16話 星と出会った少女 後編
「臭く……は、無いわね。はい、これに着替えて」
くんくんと髪の匂いを嗅がれた後、リズは、小綺麗な白いワンピースを渡された。
「はい。今日は水を一杯浴びましたので……」
「ハンナ! この子 お願いね!」
「はーい、ママ」
ママと呼ばれた女性は、すぐに裏口から出て行った。おそらく入り口に戻って客引きをするのだろうと思われた。
代わりにやってきたハンナは、リズと同じくらい細い少女だった。歳は、リズより少し上に見える。
「私はハンナ。あなた、兄弟はいるの?」
ハンナは、リズに話しかけながらクッションのような物を二つ棚から取り出した。
「リズです。はい……弟が一人……」
「で、親はいないか、病気とか?」
「お母さんが体を壊して……」
「うん。私とほとんど同じね!」
「えっ?」
「はい、これをブラに突っ込んで! 急いでね。もうすぐ来るから」
「来る? え? これを胸に……って……」
言われた通りにすると、リズの胸はこんもりと膨らんだ。
「胸は触らせちゃだめよ。バレるから。貧相なお尻は立ち上がりさえしなければバレないから大丈夫!」
「はぁ……」
「来たっ! いい? 私の後に付いて来て、私の右に座ってね。ニコニコして、胸を突き出しときゃ良いから!」
「はっ……はひっ!」
その時、店に響き渡る高笑いが聞こえてきた。
「ひゃーっはっはっは! また来てやったぞ女ども! せいぜい楽しませろよ!」
聞き覚えてのある声だった。入ってきた男は、王立学院の制服を着ている少年だ。それは、つい先ほど路地でリズと出会った少年だった。
少年がソファーに座ると、すぐに、少年の左側に三人の女性が並んで座った。
「急いでリズ! あの人はどこかの国の王族らしいからっ!」
「お…王族っ!?」
右側にも、三人の女性が座った。一番外に座っているのがリズだ。
リズがそれとなく店の中を見ると、普通の客には女性が一人から二人で、六人も付いているのは珍しい。
「おっ! 新人か? でっかいおっぱいをしているじゃねーか! ひゃーっはっはっは!」
王族らしい少年は、まったくリズに気が付いていないようだった。暗がりにいた貧相な少女の顔など、覚えていないのだろうとリズは思った。
王族の少年は、ひとしきり自慢話をすると、次に王族ゲームを始めた。それを十回ほど繰り返すと、ようやく酔いが回ったのかソファーに座ったまま虚ろな目で天井を仰いだ。すると、時計の針を確認したハンナが少年に言う。
「そろそろお時間ですが、延長はどうなさいます?」
「んー、明日は授業があるから、今日はもう帰るかなぁ。ひゃっはぁ……」
少年はふらふらと立ち上がると、出口へ向かおうとする。
「代金はいつものようにつけておいてくれ……ひゃはぁ……」
「あの、残った食事は……」
「あーん? もう食えないから、捨てておいてくれ……」
「処分しておきますねっ!」
「うむ。ひゃっはぁ……」
少年は帰ってしまった。残されたのは、テーブルに並べられた膨大な量の食事だった。少年は、見た目通り食が細いらしく、見栄のためか注文するだけして、一口二口しか食事を食べていなかった。
「さあ片づけるよ!」
ハンナの掛け声で、周りのキャバ嬢がうなずく。
リズがもったいないと思って唾をごくりと飲み込んでいると、その目の前で、五人のキャバ嬢達が懐から袋を取り出し、その袋の中に食材を詰め込み始めた。
「えっ? えっ? 片づける……? 捨てるんじゃないんですか……?」
「処分するって許可をもらったからね! 捨てる訳無いでしょ、もったいない!」
「そっ……そうなんだ……」
全てのソファーは、客同士が向かい合わないように背を向けており、山賊が如くキャバ嬢達が食材をむさぼり詰めているのは見えない。
リズは当然だが、食材を詰める袋を用意していなかった。栄養満点な肉や、綺麗な色をしている果物が減っていくのを、悲しそうな目で眺めていた。
「はい! これあなたの分!」
