第二十七話 フローライト・エゼルは見つけ出す。
集中力を極限まで高めると、広範囲の心の声を拾うことができる。
ただ、ぐわんぐわんと非常に不快な音が頭に響く。
まるで殴られたかのような気分になる音を聞きながら声を拾うことは大変だが、今はそのようなことを言っている場合ではない。
(眉間に皺を寄せ歯を食いしばれば耐えられる)
そう思うと、ただただ力に感謝するしかない。
『獲物だ、狩るぞ!』
『腹が減ったな。休憩でもするか』
『なかなか綺麗な森だな』
『魚がいる』
『弓は苦手なんだよな』
(この辺りでエイダン様の声は見つからない。そして、不届者の声も)
どちらかの声が聞こえさえすれば、次に取るべき行動も考えられる。
悪い声が聞こえていない現状では『まだ大丈夫だ』と自分に言い聞かせることができるものの、焦る気持ちを落ち着けられるものでもない。
(でも、本当に大胆な計画ね。よりによって、他国の王子がいらっしゃる時に仕掛けてくるなんて)
ただし、ハロルドに危害を加える計画を立てている可能性は高くはないと考えた。
フローライトを拉致しようとした偽使用人も油断していなければ強かったのかもしれないが、武術に秀でているとは言えないフローライトが返り討ちできたレベルだ。そう考えると、常時護衛を伴っているハロルドを襲撃するにしては、いささか人材不足が過ぎるだろう。
(おまけに今日のハロルド殿下はいつもより多くの護衛を伴っていらっしゃる。これならお一人で行動されていたこともある城内のほうが、まだやりやすい)
しかしそれはエイダンも同じはずだった。
今日はエイダンにも二名の護衛が付いている。
そう考えれば、むしろハロルドに関しては彼に……いや、カルヴィア王国に『王子が危険な場所に巻き込まれた』という印象を与えたいのではないかと思ってしまう。
いずれにしても両殿下の声が見つからなければ話にならない。
そのように焦りを感じながら森を突き進んでいくと、やがて『滝の方に殿下がいらしたから、別のところで狩るか』という参加者の声が聞こえてきた。
エイダンはまだ無事だ。
そう認識すると同時に、頭の中に森の地図を思い浮かべた。森に入る予定はなかったものの、万が一に備えて頭に叩き込んでいたのだが、それを活用せざるを得ない現状は最悪だ。
(この森に滝は一箇所だけ。でも、エイダン様も移動なさる。集中して、急がなきゃ)
そして馬を走らせた。
そして……滝に近づき、その先でエイダンとハロルドが一緒にいることに気が付いた。
ぼそぼそと何か話しているようだが、もはや見つけられたなら声を聞く力を抑えても問題はない。
二人もフローライトが近づくのは馬の音で気が付いたらしい。
「フローライト……⁉︎」
「は!? お前参加してたのか?」
いるはずのない人物に二人は驚いたが、フローライトは馬上から降りた。
すぐに退避を勧めたいが、思ったよりも自身が疲弊しており、乱れた息が整いにくい。
すると、先にエイダンがフローライトの背をさすりながら尋ねた。
「どうした」
「エイダン様を狙う者、が現れました」
大きな声は出すことができず、しかし懸命に言葉を紡げばエイダンにはなんとか届いた。
「一時退避を進言いたします。護衛は、どこに……」
「少し用件があったので離れさせている」
状況からは何か二人で内密に話すべき事柄があったのかと思うが、タイミングが悪い。
しかも本来危険だと考えにくかったハロルドまでここにいる。
「フローライトがここにいるくらいだ、よほどのことなのだろう。詳細は戻ってから聞こう」
「ありがとうございま……」
す。
その最後の言葉を言い切る前に、フローライトの言葉は途切れた。
エイダンが少し離れた場所に向かって合図を送った瞬間、舌打ちするような心の声が耳に届いた。
フローライトは思わず身構えた。
やがて、エイダンの前に二人の護衛が姿を見せた。
二人のうち上品な笑顔を浮かべている方が『エゼル嬢がなぜここに来ているんだ』と心の中で苛立ちを見せている。おそらく、彼が舌打ちをした方なのだろう。
もちろん予定外のことに苛立ちが湧くのは仕方がない。
ましてや王子の護衛であればなおさらだということも理解できる。
だが、この息切れしている相手を前に心配どころか一切動揺せず苛立ちだけを感じることに違和感を覚える。護衛であれば本来イレギュラーな出来事が護衛対象に悪影響を与えないかどうかを第一に確認する必要があるのではないだろうか?
