第十話 フローライト・エゼルは名前を呼ぶ。
「……なるほど。参考にしよう」
そんな言葉がエイダンから発せられた頃、すでに夕日が傾きつつあった。
面会が午後からだったとはいえ、ずいぶん時間が経っている。
「今日は有意義な日になった」
『あー!! 言い方! この話題は私の仕事に絡めて振ってくれてるのもあるにもかかわらず……。いや、それは私の自惚れか……?』
「そう言っていただけて光栄です」
(自惚れではございません‼︎ ですが、その焦られているという外見からはわからない事実があるということにやはりときめきます!)
初めて会った時からかギャップ自体は存在していたが、このように可愛らしい方向に成長していることを知れたのも、力があってこそだ。
ドキドキして本当なら聴く力が対応しきれないような状況であっても聞こえるくらいエイダンもあたふたと動揺してくれていると言うのであれば、それだけフローライトの存在感があるということなので、ただただ嬉しい。
「馬車まで送ろう。……また、来てくれるか?」
「殿下にお呼びいただければ、いつでも馳せ参じますわ」
「……エイダンと呼んでくれて構わない」
「エイダン殿下?」
「……殿下でなくてよい」
「では、エイダン様……?」
王族同士であればそのような呼び方をしているのは知っているが、まさか自分がそのように呼べるとは思っていなかったので緊張する。
(婚約者であるならまだしも、まだ候補者に過ぎないと言うのに……!)
間違っていたら失礼すぎるとは思うが、意を決して尋ねてみるとエイダンは頷いた。
(でしたら、遠慮なく呼ばせていただきます!)
恐れ多いという思いがあっても、それ以上にそれほどありがたい誘いを断ることなど考えられない。
(エイダン様、エイダン様エイダン様!)
呼び間違えないように心の中で何度も繰り返した後、フローライトはふと気付いた。
(殿下は私をなんとお呼びになるのかしら?)
どのような呼び方であっても認識されているという事実だけで充分嬉しいのだが、気にならないといえば嘘になる。
そんな思いからやや緊張しつつもエイダンを見上げると、その思いは伝わったらしい。
「フローライトと呼んでも構わないか?」
「もちろんでございます」
むしろありがとうございますと心の中で叫びながらも、表面上は上品な笑みを浮かべられただろうことはフローライトにとって幸いだった。
そのことに気を取られていたので、エイダンが自分以上に緊張しているなど考えもしなかった。
「近いうちにまた呼び出すことになると思うが、都合が悪い時は遠慮なく断ってくれて構わない」
「エイダン様にお会いできると言うのに、それより優先すべき用事など思いつきませんわ」
本心からの言葉に、エイダンからの返事はなかった。
聞こえてくる心の声も声になっていないようなよくわからないものだったので、エイダンが何を言いたいのかは理解が及ばなかったものの、呼び出してもらえるという事実だけでフローライトとしては割合満足してしまえていた。
そして、次に会うまでにまた新たに会話を弾ませられるようシミュレーションしておかなければと決意する。
「……あなたは、あまり王都を訪れたことがないんだったな?」
「はい、その通りでございます」
突然の話題にフローライトは少し驚いたが、エイダンは一人頷いている。
「城内の書庫にはあなたが好む専門書もあるかもしれない」
「それは、拝見しても構わないということでしょうか」
「名前を伝えるだけで通れるよう、司書には私から連絡しておく」
「ありがとうございます!」
暇にならないよう、かつ、フローライトの仕事の役にも立つようにとの提案にフローライトは思わずエイダンの手を取り喜び、そして慌てて離した。
「し、失礼いたしました」
気配りと実用的にも嬉しい提案に喜びが爆発してしまったが、さすがにはしたなかった、馴れ馴れしすぎたとフローライトは反省した。
厚かましすぎると思われてしまえば、婚約者云々以前に近づきたくない人物に認定されてもおかしくない。
婚約者の話が仮に流れたとしても、推したい相手にそう思われるのはあまりに辛い。人生の喜びが失われるも同然だ。
「気にしない」
そんなそっけない、けれど即答だった一言に、フローライトはホッとした。
きっと問題ない。
慌てすぎてやはり心の声は聞こえないが、間を置いたのではなく即答だったのであれば、本心からの言葉だろう。
やはりエイダンの心は広いと、フローライトは改めて心を躍らせてしまった。




