第二十八話 フローライト・エゼルも誓いを告げる。
フローライトの護身術は本気で鍛えた相手に敵うようなものではない。真剣と無手だからという問題ではない。そもそもの筋肉を動かす力が違うので、避けるという行為でも限界がある。
(まずい)
想定できなかったわけではないはずだった。
しかし頭が回転しても身体が動かない。
だが、ラーランドの剣はフローライトには届かなかった。
フローライトが感じたのは刃ではなく、強く引かれる力、そして布地の感触だった。
(え……ちょ……私今エイダン様の腕の中!?)
緊迫感の何倍もの心臓の動きにフローライトは昇天してしまうかと思った。
「貴様、何をしているのか理解しているのか」
凄みのある声などという修飾では生やさしい、相手を殺せそうな圧のある声がエイダンから落ちてくる。
フローライトはこの状況下で不謹慎だとは思いつつ『格好良過ぎる!』という興奮を抑えきれず小刻みに震えた。
とはいえにやけた顔などこの状況で出すわけにもいかないことは理解できているので、エイダンの服に押し付けられた顔をあえて離すわけにもいかなかった。
その中で聴覚はゴスッというような鈍い音とドサッという倒れた音を拾う。
(エイダン様がラーランドを気絶させなさった……。しまった、その雄姿を見損ねたわ……!)
絶対に格好良かったに違いない。
そう思うと激しい後悔も感じるが、今更時間を戻すことは不可能だ。
ならば、次の仕事に取り掛かるべきだろう。
エイダンは倒れたラーランドを拘束するよう、もう一人の護衛に告げようとしたものの、あえて自分で縄をかけた。
そしてフローライトは離れていくエイダンを見てから、もう一人の護衛を見た。護衛はエイダンから自分も疑われていることを感じ取っており緊張が隠せていなかった。
(けれど、あの人は本気で裏切るつもりがあったわけではなさそうだわ)
エイダン自身も疑ってはいるものの、断定はしていないようだ。それはこの最中、少なくともエイダンの不利になるようなことは何もしていない。いや、できなかっただけなのかもしれないが。
(何か理由があるのかしら)
そんなことを考えていると、フローライトの足から急に力が抜けた。
かくんとその場に座り込む瞬間、珍しく少し焦りを表情に浮かべたエイダンが手を伸ばした。
「すまない、間に合わなかった」
「そんな、とんでもございません。私こそ急に……驚かせてしまい、申し訳ございません」
思っていたよりずっと緊張していたらしいことにフローライトは気が付いた。
加えて力の使いすぎもあっただろう。
けれど、倒れる前に支えようとしてくれたエイダンに申し訳ないと思わせるのも申し訳ないと思ってしまった。
「立てるか?」
「ありがとうございます」
伸ばされた手を掴み、フローライトは幼い日のことを思い出した。
あの時よりエイダンの手は大きく、力強い。ただ、心配してくれる、優しい気持ちは変わらない。
「どうした?」
エイダンの問いかけでフローライトは笑っていたことに気が付いた。
だが、昔を思い出したのは秘密だ。
「いいえ。エイダン様がご無事でよかったと。そして……ハロルド殿下も傷ひとつなかったことに安堵しております」
「ああ、忘れられてたわけじゃなかったんだ」
棒読みのようなハロルドの声にエイダンは内心跳ね上がるほど驚いていた。
「忘れるわけはございません。むしろキリがつくまではお声をおかけするほうが危ないかと思いまして」
「まぁ、だろうね。しかし護衛が王子の暗殺を企んでいたとは。強くて良かったね、弱けりゃとっくに殺されてた」
そう、ハロルドはエイダンに向かって言う。
そしてそう言うハロルド自身もおそらく相当な手練れなのだろうと想像できた。
「しかしこっちに来てから色々とエゼル家の噂は聞いていたけど、唯一か弱いと噂の御令嬢も心臓は相当強そうだな。大した無茶をする」
「お褒めいただき光栄です……?」
揶揄うような声でもないのでフローライトはそう返事すると、ハロルドは笑った。
「エイダン殿と話したことも面白かったし、武術の嗜みも拝見できて割と満足できたから、そちらの国内で何があったのかは追求しないし、変な護衛は見なかったことにしよう」
「感謝します」
「いや、むしろレアな場面に遭遇できて良かったと思うよ。どこの国でも多少なりともゴタゴタはあるだろうけど、エイダン殿と婚約者候補殿なら対処できて安定した時期を迎えるだろうと把握できたからね」
あっさりと言われた言葉にフローライトは微笑みながらも言葉に詰まった。
(そう、候補! 候補でしかないのよ、私は! 半分はお世辞だと思わないと! でも、半分でもお似合いという雰囲気でおっしゃって頂いたと思うと、にやけてしまいそうになる……我慢、我慢!)
