3話 王都アウストラ東門前警邏隊詰所
「着いた」
ここが俺の職場である東門前警邏隊詰所。
石造りの四階建ての建物で、パッと見はまさに要塞そのもの。王都を囲う城壁と同じ材質で作られているため、その威圧感は半端ない。
ちなみにここ王都アウストラには、東西南北に大きな城門が設置されており、そのそれぞれに警邏隊の詰所が設けられている。
東門、西門、南門、北門と四ヶ所ある警邏隊詰所へと俺たち新人はランダムに配属されていく。
今年警邏隊の警備隊部門に配属された新人は約五百名。
その約半数が厳しい訓練に耐えきれず半年以内に辞めていくという中々のブラック企業だったりする。
離職率はなんと脅威の五十パーセント。
「あー、やめやめ。出勤前にナーバスになるなよ俺。もっと前向きにいこう! さぁ、頑張るべ!」
そして重厚な両開きの扉を開けて詰所の中へ。
中に入ると一階は来客用フロアとなっており、相談カウンターがいくつも設けられている。幸いなことに今日はまだ相談に訪れている人はいないようで、フロアには手持ち無沙汰な女性職員や先輩警備兵たちが談笑していた。
さて、じゃあまずは所長に復帰報告しに行くか。そんな大したこと言われないと思うけど少し気が重い。
所長室のある四階へ向かおうとすると、ふいに背後から声を掛けられた。
「おー、ヨハンじゃん! 久しぶりー! もう怪我はいいのか? お前ほんと災難だったなー」
そう言って話しかけてきたのは同期入隊のラウル。
犬の獣人である彼は種族柄とにかく人懐こい。
ドーベルマンのようにピンッと尖った耳に、ムカつくほど整ったイケメンフェイス、体格も細マッチョとモテる要素しか見受けられない。
それでいて実力もあるもんだから、将来の騎士団候補生とその呼び名は高い。
彼を見ると世の中の不公平さを感じてしまうのは何故だろう? きっとリア充とは彼のためにある言葉なんだろうな。
「ああ、ラウルか。ほんと散々だったよ。まさか初めての夜警で病院送りにされるとは。王都ってほんと物騒だよな」
「あっははははー!! 何言ってんだよ、ヨハン? こんな安全で快適な街なんてまずないぞ? ヨハンは王都生まれだから知らないと思うけど、ちょっと地方に行くだけで山賊やらモンスターのオンパレードじゃん! ヨハンって面白い奴だよなー」
割と真面目に言ったのに何故か冗談で受け止めらるという。……解せぬ。
しかしラウルの言うことも一理ある。地方の農村部に行けば騎士団はもちろん、警邏隊なんてものはなく治安はこれでもかと言うほど悪い。
独自で自警団を持つところも多いが、それでも焼け石に水程度。王都の外には世紀末ヒャッハーな世界が広がっているのだ。
「ところでヨハン、所長からペアで巡回行くよう言われてるんだけど今空いてるか? 暇なら俺と巡回行こうぜ!」
ニカッとした笑顔で仕事やる気満々のラウル君。
午前中は訓練場で能力の確認をしたかったが、これもいたし方なし。いずれ誰かと巡回に出なければならないのなら、ラウルと行った方が気が楽か。
「ああ、いいよ。でも先に所長に報告だけ済ませたいから少し待っててくれ」
「おう、わかった! じゃあ先に東門の馬車ターミナルで待ってるからな!」
そう言ってラウルは東門の外にある馬車ターミナルへと走り去って行った。
なんて慌ただしい奴。そんな急いで行くこともないのに。でもラウルの仕事に取り組む姿勢は、いつも一生懸命で見ていて好感が持てる。
天然陽キャの固有アビリティ『ムードメーカー』がパッシブで発動しているせいか、ピリピリと緊迫した場面でもラウルがいるだけで和むことがある。
そのため上司や女性職員からの評価はくっそ高い。
特に同年代の女子なんて気付けばラウルのことをずっと目で追っていたりする。しかも何人も。きー、羨ましい!
