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第七話 フローライト・エゼルは夢心地。

 そして、茶話会当日。

 フローライトは会場でひたすら平静を装うことに必死だった。

 想像よりもはるかに自分の気持ちは高ぶっている。


(ダメよ、ここで浮かれすぎていては令嬢として不適格だわ)


 楽しそうにしているだけなら、この場を楽しんでいるように見えることだろう。だが、フローライトは自覚していた。今、自らの表情筋を自由にしてしまえば恐ろしくだらしない表情になるか、不気味な笑みを浮かべるか。そんな状況でエイダンの前に出ることは許されない。


(他の皆様には緊張された様子も見られない。社交界に慣れていらっしゃるからかしら)


 フローライトも商談するという意味では人と話すことは多いが、このような場に出てくるのは初めてだ。

 もっとも、仮に何度パーティーに参加したとしてもエイダンの前に出るとなれば今と変わらぬ心境になると思っているが。


(下手に口を開かなくても済むよう、端で待機させていただきましょう)


 幸いなことに、まだ人々の心の声が聞こえないよう制御はできている。

 この人だかりで心の声が強制的に届いたのであれば、実際の声と相まって体調不良が生じるのは必至だ。


 そんなことを考えながら果実水を口にしていると、急に周囲がざわめいた。

 皆が向いている方向にフローライトも顔を向けると、そこには漆黒の髪の青年が従者と共に登場した。

 フローライトは息を呑んだ。


(エイダン殿下……!)


 一昨日も見た恩人だが、正装で見るのは初めてだ。


(当たり前……当たり前だけれど、とてもよく似合っていらっしゃるわ!)


 心臓が激しく脈打ち、息の仕方がわからなくなるほど、フローライトは感動していた。

 そして、そのせいで挨拶に向かう令嬢や令息たちより初動が遅れた。


 だが、それを取り返そうと走っていくわけにもいかない。

 それはマナーとしてどうせ割り込めないということもあるが、仮に今すぐ挨拶できたとしてもまともな言葉を発せるかどうか自信がない。


(落ち着くのよ、私。まずは落ち着かないと……殿下に不審者だと思われかねないわ!)


 むしろ出遅れたことはフローライトにとって幸いだったかもしれない。

 エイダンに挨拶をしている者たちの様子を観察していると、ほんの一言、二言で下がっている。


(もしくは、下がらされている……といったところかしら?)


 いずれにしても人が多いので一人一人に時間をかけていては全員の挨拶を受けるのは不可能だ。

 参加者はフローライトの想定よりずいぶん多い。

 これも平等な機会を作るためだと思えば、さすがですと心の中で拍手喝采したくなる。


 こうして徐々に気持ちを落ち着かせるために、フローライトはエイダンに挨拶しているだろう人々を見た。


(こんなにたくさん、素敵な御令嬢たちがいらっしゃるのだもの。お后になれなくても、殿下の素晴らしさを世に広めようとする同士だって必ずいらっしゃるはずだわ)


 今までは一人でエイダンの素晴らしさを広めようとしていたが、事業の成功と比べれば目的を達成しているとは言い難い。

 だが、同志を得たならきっと新たな方法も見つかるはず……そう、フローライトは夢を描く。


 そんなことを考えている間に、エイダンの周囲から人は減っていた。

 皆、ちらちらとエイダンを気にする素振りはあるものの、あえて話しかけようとはしていない。


(そろそろ私も……でも、まだ心の準備が……)


 だが、決意を固めきれずにいるとエイダンがこのまま会場を後にしかねない雰囲気が現れた。


(チャンスを逃すのだけは絶対ダメ!)


 ようやく状況に覚悟が決まった。

 息を一度大きく吸い、目を閉じる。


(次に目を開いたとき、私は演者になる)


 浮ついた心を表には出さず、絶対に隠す。

 それは見てくれを気にして、ということももちろんだが、いざ対面するとなると中途半端な気持ちではエイダンに失礼だ。


 相手はフローライトにとってもはや神に等しい存在だ。

 緩い態度で挨拶に臨むわけにはいかない。


 背筋を伸ばし、ただ、まっすぐ。

 フローライトが近づくと、新たな訪問者に気付いたらしいエイダンの視線を得ることができた。


 足が止められ、身体を正面に向けられたところでフローライトは深く礼をとった。

 頷かれるのを待ってから、フローライトは口を開いた。


「第一王子殿下にご挨拶申し上げます。私、フローライト・エゼルと申します」


 何千回と練習した挨拶はすべてはこのためといわんばかりの、渾身の礼だった。


「殿下の未来が、この花季祭のように温かな世界であるよう心からお祈り申し上げます」


 周囲に合わせて一言だけしか添えられないことは歯がゆいが、エイダンの功績が凄いことは本人が知らないわけもない。

 ならば、ありきたりでもこの言葉が一番かと判断した。


「フローライト・エゼル」

「はい」


 初めて名前を呼ばれた。

 そのことだけでフローライトはここに来てよかったと歓喜した。


「……心遣い、感謝する」


 その言葉と共にエイダンは去っていった。


(殿下からの、お言葉……‼︎)


 歓喜に震えながらフローライトはその後ろ姿を見送った。


 事前学習したことは何一つ役に立たなかった。

 けれど、それはまったく無駄になったとは思っていない。

 なぜならそれを忘れるくらい今のフローライトは夢心地であり、むしろこれからもっと気合を入れて頑張ろうと思っていたからだった。


 その後は何人かの令嬢と話をしたが、残念ながらフローライトが抱くエイダンへの熱量を感じさせる者とは出会えなかった。

 皆、社交辞令のような言葉は述べるものの、エイダンの行っている事業を知っていないような様子であった。


(御令嬢たちは流行しているファッションのお話をよくされているのね。それなら、最先端の農業やエイダン殿下のお名前ももう少し出てもいいのに)


 フローライトもいたくドレスを羨ましがられマダムに心から感謝したのだが、それでも同志を見つけられなかったことは心残りだった。

 しかし、きっといつか同志は見つかる。

 今日だって、まだ話をしていない令嬢のほうが多いのだ。

 直接言葉をかけてもらえたという事実を胸に、フローライトは祭典を楽しんだのち、領地に戻った。


 その頃には茶話会が妃選びの場であったことなど、とうに記憶から抜け落ちていた。

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