第1話: 魔女と吸血鬼
「へ?……いまなんて」
「だから、あんた吸血鬼なのにニンニク丸ごと食べれんのねって」
このニンニク焼きを丸かじりしながら思考停止している男は、メルヴィス • グリーン。通称メル。弱冠17歳の吸血鬼だ。先祖代々吸血鬼で、生まれたときから吸血鬼として育ち、いまは人間に扮して暮らしている。メルにとって吸血鬼であることは絶対に知られてはいけない、極秘事項である。動揺を悟られないよう、一拍置いてから答える。
「……えーっと?吸血鬼って?あの伝説の牙が生えた魔物のこと?」
「魔物て。自分もそうでしょうに」
「いや!いやいやいや!何言ってるの、吸血鬼だなんてそ、そん、そんなことあるわけ……全くジェンって本当、突拍子もないこと言うよね~ははははは……」
「あんた浮気はバレるタイプね絶対」
盛大にひきつり笑いを始めたメルの正面で脚を組み、優雅に座っているのはジェニファー • ヘイズ。通称ジェン。国に雇われている国家魔女である。いまは大好物のチーズを食べ比べしていてご満悦だ。
「嘘でしょ……いつから?いつから気づいてたの?」
「初っぱなから」
「え、出会ったときから?」
「そうね」
メルは目を瞑ると、ゆっくりと天を仰いだ。この魔女は人の心が読めるのだ、とメルが気がついたのは約3ヶ月前。それから今日まで大丈夫、たぶんまだバレてない。とだましだまし過ごしてきたが、もはやこれまでのようだ。さらりと爆弾を落とした張本人は、悪さをする前の子供のような企み顔をしている。
「なーによ今更。わたしが心を読めること知ってるでしょ?」
「心の中でも隠し通せてたと思ってた……」
「駄々漏れもいいとこね」
「うう」
事の重大さを考えると、胃がキリキリと痛みメルは力なく机に突っ伏した。一族にどう言い訳しよう。そもそも魔女と住んでることから説明しなくちゃいけないのか。などと考えていると、頭の上から声が降ってくる。
「随分イメージとは違うのね」
「……イメージってニンニクで撃退できるとか日光が苦手とか牙がはえてるとか?」
半ば投げやりに言いながら、腕に埋めていた顔をチラリと上げる。ジェンの目元にある泣きボクロに目線が縫い付けられた。あけすけな性格に似合わず、常に些細な色香が漂っているのはこのホクロのせいだ、とメルは思う。時々密かに盗み見してしまうことは、メルのもうひとつの極秘事項である。これもバレてるのかもしれないけど。
「そうそう。メルが棺桶で寝るのなんか見たことないし」
「棺桶で寝たりなんかしたら次の日全身バキバキだよ?」
「固い枕を好む老人もいるって言うじゃない」
「吸血鬼を何だと思ってるの」
絶対にわかって言っているであろうジェンに、じとっとした目線を向ける。バレてしまったものはしょうがないと一旦開き直り、メルはいつもの調子を取り戻し始めた。
「そういうジェンこそ魔女の "ま" の字もないよね。黒い帽子や黒いロングローブ着てるとこなんて見たことないしさ、鼻も鷲鼻じゃない」
ジェンは名乗らなければ、一見して普通の人間である。まあとんでもなく美人ではあるが。胸元まである髪は黒く艶やかでウエーブがかかっている。服装はいつも魔女とは到底思えないほど現代的だ。年齢を聞くと帰ってくる答えは327歳。27歳頃に成長が止まりそれから面倒臭くて歳を数えてないんだろうな、とメルは推測している。この魔女はそういう雑なところがある。
「魔女が鷲鼻の意地悪なおばあさんなんてね、どこの世界にそんなステレオタイプがいるっていうのよ」
鼻で笑うジェンを尻目に、ステレオタイプを最初に押し付けたのはどっちだとメルは心の中で愚痴る。心が読める相手はやっかいだが、声に出さず伝えられるのはなかなか便利だ。心の中だけで愚痴られる方が精神的に効く、と前にジェンが言っていたことを思い出す。
「で、吸血鬼って言うからには血飲んだりするの?一杯いっとく?」
ほれ、とジェンは着ていたセーターの襟元を少し寛げると、からかい半分で首を傾ける。メルは罰悪そうに目線を逸らし、盛大にため息をついた。
「……俺が本当に人から血を貪る魔物で、噛みついてきたらどうするつもりなの?」
「魔女の血は美味しいっていう新たな見解が得られるわね」
「ジェンのはそんなに美味しそうじゃない」
「ちょっと失礼じゃないそれ」
文句を言いながらも楽しそうな魔女は吸血鬼の皮を被った子犬を充分からかって満足したようだ。椅子に腰かけたまま人差し指を一振し、台所から追いチーズを物色し始めている。実際に魔法を使ってるとこ見ると、魔女だよなあ。とその様子を眺めながら考えるメルは、近々本当にジェンの血を味見する機会が訪れるとは夢にも思っていなかった。