです! なんだか凄く晴れ晴れとしちゃってこの高鳴る気持ちを抑えられないんです! やりたかったことが完璧に全て出来そうな気がします!」
「(やりたかったこと? もしや……!) オリヴァー君、君は急に何かに満たされた気分になっているのかね?」
「ええ!!
全てを満たしてくれる世界へと生まれ変わったように感じます! なんでこんなに世界が素晴らしいことに気が付かなかったのか不思議なくらいです!」
オリヴァーは息を切らしそうに満面の笑みで語った。
「おめでとう、オリヴァー君、君は今『奇跡』を授かったようだね……」
「はぁ、はぁ……、『奇跡』ってあの『奇跡』なんですか?」
オリヴァーは切れかけた息を整えるようにジョアシャンに短い問を尋ねる。
「そうだ、人類皆に与えられた人生で一度の祝福、その『奇跡』だ……、まさか立ち会うことになるとは思っていなかったが……」
「はぁ、はぁ……、どうしたんですか?ジョアシャンさん?」
オリヴァーの高揚ぶりにジョアシャンは目を伏せ、額に指を当てていた。
「いや……、昔私も『奇跡』に目覚めた時に高揚感が止められなくてね……、飢えた欲望が満たされる感覚は今でも覚えている
そうだな、色々とやらかしてしまったことも思い出したのさ」
「やらかし……?」
「いや、なんだ……人類皆この時期になるとこの高揚感を抑えれず、青春にほろ苦い記憶を残すのさ……、なに君は賢い子だ下手なことにはならんだろう」
そうジョアシャンが言うと握った木の剣をしまった。
「終わり……なのですか?」
「そうだ、今の君にとってこのまま稽古を続けるのは望ましくない」
「何故ですか? 今ならご指南を一切無駄にはいたしません!!」
今のオリヴァーは高揚感と知識への欲求に飢えていた。
「目覚めたばかりの慣れない『奇跡』を行使すると魔力や体力を膨大に使用してしまうし、その高鳴る高揚感は疲労感を塗りつぶして身体を壊してしまう……、止め時だよ
シグルズ君、君なら分かるだろう?」
ジョアシャンはオリヴァーの相手をしながら隙を鋭く探るシグルズの視線に気が付き、シグルズが隙を探る才覚に秀でていることを理解していた。
シグルズはオリヴァーの全身を見回しながら近付くとため息を近づきながら喋る。
「そうだな、これ以上やったら明日は動けなくなるぞ」
「いや、僕はまだ……」
オリヴァーが言いかけるとシグルズはオリヴァーの肩を軽く叩く。
ポン……
するとオリヴァーは抗えずにバランスを崩して膝を着き、膝立ちの状態になってしまい、立ち上がることさえ難儀してしまうほど体力が消耗していたことにやっと気がついた。
こうして、ジョアシャンとオリヴァーの稽古試合は終わりを迎えた。
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