第二十三話 フローライト・エゼルは懐かしむ。
さすがに登城した服装で市場に行くのはあまりに目立つのでフローライトは一度自宅に帰るつもりだったが、女官から「エイダン殿下のお召し変えの間に、どうぞ」と、また娘らしい服を渡されたため、直行できることになった。
(エイダン様がお忍び慣れているのは理解していたけれど、公然の事実なのは新しい情報だわ)
突然の王子の外出にもかかわらず女官が平然としていたのは驚いた。
フローライトが知っているエイダンのほとんどは紙から読み取れる人物像と、過去の記憶と、今の会ったときの反応だけだ。すべてを知りたいとは言わないが、まだまだ知らないことも多いと思わされる。
「……ラビックスの料理は、何を作るつもりなんだ?」
出発後、しばらくしてそんな質問が飛んできた。
デートだと緊張していたフローライトは会話をどうしようかと必死に悩んでいたので、問いかけてもらえることはとても嬉しい。
「パンの代わりになり、かつ搬入しやすく食べやすいポテトミートパイを考えているのですが、できればもう一品、珍しい料理を出せたらと考えております」
ミートパイの類も基本的にはフォークとナイフを使うが、野外においては手づかみでも支障無いものと認識されている。
ただしそれでも人によっては通常より大きく口を開けることに抵抗があるため、出す際には一口大のものと通常サイズのものを用意する必要もあるだろう。
「ミートパイか。配合次第で冷めても美味いと聞いたことがある」
「はい。こちらの試食もお願いしますね」
「まるでシェフだな。次々に案が出てくるとは。試食は楽しみにしている」
感心されるたびにフローライトは努力が現在進行形で報われていると喜びに打ち震えた。
「悪いが、一つ頼み事がある」
「何なりと仰ってくださいませ」
「試食以外にもできることがあればさせてほしい。次の出発は明日の夜で、それまで時間は作れる。芋の皮剥きでも、なんでも構わない」
(やっぱりエイダン様は最高だわ……!)
時間に余裕があるわけでないのに、作ろうとしてくれている。
その上、芋の皮剥きという、本来なら王族がする必要のない事柄であっても何かしたいという心意気は責任感の強さの表れだろう。
(他にもたくさんの任務を命じられていらっしゃるのに)
無理をしていないかという心配はあるものの、今現在のエイダンに疲れの様子はなく、むしろやる気に満ちている気しかしない。
「もちろんでございます。……ちなみに、エイダン様はお芋は処理なさったことがございますか?」
「……ない」
「でしたら、お芋を切るときは猫の手にしていただくことをお約束してくださいね。こう、ぐーっと丸くして押さえるんです」
「こ、こうか?」
「ええ、そうです」
握り拳で芋を押さえる真似をするエイダンにフローライトは感動した。
(やはりどんな格好でもお似合いになるけれど、これは一段と可愛い……世界一可愛いポーズだわ!)
周囲から見れば、無表情な男が握り拳を作っている程度にしか見えずとも、フローライトにとっては特別なポーズに見えて仕方がなかった。
※※
市場ではラビックスの肉を買う前に、香辛料をいくつか購入することにした。
「荷は私が持とう」
「よろしいのですか?」
「貴女より力はある。それに、商品を選ぶ時に紙袋は邪魔だろう」
この言葉にフローライトが一層テンションが上がったのは言うまでもない。
見ているのは食材でも、フローライトにとっては宝飾店に来店しているカップルというくらいの気持ちになる。
(それにしても……エイダン様と再び街を歩く日が来るなんて)
やはり思い出されると格好が悪いので言うつもりは今もないが、懐かしい思い出がフローライトの中で呼び覚まされる。
あの日、見つけてもらえなかったらフローライトの今の世界は違うものになっていただろう。
そんなことを思っていると、不意にエイダンの足が止まった。
何かと思い視線の先を見れば、ずいぶん身なりのよい少年が見える。年は十を超えたあたりというところか。
少年は一人だった。
エイダンの眉間には皺がよる。
(身なりから考えると、おそらく迷子ね。エイダン様はお声をかけたいご様子だけれど……何か躊躇っていらっしゃる?)
フローライトは浮かれていた心を落ち着け、耳を傾けた。
『知らない男が声を掛けたら余計に子供は不安になるか……』
(なるほど、確かに体格が良い男性だと驚くかもしれないわ)
そして迷子の不安さはフローライトもよく知っている。
見上げる必要がある相手から声を掛けられれば、本来ないはずの威圧感を感じてもおかしくはない。
(迷子になったことなど、エイダン様にはないでしょう。そんな中でそこまで考えていらっしゃるなんて……やっぱり素敵だわ!)