一方、エイダンは「ありがとうございます」と、社交辞令に対する返答のような声色で返していた。
そのことに『こんな状況でもクール!!』とフローライトはさらに悶えた。
「しかしエイダン殿は少し話し方を砕けさせてくれてもいいと思うんだけど。私だけこんな喋り方だと失礼だろう?」
「今更ですし、気にしてはおりませんが」
「今更だが、私が気になるんだ!」
それなら自分の行動を変えるのも選択肢であるだろうに、あえてエイダンに強く迫るハロルドにフローライトはほのぼのとした気持ちになった。
いまだ激しく動いている心臓で皆の心の声は聞こえていないが、ハロルドの気持ちはわかる。
(友人だと思っているので距離を感じたくない、でも素直に言えないお年頃……というものでございますね!)
しかしエイダンはピンときている様子もない。ただ、反論できる理由も思いつかなかったのだろう。
「ハロルド殿が言うなら、そうしよう」
やや遠慮気味な気もしなくはないが、エイダンはそう言った。
「じゃあ、一連の事件は何も見なかった私は再び狩りに戻るとしよう。フローライト、いいものが狩れたら調理を頼む」
「かしこまりました、お気をつけて」
「そっちもな」
笑って馬に乗るハロルドにフローライトは首を傾げた。
(そっちも……とは? 私が狩りをなんて、ハッタリだとご存じのはずなのに)
何を言っているのかと思ったが、まだ心の声は聞こえていない。
「とりあえず……ソレを然るべき者に引き渡したら、話がある」
「はい」
ソレとはラーランドのことだ。エイダンはもう一人の護衛に「運べ」と命じた。気を失った拘束された男を運ぶのは大変そうだとフローライトは思ったが、護衛は非常にテキパキと動いていた。
そしてフローライトたちは待機場に戻った。
エイダンはそこで主催者である国王に目だけで合図すると、国王もまた側近に目で合図を行う。すると護衛と未だ意識のないラーランドはどこかへと誘導されていった。
「ではフローライト、こちらへ」
そうエイダンは促すが、彼の心の中はひどく荒ぶっていた。少しずつ想いを聞く力は戻りつつあるが、嵐のように荒ぶりすぎている彼の心の声を拾うのは困難だ。
ただ一部に『あのクソジジイ』と普段のエイダンらしからぬ言葉だけは拾えた。
(とても貴重だわ)
そんなことを思っているうちにひとつの天幕に到着した。簡素とはいえ品のある椅子が用意されているそこは、エイダンの控え場所のようだった。
座るように促されたフローライトが着席すると、エイダンは起立のまま深く頭を下げた。
「巻き込んでしまい、本当に申し訳ない」
「頭を上げてくださいませ……! エイダン様が謝罪なさることなど、何ひとつございません!」
そもそもエイダンはむしろ被害者になりかけた立場だ。
しかしエイダンは首を振った。
「おそらく……先ほどの様子から、国王陛下は不届者の存在を認識なさっていた」
「え?」
「私の護衛は近衛騎士の中から選ばれる。今回の護衛は共に新参の近衛だった。もっとも、危険度の少ない場所なら経験を積むためによいと判断なさったと思っていたが……」
『あのクソダヌキ、餌に私を使うならまだしもフローライトが、巻き込まれる状況を野放しにしていたのはどういうつもりだ⁉︎』
「落ち着いてくださいませ、エイダン様」
エイダンの発する言葉は冷静であるし、表情も大きく変わらないので適切ではない発言かもしれないと思いつつ、フローライトは口を挟んだ。