突然、ハンナが食材をパンパンに詰め終わった袋を渡してきた。思わず、それをリズは受け取ってしまう。すると、ハンナは懐からもう一つ袋を出して、そこに食材を詰め始めた。
「えっ? えっ? 良いんですか?」
「もちろんよ! ここにいる六人は、みんな同じ境遇なんだから!」
ハンナを含めた五人は、リズ向かって一度微笑むと、また食材を袋に詰める。
「同じ境遇って……?」
「さっきの客が来るのが、第三曜日と第七曜日だから、その日は必ず出勤するのよ! 家族が三日食べられる量の食材がゲット出来るからね!」
「えっ? いつもこのくらい食べ物が残るんですか?」
「あの客の時は、毎回そうよ! ほんと王族なんて、女神様の罰が当たると良いんだわ! 元は私達庶民のお金なんだから、遠慮無く持って帰るよ!」
「は……はい」
テーブルの食べ物は、綺麗に無くなった。残ったのは、ほくほくのキャバ嬢の笑顔だけだった。
リズは、食べ物で一杯の袋を抱えながら、家に向かっていた。多少遅くなったが、あのお店で週二回働くだけで、とりあえず家族が飢えることが無い。空いた週の五日を使って、まっとうな昼の仕事を探す時間も生まれるなと、明るい表情で歩いていた。
ひゅうと風が吹いた。首筋がひやりとすると共に、リズはハンナに言われた事を思い出す。
「リズ、最近、私達くらいの女の子を狙った殺人鬼が出ているの。帰りは出来るだけ賑やかな通りを歩いて帰るのよ!」
リズは、周囲を見回した。誰の気配も無い。ハンナに注意されたが、家に帰るにはこの寂しい道を通るしかなかった。
「そう言えば……夕方 路地で消えた黒い服の人って……まさか……」
リズは身震いをした。
もし殺人鬼の背中に抱き着いていたなら……、その欲望を余すことなく堪能されただろう。
「……はっ!」
リズは急に足を止め、強張らせた表情で右の細い路地を見た。
……だが、誰の姿も無かった。
「気のせいか……。お母さんに、何としてもこのお肉を食べてもらわないと……死ねない!」
リズはまた走り出すと、家へ向かった。
「がっ……キサマ……何者だ……」
リズが通り過ぎたある路地に、黒衣の男が二人いた。片方の男は喉元を片手で押さえられ、壁に押し付けられている。
「お前が、少女ばかりを狙う殺人鬼か。……確か、パン屋の店主だな」
顔にマスクを付けている黒衣の男が力を込めると、首を掴まれている黒衣の殺人鬼は宙吊りになった。
「な……なんて……力だ……」
「……そうか。パンを買いに来る頻度が減った家庭の少女を狙った訳か。パンすら買えなくなったような家庭は、経済状況が極めて悪い。なら、夜遅くまで働く少女が出てくると、そう思いついたのか。賢い奴だ」
「バ…バカにしてんのか……? キサマは……騎士には見えん……が……」
「誰だか分かっているんじゃないのか?」
「はぁ? 殺した子の親……か?」
「………………」
一瞬の間だった。マスクの男の集中力が解けたのを感じた殺人鬼は、懐に両手を突っ込んだ。
ズシュッ
マスクの男は右手を押さえて後ずさった。
殺人鬼は、両手に刃渡り五十センチ程の鉈を持ち、にやりと笑っている。
「男の肉は硬くてつまらねぇから、あんまり斬りたくないんだがなぁ」
「………………」
「さっきまでの余裕はどうした? なんとか言ってみろよ?」
「…………どうやら、快楽が目的のただの男か」
マスクの男は、右手で握っていた何かを路地に捨てた。それは、肉のようだった。
「なにっ!? それは……骨付き……肉?」
骨付き肉には、刃物で切られたような跡が二つ付いていた。
驚く殺人鬼の前で、マスクの男は何事もなかったかのように右腕を動かす。その右手を左手で包み、ゆっくりと両手を離して行くと、右手と左手の間に、黒い棒状の物が現れた。
ビュンッ
マスクの男がさっと右手を引き抜くと、その右手には、黒い刀が握られていた。
「こっ……こいつ……妙な手品……いや……だとしても……」
