月の王子様
「あっ、月見団子。そっか……今夜は十五夜なんだ」
バイト帰りのスーパーでふと足をとめる薫子。
大学に通うため上京してから八年。卒業してから四年、バイトをしながら小説を書いているが、そろそろ結婚のこと、仕事のことを真剣に考える時期に差し掛かっていた。
「そろそろ実家へ帰ろうかな……」
小説を書くなら別に東京にいる必要はない。
たしかに刺激は多い。だがバイトに明け暮れ、人が多い環境に疲れ切ってしまった今、大好きだった小説すら満足に書けなくなっている。これでは本末転倒ではないかと薫子は思う。
実家に帰れば少なくとも家賃や食事に困ることはなくなるから、執筆に集中できるし、両親からも帰って来いと言われていた。
人付き合いが得意ではない薫子にとっては、知り合いの居ない東京よりも学生時代の親友がいる地元の方が、というのも背中を押す要因になっている。
「来月で部屋の更新だし、年末は地元でゆっくりするのも良いかもね」
今のバイトも今月いっぱいで辞めることになっているし、なんだか全てが帰って来いといわんばかりにタイミングが揃っている。
「よし、そうと決まればお祝いにお月見だな。げっ!? ススキまで売っているの? さすがに無いわあ」
実家に帰ればその辺に腐るほど生えているススキを買う気にはならない。東京に染まりつつあっても、そこは譲れないラインだ。
定番の月見団子を購入し、薫子は神社の裏手にある公園でベンチに腰掛ける。
薫子にとって都会の喧騒を忘れられるお気に入りの場所だ。
「やっぱり。ここからなら綺麗に見えると思ったんだよね」
さすがに星はほとんど見えないが、建物の切れ目からは立派な十五夜の月が見える。
「こっちに来てから月を意識することなんて無くなってたからな……実家にいる頃は毎晩見ていたような気がするのに」
暗い夜道も、お月様が一緒に付いてきてくれるから安心していたんだっけ……と急に懐かしい気持ちが込み上げてくる。
「それにしても月見団子多いな……こんなに食べ切れるかな」
「ははは、十五夜の月見団子は十五個と相場が決まっているからね」
「だ、誰ですかっ!?」
「月の王子様です」
突然あらわれた二十代くらいに見える男性。たしかに王子に見える恰好をしているが、自分で様付けはどうなのか。
「警察呼んだ方が良いですか?」
「なぜ僕に聞くんだい?」
「それもそうね。ごめんなさい、ちょっと動揺していたから」
「気にしなくていい。それよりお腰につけた月見団子、八つ私にくださいな?」
「なぜ桃太郎風!? しかも八つって多いな、少しは遠慮してください」
薫子はわりと食い意地がはっているので、個数にはシビアだ。
「だって十五個もあるんだよ? 半分に分けて僕が八個、君が七個食べれば良いじゃないか」
「ちょっと待ってください。お金を出して買ったのは私ですよ? 私が八個で貴方が七個です」
「わかった。七個で手を打とう」
「はっ……いつの間にか王子のペースになっている」
薫子は後悔したが、王子の幸せそうな顔を見ると今更駄目だとは言えない。
それに……せっかくの十五夜の月だ、一人で眺めるのもそれはそれでもったいないのではないかと思い直す。
「月見と言えば月見酒だよね、一緒にどうだい? えっと……」
「薫子です。わあ、お酒ですか!! いただきます」
薫子は酒好きなので一気にテンションが上がる。月を見ながら大好きなお酒を飲む。最高ではないかと。
「これはね、月でしか作れない貴重な銘酒なんだよ」
「……普通にコンビニに売っている奴ですよね、なんでそんな一秒でバレる嘘ついたんですか?」
「うん、ちょっと見栄を張った」
王子の見え透いた嘘だったが、薫子はそういうのは嫌いではないので、むしろ面白い人だと好感をいだいてしまう。
「ところで、なぜ月の王子がこんなところに?」
「お嫁さん探しに降りてきたのさ。薫子、良かったらどうだい?」
「ノリが軽いですね。もしかして誰でも良いんじゃないですか?」
そう言いながらも、王子は鑑賞に耐えるイケメンだ。それにきっとお金持ち、だって王子だから。だからまったく全然悪い気はしないが、さすがにこの状況ではいと言うほど世間知らずではない。
「そんなことはない!! 僕は薫子にこの月見団子をもらって夢中になってしまったんだ」
「チョロいですね王子。でも騙されませんよ、夢中になったのは団子の方ですよね?」
薫子とてそこまで自分に過剰な自信は持っていない。
「まあね」
台無しだ。そう思いつつも、素直で正直な王子の性格は好ましいと薫子は考えていた。
「でもなんでわざわざ地球にやってきたんですか? 王子ならいくらでも相手が見つかりそうですけど?」
「ボッチだからさ」
「ごめんなさい……」
王子なのにボッチなのか。薫子は優しい目で王子を見つめる。
「月にはウサギしか居ないんだ。あいつらときたら、喋らないし、モフモフしているのと餅をつくくらいしか能がないからね。毎日三食餅だし。淋しいんだよ、誰でも良いから相手が欲しかったんだっ!!」
王子の心の叫びに同情する薫子。それが本当ならたしかに淋しいだろう。モフモフは羨ましいけれども。毎日餅ではさすがに飽きるだろうし。
「でも結婚したら月に行かないといけないんですよね? それはちょっと……」
月で小説が書けるとも思えないし、たぶん宅配も届かないだろう。
「いや、僕がこちらに住んでも構わないよ。向こうへは年末年始とお盆に帰れば良いし」
「でも、王子は戸籍無いですよね?」
「問題ない。ちゃんと戸籍は手に入れている」
「それはやっぱり月の力的な?」
「いや、闇のブローカーから購入した」
「……」
まあ、犯罪に使うわけじゃないから別に良いかな、結婚出来れば構わないし。と最終的に妥協する薫子。
「まだ問題はある。お金と仕事は大事」
むしろ一番大事なポイントだ。イケメンだからと夢をみられるほど若くはない。
「ハハハ、僕は月の王子だよ? ウサギどもが生産した餅を売れば良い」
「地味だけど有りね」
薫子の実家は餅屋だ。産地偽装すれば行けるだろうとほくそ笑む。
最悪、王子はイケメンだから、モデルとしても通用するだろうし。
「わかった。OKよ」
出会ったばかりだが、これはもはや運命だろうと薫子は思う。
「あ……実はまだ話していないことがあるんだ……」
まさか他にも女がいるとか?
「月の力が弱まる新月の日、僕は本来の姿に戻ってしまう」
本来の姿に? エイリアンみたいなのは嫌だなと心配になる。
「忌まわしいウサギの姿にね」
「ちなみに大きさは?」
「気になるのそこ? 二メートルくらいかな」
マジか!! モフラーの薫子は歓喜する。
「今すぐ結婚しましょう! いや、してくださいお願いします!!」
「ハハハ、今宵は満月、祝言をあげよう」
その後、薫子の地元に帰って結婚した二人。
結婚生活を描いた私小説『月の王子様』がベストセラーとなり、映画化されるのことになるのだが、それはまた別のお話。
作 / 楠木結衣さま