もうね、あからさまなのよ。それなのに奴はまったく気づかないという究極鈍感ボーイ。同じ童貞仲間としては嬉しい限りだ。
と、考えているうちに四階にある所長室へと到着。
まるで学生が校長室に入るような緊張感。
コンコンッと軽くノック。
「――どうぞ」
許可が出たので中に入ると、この東門詰所の所長であるアグライトさんが机に積まれた大量の書類に捺印をしているところだった。
「失礼します」
背筋を伸ばし、ビシッと敬礼をして入室する。この世界でも礼儀礼節は大事。
「ああ、ヨハン君か。もう怪我はいいのかね?」
一瞬俺に目をやると、すぐに書類の捺印作業を再開するアグライト所長。
仕事のストレスで見事に抜け落ちたお毛毛のないつるっつるの頭。しかし側頭部のみ髪の毛が無駄に踏ん張っているため、ハゲ方としたら波平スタイルに近い。
困り眉毛に、黒目だけのつぶらな瞳、体つきもまん丸フォルムため、陰ではパグ所長とも呼ばれていたりする。
「はい、ご心配お掛けいたしました! 本日より現場復帰いたします」
「そうか、それは何よりだ。しかしね、市民を守る王国警備兵がシルバーランクの冒険者にワンパンでやられていちゃダメしょ? ワンパンで!」
思わず「ワンワン?」とツッコミそうになるが、それをぐっと堪える。さすがに職場のトップに失礼なツッコミは入れられない。
「はい、申しわけありません! さらに精進いたします!」
「うん、ほんと頑張ってよー? それと次から殴られたらこうよ、こう! シュッ、シュ!」
パグ所長が椅子に座りながら懸命にシャドーボクシング。
ぶふっ。
い、いかん、笑いが。
「ん? ヨハン君どしたの? 俯いちゃって?」
「い、いえ、なんでもありません!」
笑いをこらえろ、俺よ。
「僕が若い頃なんて、シルバーランクの冒険者なんかばったばった薙ぎ倒してたんだけどねー? ヨハン君は性格が優しいからさー。ちゃんと正当防衛しなきゃダメだよー? シュッ、シュッ!」
くそっ、なんてコミカルなパンチだ。
パグ所長、そんなパンチじゃあ冒険者を倒すどころか、残りの毛根むしられて終わりですよ?
しかも一方的に。
だが、いくらパグ所長の動きが滑稽でも、面と向かって笑ってしまえばクビになるかもしれん。
そう、笑ってはいけない所長室。
くっ、だめだ、ツボる前に早く退室したい。
考えれば考えるほど沼にハマる。
「あ、そうそう! 来週は新人の実地研修をやるから。今回はフォルナ村でゴブリンの討伐をするからね。怪我しないようちゃんと訓練しておくんだよ? シュッシュッ!」
なぜシャドーボクシングにこだわる?
もしかしてわざとか? わざ笑わせようとしてる?
くっ、もう無理だ。
もはや所長のフォルムだけでもツボる。
生粋のヒューマンのくせになんでパグ顔?
顔面に奇跡を集約させるな。
もう早くここから離脱しよう。
「しょ、承知しました! 日々訓練に励みます! では失礼します!」
「ちゃんとシュッシュッするんだよー」
吹き出しそうになりながらも無事に所長室を後にする。
あー、もうあの人無理。存在がギャグでしかない。
でも悪い人ではないんだよね。
意外と人望あるし。
少しづつ耐性を付けていかないと、その内きっと目の前で吹いてしまう。
気を付けなれば。
それにしても実地研修か。
しかもゴブリンの討伐。
実際に何度かゴブリンを見たことはあるんだけど、言うほどあいつらって弱くないんだよね。
イメージとしたら二足歩行の凶悪な肉食獣が武装してる感じ。油断すればあっという間に腹の中である。
うん、みっちり戦闘訓練しなければ!