しかし、それならここは自分の出番だ。
「エイダン様。あちらの少年に声を掛けてもよろしいでしょうか?」
「え? あ、ああ」
「ありがとうございます。では、さっそく参りますね」
そして、一歩を踏み出した。
「ごきげんよう。何かお探しでしょうか?」
フローライトの声に迷子だと思われる少年は振り返った。
「……あんたは?」
「通りすがりの買い物客でございます。お困りのようでしたら、お手伝いできると思います」
「ふん」
偉そうに鼻を鳴らすものの、否定はしない。
(意地っ張りなところも可愛い)
しかし、この様子だとほぼ迷子は確定だろう。
「お連れの方はいらっしゃいませんか? もしかすると、探していらっしゃるとか」
「ああ。迷ったようだから、探してやっているんだ」
『いや、迷ったのはお前だろう』
エイダンのツッコミを聞きながら、フローライトは笑顔を続ける。
「では、まず警備の詰所に参りましょう」
そうして手を差し出したが、その手は払い除けられた。
そのまま少年は「行くぞ」と言って歩き出す。
(お元気そうで何より)
拒否されてもフローライトはほくほくとした気持ちになった。
ただ……。
「少年さん。詰所は逆方向なので、ご案内いたしますよ」
余計に迷子になりかねないと、フローライトは少しだけ心配した。
これは早く詰所に向かい、連れの相手が来てくれることを願わずにはいられないと思ってしまう。
ただ、まっすぐそこに到着するかと言えばそうでもない。
いつもより詰所へ向かう方向への道が混んでいる。歩けないわけではないが、肩がぶつかってもおかしくないくらいの人が集まっていた。
「……この先で、どうやらストリートパフォーマンスの大会をしているようですね」
周囲の話し声に耳を傾ければ、その情報はすぐ得られた。
突っ切るか、迂回するか。
自分達だけであればフローライトもあまり気にしないが、少年が押されて怪我をするのは避けたいところだ。
だが、少年はそんなことを考えてはいない。
「別に見る気はない。早く行くぞ」
(うーん、これは迂回の提案も嫌がりそう)
口調からもなかなかわがままな様子が窺える。身分も初めに想定したより高そうだ。
だとすれば、はぐれただろう使用人は気が気でないことだろうなと同情した。
『仕方ないな』
「エイダン様?」
「前を歩く。はぐれないようついてこい」
そして横並びだったエイダンは前を歩いた。
フローライトは少年を前にしてその肩に手を置き、はぐれないようについていく。
(歩きやすいよう、人混みを掻き分けてくださるなんて……尊すぎる!)
王子がすることではないだろうなと思えば、やはり優しさが溢れているとしか思えない。
(過去のエイダン様が重なって見えるわ)
不安だろう少年には申し訳ないが、大変貴重な時間をもらえたとフローライトは感謝してしまった。
詰所にはすでに少年の連れらしい使用人が到着していた。
ひどく慌てた使用人は今にも泣き出しそうなほどだったので、下手をすれば少年ははぐれたのではなく、誰にも言わず出てきていた可能性すらあると思わされる。
巨大な心の声も『どこ行ってたんですかあ‼︎ 問題起こさないってお話ししてくださってたじゃないですかー! もうやだこの人の従者!!』と悲鳴をあげていたので、矛盾はない。
ただし、少年は気に留める素振りなかったのだが。
「助かった」
端的だが、なかなか尊大な態度をとっている少年から出た言葉は最大限の感謝を伝えたのなろう。
エイダンをちらりと見れば、「あぁ」と短く返していたので、フローライトも微笑んでそれに倣った。
『見つかったならよかった』
エイダンのその心の声がなければもう少し礼の言い方を教えたほうがいいのではないかと思ったが、感謝されている方が納得しているなら、少なくとも今は言うべきことではないだろう。むしろエイダンの気分を害するかもしれない。
そんな中で少年の使用人は一刻も早く去りたい様子であったため、空気を読んだらしくさっさと去るエイダンとともにフローライトもその場を後にした。
そもそもエイダンも警備隊に王族だと気付かれたくないので長居はできない。
「……ひとまず、見つかってよかったですね」
詰所から少し離れたところで、フローライトは口を開いた。
「ああ。だが……意外だった」
「いかがなさいましたか?」
「詰所の場所を把握するほど、王都に精通しているとは思っていなかった」
確かに領地に引きこもっていたフローライトが詳細を知っているとは思い難い。
詰所に用事があることも、何か困ったことがない限りほとんどないはずだ。
だが、フローライトもその程度では動揺しない。往路の道すがら、それっぽい理由はきちんと考えていたのだ。
「散策するにあたり、街で迷った時に目印にできる場所を調べていましたから。役立ってよかったですわ」
するとエイダンもなるほど、という顔をした。
まさか連れて行ってもらったことがあるなど言えやしない。
しかし淀みなく言えたわりに心臓はうるさく、平常心ではいられなくなった。
(静まりなさい、私の心臓!)
幸いエイダンに不審がられることはなかったが、会話は止まった。
心地悪いわけではないし、突っ込まれないことは幸いだが、次の店まで無言ではもったいない。何か適切な話題かつ、無理やり話題を変えたと思われない内容はないだろつかと考えていると、エイダンが先に口を開いた。
「明日のことだが」
「はい」
「芋の皮剥きはナイフを持参したほうがいいのか?」
エイダンの真剣な顔つきは、すでに先ほどの問いかけは終了したことを示していた、
そう思うと緊張も解け、今から芋のことを考えているエイダンを真面目な人だと再び尊敬し、その気持ちを尊重すべく調理プランについて話し始めた。
そうしているうちに、心臓は自然と落ち着いていた。