『まさかエゼル嬢は狩りに参加していたのか……? だとしたら、計画自体が問題じゃないか。くそ、何を話していたか聞こえてさえいれば……』
(やっぱり、この人……さっきの女の仲間だわ)
フローライトはそう把握すると同時に大きく息を吸い込み、ゆっくり吐いた。まだいくつも息を吸い込みたい気持ちではあるが、そんな余裕はない。
そう思ったフローライトはエイダンの耳元で小さく囁いた。
「エイダン様、退避の前に護衛と話しても構いませんか」
エイダンは目を見開いた。
だが、その後は頷いた。
『意味もなくこのようなことを言うわけがない』
そう信じてもらえていることが、フローライトにとって嬉しい。
ハロルドの方をチラリと見れば、彼は『何かする気だな』と傍観するつもりでいるらしい。
許可が出たとはいえ、突発的な状況で何から話せばいいのかとフローライトは考えた。怪しい相手からいかに情報を得るか。
そう狙っていると、護衛の男が口を開いた。
「殿下、いかがなさいましたか」
「フローライト」
代わりに返答を、というふうに名を告げられ、フローライトは一礼した。
「実は……お恥ずかしながらエゼルの一員であることから推薦いただき大会に参加したものの、馬に乗るのがやっとで獣から逃げてきたのですが、方向がわからなくなり……殿下のお姿を見て安心してしまったところでございます」
「左様でございましたが」
『ちっ、そんな情報なかっただろうが。加えてとんでもない阿呆じゃないか』
にこやかに返答する護衛は苛立ちを見事に隠していた。そして、まだ諦めてはいなかった。
「では、殿下。私がご令嬢を待機場までお連れいたしましょう」
『予定とは異なるが、これでも問題ない。もう一人の護衛が残るなら不自然でもないだろう。こいつもこちら側だから問題はない。このまま身柄を拘束し、ハロルドと護衛が離れたところで王子を脅せば済む』
そう笑顔を浮かべる偽護衛の隣で、仲間とされた無表情の男は内心悪態をついていた。
『おいおい、本気でやめておけよ。エイダン殿下は二人がかりの不意打ちでも倒せるわけがない。次の機会がいつになるかわからないって思っているんだろうが、いい加減諦めろよ』
どうやら、無表情の男は積極的に行動に出たいわけではないらしい。むしろ、嫌がっているようだ。
(それでも従う理由は脅しでも受けているのかしら? ……いずれにしても、心配事はひとつ減ったわね)
そしてフローライトは笑顔の男に向かって微笑んだ。
「ご遠慮申し上げます。私、殿下以外の殿方と二人でいることにより不埒な噂を立てられる可能性を懸念してしまいますので」
「……左様でございますか」
返答までに少しの間があったのは仕方がないことだろう。返答までの時間で『普通、面倒なことを言うか? 自分のミスだろう』と思っているのだから。
普通ならそう思われても文句は言えないとフローライトも思うが、今の相手に限っては自分を人質にしたいだけなので戯言をと言いたいくらいだ。
「それに、森で私不審者を見た気がしますので、殿下のお側から護衛が減るのはよろしくないと思いますので」
「不審者? それはどういう者でしたか?」
一瞬目が鋭くなったように見えた男に気付かないふりをして、フローライトは指を折りながら特徴を思い返す。
「やや小柄な方です。短剣こそ持ってはいたものの、靴は皮で黒の短靴、服は仕事着という具合で狩りをするような格好ではありませんでしたね」
「それは使用人の装いのようですね。確かに使用人がいるのは妙です」
『しくじって見落としたのか。いや、森にいると思っていなかったなら仕方がない』
苛立ちを偽使用人に向けるも、自分が平静でいられるようにか、男は頷いた。
「よからぬことを企む使用人が発見された旨、ご報告感謝申し上げます。殿下の護衛を務める上で有益な情報でございます」
『とりあえず、使用人だと思われているなら目は欺ける』
そう、男がホッとした時フローライトは微笑んだ。