いくら力に目覚めても、それを上手く使いこなせれば意味がない。
そう、俺には実戦経験が少なすぎるのだ。
それはおセッセも然り。
やはり童貞だと全てにおいて不利なんだよ。
何事も経験は大事!
せめて玄人童貞くらいは捨てるか?
いや、ダメだ、それは許されない。
そこは妥協したくない。
転生してまで童貞を貫いたのだ。
どうせならピュアラブも貫こう。
理想は膜ありがいいんです。
相手も初めてがいいんです。
だからいつまで経っても童貞なんです。
無駄にこだわるから。
ごめんなさい。
◇◆◇
詰所を出た。
ラウルが待つ東門ターミナルへと急ぐ。
朝のこの時間は、乗り合い馬車が各方面より到着するので、城門外にあるロータリーは行き交う馬車で慌ただしい。
「にして、待ち合わせするなら東門にある守衛小屋でよかったんじゃないか? ターミナルだと人が多くてラウルを探すの大変なんだよな」
高さ十メートルはあろう東門の中には、行き交う人々をチェックする守衛小屋がある。
ようは監視部屋。
行き交う人々の中に、戝や指名手配犯、不審人物などいなかを門兵がチェックしているのだ。
まさに記憶力と観察力が試される仕事と言えよう。
故に警邏隊の中でも、門兵の職に就ける者はごく僅か。
戦闘特化の王都防衛部隊『衛兵隊』と並ぶ武装集団、王都守護番部隊それが『守衛隊』である。
そんな先輩門兵さんたちに軽く会釈をして東門を抜けて行く。
視界の先には人々で溢れかえる馬車の発着場。
ロータリー周辺には、大小様々な露店が並んでいるため、自然と足が止まってしまうのだ。
「あーあ、今日も人でいっぱいだ。ラウルの奴、どこにいんだよ?」
人ゴミを掻き分けてラウルを探しに周辺をうろつく。
今日も今日とてお上りさんが多い。
荷物片手に卸売り市場へと直行だ。
みな一様に、その顔は鬼のように険しく、これから取引先に商談へ向かう営業マンのようだった。
みんな生活掛かってるもんね。
彼らとぶつからないよう道の端を歩いて行く。
そして数分。
周囲を警戒しながら歩いていると。
「きゃああああ!! 誰か、誰かーー!!」
突如、女性の悲鳴が上がった。
げっ、トラブル!?
慌てて声が聞こえた方へと走る。
仕事ですから。
「すみません、警邏隊です!! 通してください!!」
群がる野次馬を掻き分けて現場へと到着。
するとそこにはガラの悪い男に捕まった、身なりの良い若い女性が。
しかもめっちゃ可愛い。
プラチナに輝くロングヘア―に、人形のように整った顔。服もそれなりの物を身につけているため、きっと貴族家のお嬢様なんだろう。
一言、可憐である。
そんな可憐なお嬢様に、あの男何する気だ?
まさか、こんな民衆の前で公然わいせつプレイをする気なんじゃ……。
しかし、よく見るとその首元には鈍い光を放つナイフが突きつけられていた。
ひとえに残念である。
無駄に期待してしまった。
死ねばいいのに。
そんなことを考えていると、男の目の前に見覚えのある奴がいた。
「やめろ、彼女を離せ!」
と、なぜか抜剣しているラウル君。
周囲の野次馬から黄色い声援が飛んでいた。
さすが犬耳イケメン。
「お、お嬢様! お気を確かに」
狼狽えるザ・セバスチャンな執事。
「くそっ、我々が油断したばかりにお嬢様が」
そんな自責の念を言いながら、抜剣しているお付きの騎士のような奴らが五名。
どうやらかなり面倒くさい事件が発生したようだ。