トリックで腕を斬ったと思い込まされたとしたら、見抜けなかった自分よりも実力が上かもしれないと殺人鬼は思った。例え同等程度だったとしても、そんな相手と戦いが長引けば、数件の殺人を犯している自分が人目に触れてしまう。
「一撃で決めてやる……」
殺人鬼はそう言うと、両手の鉈を振り上げて熊のように構えた。すると殺人鬼に対してマスクの男は、突きの姿勢をとる。がら空きとなった殺人鬼の胸に、マスクの男は狙いを定めているようだった。
「……くらえ!」
殺人鬼は、両手の鉈を交差するように振り下ろした。マスクの男が、一足分後ろへ下がると、マスクの男の眼前を殺人鬼の鉈が通り過ぎる。
「ふっ…ふへへ!」
殺人鬼はそのまま体を半回転させてマスクの男の背を向けると、回転の勢いで右手の鉈を後ろの壁に投げた。
ガッ
殺人鬼の鉈は、行き止まりの壁に突き刺さった。そこへ向かって、殺人鬼は一目散に駆ける。
「てめぇには勝てそうもねぇ! またな!」
殺人鬼は、壁に刺さった自分の鉈に足をかけ、垂直に飛び上がった。そして行き止まりの壁の頂点に手をかけると、壁の上によじ登った。
「次の街では、もうちょっと上手くやるぜ!」
にやりと笑った殺人鬼は、壁の向こうへ飛び降りる。
カッ
「なっ…」
殺人鬼の体は、白い光に包まれた。
殺人鬼の体を消し飛ばして突き抜けた白い流星は、そのまま空へ、宇宙を目指して飛んで行ったようだった。
静寂が訪れた時、マスクの男の姿も消えていた。
粗末な家から、楽し気な声が聞こえてくる。
「ゆっくり食べてねお母さん。もしかすると、骨が残ってるかもしれないから」
「お肉なんて、久しぶりね……。パンすらも……。そう言えば、パン屋のマッドとも、二週間は会ってないわ」
「今日も声をかけてくれたの。いい人よねマッド。お母さんと結婚したら良いのに!」
「まあ……何を言うのリズ!」
そう言いながらも、まんざらではない表情を母親はしていた。
「ほね付きにくっ! おいしいよおねーちゃん!」
母親、リズ、弟の家族三人で、遅い夕食を食べていた。
母親は体が弱っているので、骨を取って細かくほぐしたお肉を、弟は、骨付き肉をそのまま渡した。カラカラに乾いた体に、栄養が染みわたって行くようだった。
「ほんと、夢みたい。夕方、あの……変な貴族の男の人に会うまで、最低な気分だったのに……」
その時、リズは窓の外に流れ星を見た。それは妙に大きく、しかも、空から降ってくるのでは無く、空へと昇って行くように流れた。
リズは、その流れ星に、祈りを捧げた。
「女神様、あの長い黒髪の男の人は、女神様の御使いだったのでしょうか? 今日は、ありがとうございました」
「黒髪の男の人?」
「おねーちゃんの彼氏?」
母親と弟に聞かれ、リズは顔を赤くする。
「違うよ! 性格は傲慢で、典型的な貴族の男の人だったよ! でも……なぜかその男の人を見た後、良いことが訪れて……。たまたまだろうけど、不思議だなって」
すると、母親は微笑みながら言う。
「男の人って、陰で女性のために頑張ってくれるものよ。ばれても、偶然だよとか言ってね。お父さんもそうだったんだから」
「ぼくもがんばるー」
「そっ…そんなんじゃないよあの人は! 本当に、心の底から性格が悪そうな顔してたしっ! ……まあでも、喋らなきゃ……なんか……美形だった気がするけど……」
「次会った時に、お名前を聞いてみなさい」
「ダメよ! 一応、貴族様なんだから! 王立学院の生徒様で……王族って噂もあって……」
「王族!? なら、あまり失礼な事を言っちゃ駄目よ!」
「でも……なんか話も大げさな自慢話ばかりで、王族って言うのも嘘っぽいんだ。そもそも、あの人が本当に王族だったら、そこの王国は絶対に滅んじゃうだろうし」
「ふふっ……。だから駄目よ、そう言うこと言っちゃあ」
「くろかみながダメ王子ぃ!」
小さな家から、久しぶりに三人の笑い声が聞こえてきた。
今回はここまで!
次回をお楽しみに!




