第〇話 エイダン・アレグザンダーの婚約者候補。
エイダン・アレグザンダー。
それがこの国の第一王子である私の名前だ。
年は十九、特徴といえば黒光りする髪、それから同色の瞳と死んだ表情筋だと自負している。
一応、頑張れば笑えないわけではない。
ただし私が笑うと心底不気味だ。
それこそ物語に出てくる悪役のほうが、人のよい笑顔を浮かべることができるだろう。
これは私とよく似た父も驚くほど笑顔が下手なので、もはや血筋のせいだと思う。
ただし父は自身の笑顔が邪悪だと思われようとも、下手な笑いでも周囲を怯えさせていることを含めて気にしていないが、私のメンタルはそこまで強くない。
だから私は幼い頃から絶対に人前で笑うものかと心に決めた。
それは不気味な笑いを浮かべるよりも表情を殺した方がマシだという判断からだった。
だが、笑わない子供というものは一般的に可愛げがないと判断される。
加えて色素の薄い者が大多数を占める我が国において、漆黒の髪と瞳を持つ私はどうしても目立つ。さらに口下手であるため、気付けば怯えられているということが日常だ。
このような状況なので長らく婚約者がいなかったのだが、さすがにこのままではまずいと十九歳になった今年、私は婚約者選びを兼ねた茶会に引っ張り出されることになった。
正直、面倒臭かった。
明らかに怯える者、視線が合わないほど動揺している者、逆に一切怖気付かないものの権力に魅入られている者など様々な令嬢がいたが、共に国を支え生涯を過ごしたいと思う者には出会えない──はずだった。
「第一王子殿下にご挨拶申し上げます。私、フローライト・エゼルと申します」
彼女の、この声を聞くまでは。
フローライトは私より二つ年下で、空色の瞳と月の色の髪をした令嬢だった。
その容姿は誰からでも愛されると思わせるほど可憐であったが、私が衝撃を受けたのはその声色だった。
怯えられることも、媚びられることも一切ない声を、同年代の令嬢から聞くのは初めてだった。
初対面ゆえの緊張は多少あるようだったが、浮かべている笑みはただただ穏やかで、そうではないと理解しているのに、慈しまれているように錯覚してしまう。
これが私の一目惚れで、初恋となった。
後日彼女のことを調べると、積極的に慈善活動に取り組む清廉な性格で領地の民から慕われていると知った。
活動は主に養育院への慰問で、教師として読み書き計算を教えたり、自分の代わりに教育を施せる者を手配するといったもので、十一歳のころから自発的に行っているという。
また、教材や人件費もその資金もエゼル家からの出資ではなく、彼女自身が財源を作っているらしい。
茶会では彼女の存在自体に衝撃を受け挨拶程度しかできなかったことを悔やみ、もっと当人と直接話すべきだったと後悔に苛まれた。
だが、話す機会はすぐにやってきた。
ただし、今度は婚約者候補としてだった。
私が他の令嬢に興味を示さずフローライトのことを調べていたことで、敬愛すべき国王陛下が勝手に話を進めたらしい。
エゼル家はアレグザンダー王国の四大将軍家のひとつであり、王家としても良縁だと判断したのだろう。
だが、私は後悔した。
挨拶した程度の仲で婚約する……それ自体は、貴族にとって珍しいことではない。
姿絵のみで婚約が成立したり、結婚するまで顔を合わせることがなかったり、なんなら生まれる前から将来の相手が決まっていることだって珍しくはない。だから、候補という状況はまだいろいろと猶予があるくらいだ。
しかし理解をしていても、相手はあの女神のような令嬢だ。
無愛想を詰め込んだ私とは正反対の愛らしい存在に何という仕打ちをするのだと、勝手にことを進めた陛下を初めて恨んだ。そもそも候補とはいえ、王家の意向に否とは言いがたいだろう。
つまり、実質命令だ。
彼女を悲しませるような所業は人間のやることではない。
私の婚約者という立場になることで悲しみで打ちひしがれるようなことがあれば、いかなる手段を用いてでも婚約を取りやめなければならないと強く決意し、私は二度目の対面に挑んだ。
そして彼女からの言葉に再び衝撃を受けた。
「再び殿下とお話しさせていただく機会を頂戴できたこと、誠に光栄と存じます」
私は自分の目は幻覚を、耳は幻聴を都合よく作り出したのかとさえ思った。
穏やかな笑みを浮かべている彼女からは悲しむ様子は見受けられない。嘘だろう!?