自分が巻き込まれたことに怒ってくれている姿は素敵ではあるが、フローライトとしては少しでもエイダンの役に立てたのであれば、むしろ幸運だとさえ思える事柄だ。
それに、理由なく国王が自らの息子を危険に晒すとも思わない。
「……もしかして、陛下はエイダン様を試そうとなさったのでしょうか?」
国王に謁見しているわけではないので想像の範疇に過ぎないが、そう思うとしっくりくる。
国王主催であれば、起こりうる事象に対処できるよう備えておくことも難しくはない。たとえエイダンが悪意に気付かなくても守れるように人員を配置したり……。
(あれ? でも、それだとおかしいわ)
エイダンは近衛が相手であっても圧倒するほどの実力があると把握されていた。
それにあの場に他に人はいなかったとフローライトは断言できる。
となると……。
(むしろ試されていたのは、私!?)
仮に偽使用人に連れ去られそうになっても、奪還できるよう人を配置されていたとしたら。
そのまま助けられ、その誘拐と事前に集めていた情報を持ってラーランドの捕縛に動くよう手配されていたら。
(結果は同じだけれど……私の行動はどう評価されるのかしら!?)
もう少しスマートな方法があっただろうと指摘されれば否定できないので、今更ながら失敗したかもしれないと緊張してくる。
「……いずれにせよ、陛下の意図を見抜けず危険な目に遭わせてしまったことを、謝罪させてほしい」
「そのようなことを仰らないでくださいませ」
「だが、私の気が済まない」
「では……それは、エイダン様がお守り下さったことで相殺いたしませんか?」
「は?」
「私、エイダン様に守っていただきましたから」
フローライトが微笑むと、エイダンはしばらく固まっていた。そんな姿も彫刻のようでさまになるとフローライトが思っていると、エイダンは急に膝から崩れ落ちた。
「エ……エイダン様?」
「貴女は……とても格好がいいな」
「……え?」
おそらく褒め言葉であることは理解できる。が、格好の良いことをしたのは自分ではなくエイダンである。そして令嬢に対する褒め言葉で格好がいいとは聞いたことがない。
何を言われているのかわからないでいるとエイダンはそのまま片膝を立て、フローライトの前で跪き、フローライトの手を取った。
「危険を顧みず私の元に駆けつけてくれたこと、心より感謝する。そして今後は私が貴女に危険が及ぶ前に、その根源を消し去らせてほしい」
真剣な目がフローライトを捉える。
そんな見つめ合う状況にフローライトは頭が沸騰し心臓が暴走するかと思った。
(いえ、エイダン様はお礼として仰っているのよ、勘違いはよくないわ! 勘違いしそうだけれど、硬派故のお言葉だと認識するのよ!
好感を持っていただけたことは確かだけれど、期待しすぎてはダメ!!)
そう、自分に言い聞かせながらフローライトは両手でエイダンの手を握り返した。
「家臣を心配してくださるお心、とても嬉しく感じております。ですが、私は私のなすべきことを行ったまででございます。これからも、お側でより精進することをお約束させてくださいませ」
そう落ち着くように努めて言葉にしつつ、心の中で『そして、いつか見合う女性となることを誓います』と続けた。
ただしその一方で『この距離は近すぎて不敬になるのでは』や、『反射的に手を握ってしまったけれど、私は座ったままじゃない!
偉そうで良くなかったわ……!』と、自身の失態に軽く混乱もしていた。
だから、その時エイダンが石化したといってもいいほど無になったことなど、気付くよしもなかった。