「あら? なぜ、使用人と断定なさっているのですか?」
「え?」
「私との会話を思い出してくださいませ。私は一度も使用人という言葉に同意しておりません」
そんなフローライトの指摘に男の目は見開かれた。
「それは……失礼いたしました。私が思い浮かべたのが使用人の格好であったため、先走りました」
「偶然思い浮かんだと」
「ええ」
「男女の別もお伝えしていないうえ、服も靴もあえてあいまいな情報をお伝えしたのに、割合としては数少ない女性の使用人が思い浮かんだと仰るのですか?」
『は……?』
なぜそんな指摘がと訝しむ男は、しかし確かに思い浮かべていたことを言い当てられ困惑していた。
「私は女性だなんて一言も……むしろ、どうしてそのようなことを?」
「使用人の格好について私がどのように申し上げたか覚えていらっしゃいますでしょうか?」
「仕事着の小柄な人物で、靴は黒の短靴……」
そこまで口にし、男は言葉を止めた。
「そうです。私、別にお仕着せとは申しておりません」
フローライトはにこりと微笑んだ。
「加えて城内において短靴は男女身分問わず茶色が基本です。黒を制服としているのはほんの一部の……王妃陛下直属の使用人のみ、ということをお忘れのはずがありませんね? 靴も然りでございます」
下級の使用人から上級の使用人まで、服の形は様々であっても、茶系と白の組み合わせが基本の中、フローライトの説明で使用人を思い浮かべる者は少ないはずだ。
その中で王妃の使用人が黒と白のツートーンの服装をしているのは、王妃が黒や濃紺といった濃い色を好むからだった。
もっとも黒の短靴が禁色というわけではないため、貴族でも庶民でも履くものは少なくない。
しかしこの条件下で王妃の使用人だと断定するのは少々突端な発想だ。
フローライトの説明をしっかりと聞いていれば防げたかもしれない。フローライトもあえて適切な情報は与えていない。
しかし考え事をしているなか話半分に聞いていたからこそ失態を口走ったし、そうなるだろうことはフローライトには読めていた。
「こ、この私としたことが……うっかりしておりました」
まだ言い逃れをしようとしても、フローライトに焦りはない。
もうこの男が悪あがきできる段階は終わったのだ。
「いずれにしても、使用人ではありませんよ」
「なぜ言い切れるのですか」
「私、本日受付のお手伝いも致しましたのでこの会場にいらしてる方はすべて記憶しておりますし、準備段階から使用人もすべて把握しております。もちろんあなた……ラーランド様のことも存じております。ですから、覚えのない顔は目立つのです」
「まさかそのようなこと……」
「必要なことかと思いまして」
そしてフローライトは笑みを深めた。
「本当はその不審者も、すでに捕らえているのです。私がここにいる意味、お分かりですか?」
『まさか……すでに口を割ったというのか!?』
笑顔が失せた男の顔に焦りが浮かぶ。
『いや、捕らえられていたとしても言い逃れは可能だ。勝手にアレが喋ったとしても証拠はない。だが私が口走ったことは……。証拠などいくらでも作れるし、殿下からもすでに疑いの目を向けられている……!』
ラーランドが勝手に証拠を作るタイプだからだろう、そう考えていることにフローライトは腹が立つ。エイダンはそんなことをしないしする必要もない。
「どうやら、ラーランドとは話をする必要があるようだな」
「で、殿下」
「場所は尋問室でとなるようだが」
その言葉にラーランドは言葉を詰まらせた。
逃げられない、エイダンに勝てるわけがないと言う絶望の中、ラーランドの感情の動きは目まぐるしい。
『どうして……私が動く前から失敗した? あの女が失敗したからか? いや、あの女が面倒なことを起こしたんだ』
そうフローライトへの恨みを募らせたラーランドは、自分の剣を突如抜いた。
『どうせ終わらせられるなら、この女も道連れにしてやる……!』
そうしてラーランドはフローライトに切り掛かった。




