第一話 フローライト・エゼルは運命の出会いを果たす。
名門エゼル家には一男三女で計四名の子供がおり、その末娘の名はフローライトと言った。
兄姉すべてが武術に長けていたことに対し、幼い頃はあまり丈夫ではなかったフローライトだけは武術を嗜んではこなかった。
(といっても、本当は身体自体は丈夫だったんだけど……みんなの心の声がうるさくて頭がガンガンしていたのよね)
フローライトには幼いころから特殊な能力があった。
それは人の心が聞こえることだった。
幼少期は制御もできず、人がいれば常に騒音を感じていたため、人混みでは頻繁に気分が悪くなっていた。
しかしそのような力を持っていると話したところで、家族を含め信じてくれる者はいなかった。
家族相手に実演したところで偶然合致したのだと思われたり、読まれた家族のほうが分かりやすすぎる顔をしていたと他の家族に指摘されたりし、フローライトは心の声を聞いているのではなく、人の表情を読むのが得意なのだと思われるようになった。
やがてフローライトは自分の力について口にしなくなった。
しつこい、と思われたのが決定打だった。
誰にも理解してもらえない。面倒な子だと思われている。
わずか十歳でそんな状況に疲れていた中、フローライトは兄に連れられて訪れた建国祭で運命的な出会いを果たした。
その日は「屋内にいるだけだと気が滅入るだろう」と口では言い『人混みもそのうち慣れるはずだ、回数をこなさないと』と内心思いながら誘ってくれた兄とはぐれ、人混みに流され、人の声と音に酔い吐き気を催しうずくまった、その時。
「大丈夫か?」
突然雑音の中でもはっきり聞こえる、凛とした声が降ってきた。
それは静かな夜の色をした少年だった。
『こんな気分が悪そうな子供がいるのに、誰も気にしないのか?』
品が良さそうな顔立ちに反し、心の声は舌打ちでもしそうな、そして外見よりも少し年齢が重ねられていそうな口調だった。
ただし表情はまったく読めない、無という言葉以外は当てはまらないような雰囲気だ。
「立てるか?」
「は、はい」
差し伸べられた手は子供の割にはひんやりとしていて気持ちがいい。
「迷子なのか?」
「あ、兄とはぐれてしまいました」
「なら、警備の詰所に行けばなんとかなるだろう。ただ……歩くのは厳しそうだな」
『顔色が悪い。無理はさせられないな』
少年はじっとフローライトを見てそう呟いた。
実際、顔色は良くなかっただろう。
だが、フローライトは思わず叫んだ。
「大丈夫です!」
「無理はしなくても……」
「無理じゃないです! 今はもう、気持ち悪くないです!」
優しい人に心配をかけたくないという思いもあったが、少年の声を聞いてからはほとんど雑音が聞こえなくなっていた。
それが少年のお陰だということにフローライトは気付いていた。
今までフローライトに関心を寄せる家族以外の者は、口では「愛らしいご令嬢ですね」などと言ったとしても、心では『身体の弱い、取るに足らない娘』と嘲っていたり、『欠陥品のおかげでエゼルは完璧な一族とは言えないな』と悪意ある評価をしていたり、フローライトではなく家族に対し『丈夫なご令嬢であればよかったでしょうに』と同情を示したりすることが多かった。
そして家族ですら、フローライトに責のある問題だと扱うことが多かった。
だからこそ、たまたま出会したにすぎない自分を心配してくれる相手に集中せずにはいられなかった。
しかも少年の表情は無関心そうであるのに、どこまでも丁寧な気持ちを抱いている。そんな、今まで接した人たちとは真逆であることに興味惹かれないはずがなかった。
「……気持ちが悪くなったら、すぐに言え」
「はい!」
元気よく返事をすれば『そんな大声はいらない、体調が悪化したらどうする』との声が聞こえてきたが、声は何も出すことはなく、少し顰めっ面が濃くなったような気がしただけだった。
そこから詰所までは無言だったが、フローライトは初めて人の心が聞こえたことを嬉しいと思った。
そして詰所前で少年が『さすがに王子が来たら気付かれるか……。お忍びがバレるのはよくないし、もう見えてるから一人で向かわせても平気だろ』と、心の中で呟いたことにより、フローライトは彼が王子であることを知った。
「ありがとうございました。ここからは、一人で大丈夫です」
「そうか」
『助かった』
助かったのはフローライトのほうなのに、ほっとする少年はお人好しなのだと改めて思った。
もう一度礼を伝えても少年の表情はなにもないようだったが、その瞳が優しい眼差しのようにフローライトには見えた。
そして、後に彼の名前を知った。
(エイダン・アレグザンダー殿下)
不器用で優しい少年の名前を心の中に呟き、フローライトは決意した。
もう一度、彼に会いたい。
(でも、殿下にお会いする方法なんて……お城でお仕事をして、すごく出世するくらいしか思いつかないわ)
そうなれば、道は決まった。
(普通、令嬢が働くことは一般的ではない。でも、普通を覆すほどの活躍をすれば話は違う。それなら、心が聞こえるという力を武器にしましょう)
自分の力は嫌いだったが、もう一度会いたいと願うのならばきっと役に立つはずだ。
それにエイダンに出会った時、一つのことに集中すれば雑音が聞こえなくなったことに気付いたので、頑張りさえすれば制御もできるのではないかと理解した。
「待っていてくださいませ、エイダン殿下。私、必ずや皆を納得させる実績を作り、貴方様と並んでも恥ずかしくない淑女となりお役に立たせていただきます……!」
こうして部屋に篭っていた令嬢は強い意志と共に今までの内気な自分を葬り去り、けれど通常憧れを抱く令嬢とは少し異なる感情を心に秘めることとなった。
ただ、それも彼女にとって強烈な初恋が引き金だったので仕方がなかった。