まさか婚約者となったことを知らされていないのかと思い尋ねようとすると、私の口は意図しない言葉を吐き出した。
「話をするために呼んだわけではない。そなたは婚約者になった。不服なら申し出よ」
己の口を切り裂きたい。
なぜこのような言い方になるんだ。
これでは圧をかけているだけなので、たとえ不満があろうとも言えるわけがないだろう。
与える印象だって最悪だ。ただの横暴な王子である。もう泣きたい。
「殿下が私にご不満を抱かれたのであればお話がなくなることも仕方ありませんが、私は殿下とお会いできると知って楽しみにしておりました」
「何?」
いや、喜ぶのはまだ早い。
さすがに気を遣われているだけだろう。
楽しみにする要素などなにひとつないはずだ。
だが、やはり彼女が嘘をついているようには見えなかった。
「以前ご挨拶した折はお話しすることができませんでしたが、是非とても優しい瞳をなさっている殿下とお話ししたいと、誠に勝手ながら私は望んでおりました」
そんな勝手など、勝手に婚約者候補にしたことに比べれば些細過ぎる。
同時に生まれてこの方聞いたことのないような言葉で飾られた自分への印象に、思わず相手の視力を心配した。
私は優しい瞳どころか【眼光で毒蛇を瞬殺できる】と言われたこともある男だ。
しかし彼女は相変わらず和やかだ。
「殿下? 私、何か失礼なことを申し上げましたでしょうか?」
「いや、それはない」
あまりに私が無言だったからか、彼女は不安げな様子を見せた。
貴女に非などあるわけないと思っていても口から出たのはそっけない言葉だけだった。
これは今までろくに会話を楽しむということをしなかった弊害で、会話の続け方がわからないからという理由がある。もし過去の己に忠告できるのであれば、女性との会話の練習をしておくべきだと一晩かけて説教したい。
だが、現実逃避をしていても仕方がないので今はなんとか自分でリカバリーしなければならない。
そうでなければ、彼女は不安に苛まれたままだ。
「……私の瞳の色を見て、優しいと言った者は今までいなかった」
……なんだ、この弁解は。
自分で言っておきながら、まったく脈絡がないように感じてしまう。
だからなんだと言いたくなるような言葉に何度目かわからない絶望を覚えたが、彼女は可愛らしく首を傾げた。
「殿下の御髪と瞳は綺麗な夜の色でございますね」
「夜の色?」
「はい。私の瞳は昼の空色ですが、髪は夜の月の色でございますので、髪はお揃いでございますね」
まったく異なる色をお揃いというこの可愛い生物は一体何者なのか。
いや私の婚約者なのだが、本当に間違いではないのだろうか?
「もちろん、お色だけで優しさなど示せるとは思いませんが……」
「では、何から私に対する印象を感じている?」
「殿下は今も私を心配してくださり、優しいお顔をなさっています。ですから、やはりお優しい方だと思います」
おい、誰かこれが現実だと早く私に確認させてくれ。
絶対にそんな表情を浮かべられているとは思わないが、彼女がそう思っているならそれでいい。むしろそう思ってもらえるなら有難い。
死んだ表情筋と絶望的な言葉のセンスを持つ私を理解してくれようとしている、いや、もはや理解してくれている彼女以外に私が想える相手は現れるのか? いや、現れるはずない。
もちろん私などより、彼女の方がよほど優しさに満ちているだろう。
だが、決めた。
現時点では彼女は婚約者候補として名が挙がったことを嫌だと言っていない。
ならば彼女から申し出られない限り、こちらから関係解消など絶対に口にはしない。
もし彼女がそれを望むのであれば誠心誠意土下座してでも思い留まってもらいたいが……そのときは潔く協力しよう。
だが、その前にそんなことを言い出されない男になってみせよう。
「……なこと、絶対……ない……せんか」
「何か言ったか? すまない、少し考え事をしていた」
彼女の言葉を聞き逃すとは、決意した側から嫌われる原因を作ってしまっていないか?
そう不安も覚えたが、彼女は笑みを浮かべていた。
「お気になさらないでください。それより、私、殿下とぜひお話しさせていただきたいことがございます」
「なんの話だ?」
令嬢の話題についていけるかまったく自信はないが、どんなことでも受けてたとう。
「災害備蓄や軍用の保存食について、いくつか試作品も持ってきているのです。コストや保存のしやすさ、味についてもお話しできればと考えております」
だめだ、こんな話題まで好みのど真ん中なんて……。一応騎士団の責任者でもある以上、むしろ普段から考えていることなので話ができないはずもない。
もしかして彼女はそれを理解して、その話を用意してくれていたのだろうか? いや、話どころか試作品まで持ってきてくれているというのだ。彼女の試作品といえば、実質手料理も同然ではないか?
彼女を逃したら一生結婚できない気がする。いや、しなくてはならないのだろうが心が追い付かない。
なんにしても、なんとしても彼女を逃さない。
私は絶対に彼女に見合う男になると、強く心に決めた。