幕間 紅薔薇の剣姫
悔しい。
すっごい悔しい。
めちゃくちゃ悔しい!!
訓練場でのまさかの敗戦……。
あまりの悔しさに私は一睡も出来なかった。
無理にでも寝ようとしていたのだが、目を閉じる度にあの男の顔を思い出す。
あー……もうむかつくー! 夢にまで出てくるな! 寝れないじゃないの!!
ガバッと布団を捲り、むくりと起き上がる。
気が付いたらもうすでに朝方。
窓から差し込む暖かな光が余計に私を惨めにさせた。
「なんで……、なんで私は負けちゃったんだろう。しかもあんな冴えない男に」
同年代の異性に負けたのなんて何年振りだろう?
それこそもう記憶にすらないくらい過去だ。
しかもお爺様の前で負けちゃうなんて……。
あー、もう出来ることならこの記憶を消してしまいたい。目を閉じる度に何度も何度もあのシーンが蘇るのだ。
そんな身悶えするような悪夢に思わず布団の中に潜り込んでしまう。
はぁ、もうサイテーだ。
今日はもう何もやりたくないな。
◆◇◆
私の名前はアンガスター・ローズリリイ。
アンガスター家の第三子として生まれた私は、その名に恥じないように幼少の頃から厳しい教育をされてきた。侯爵家の子女としての教養はもちろん、勉学、マナー、それこそ美術、骨董品などの鑑識眼までと、それは多岐に渡る。
その中でも私がもっとも時間を費やしたのがアンガスター流剣術の習得だ。
兄たちに交じり朝から晩まで稽古に励む日々。女だからといって特別扱いされることなく、一人の剣士として私は剣術を学んでいった。
ただ幸いなことにどうやら私には剣の才能があったようで、それはもうメキメキと実力をつけることが出来た。
そして十五歳になった頃には、道場にいる同年代の男子では相手にならなくなり、より強い者を求めるようになってしまったのが、私の人生の転機とも言える。
わざわざ王国騎士団に出稽古と称し模擬戦をやりに行ったり、シルバーランクの冒険者を家の道場に呼んで模擬戦をやったりと、女の身でありながら剣の道を極めんと突き進んで行ったのだ。
もちろん挑んだ全ての模擬戦には勝利した。
そんなこともあり、次第に人は私のことを――。
――『紅薔薇の剣姫』と呼ぶまでに。
相手の返り血で血濡れた木剣を持つ私に付けられた二つ名だ。
これには理解のあるお母様からも、嫁の貰い手がいなくなるから剣術を辞めるように、と釘を刺されたがもはや今更である。私はこの道を引き返すつもりはない。
むしろ私より弱い男の元になんて逆に嫁ぎたくもない。
アンガスター家の当主であるお母様には申し訳ないけれど、私は政略結婚の駒になるつもりはないのだ。
私もお母様のように自分の結婚相手は自分で決めたい。とはいえ、私の運命の相手が現れるなんて当分先のことだけれども。
今はただ剣術を極めるのみ!
◆◇◆
「お嬢様、お嬢様? おはようございます。朝にございます。お支度くださいませ」
あー、もう。やっと寝かかったのにー!!
ほんとダメな時は何をしてもダメね。
起こしに来たメイドは悪くないのだけど、睡眠不足のせいでついつい機嫌が悪くなってしまう。
メイドは悪くない、メイドは悪くない。
そう自分に言い聞かせるように私は身支度を整えた。
大食堂へ向かうと、そのまま一人で朝食を食べる。
食卓に家族はいない。
それもそうだ。
王都のアンガスター家別邸に住んでいるのは、私とお爺様の二人だけ。あとは使用人たちしかいない。
お母様やお兄様たちは、王都よりはるか北に位置するアンガスター領の首都マニスで暮らしている。私は王都留学という名目で、この別邸でお爺様と暮らしているのだ。
まったく学校へは行ってないけど。
そして私の食事が終わったのを見計らい、執事のオリバーが今日の予定を聞いてきた。
「お嬢様? 本日のご予定をお聞かせ願えますか?」
私が勝手気ままに行動するので、こう言った予定伺いは、朝食を食べ終えてすぐにするのが使用人たちのルーティンとなっていた。
「今日は……、出かけないわ」
「で、出かけられないのですか!?」
オリバーの目が大きく見開かれる。
失礼な、そんなにビックリしなくてもいいじゃない。
確かにここ一年、毎日どこかしらの道場に行ってたけれども。
「お嬢様!? もしやどこかお身体の調子が優れないのでは? おい、すぐに医者を手配しろ!!」
「待ちなさい、至って健康よ! そんなに驚くことないじゃない! そもそも私に失礼よ? たまには家でゆっくりしようと思っただけだから!」
「し、失礼しました。それでは本当にお身体は大丈夫なんですね?」
「ええ、問題ないわ。心配しすぎよ!」
家にいるって言うだけでこんなにも大騒ぎされるなんて。普段の私って使用人たちにどう思われているのかしら?
「ふぉふぉふぉ、賑やかじゃのぉ。一体どうしたのじゃ?」
そう言いながら現れたのは、私の祖父であるアンガスター・アシュレイ。
三百年の歴史あるアンガスター流道場の現総帥。その門下生は五万を優に超える。
さらに王国から最強の剣士である称号『剣聖』を百年振りに与えられた人物でもある。今は返上してしまったけれど。
「お爺様!? ……その、はしたないところを見せてしまい申し訳ありません」
「よいよい、元気があって何よりじゃ」
そう言って優しい笑みを溢すお爺様。
私がこの世で一番尊敬する人物だ。
「ご隠居様、朝から一体どちらに行かれたのでしょうか? せめて出発前に私どもに一声掛けていただかないと困ります!」
オリバーが困ったようにそう話す。
それを見て私はちょっと笑ってしまった。私とお爺様がとても良く似ているからだ。同じようなことでオリバーに怒られていることがとても嬉しい。
「すまん、すまん。実はちょっと東門詰所まで行っておっての」
「警邏隊ですか? 特にご予定に入ってなかったはずですが? 何か昨日の件で問題でも?」
「いやー、そうではない、そうではない。ただ少しばかり話をしたい者がおってのぉ」
「は、はあ」
何のことやらさっぱりわからないオリバー。
しかし私にはお爺様が何をしに行ったのか、すぐに理解することが出来た。だから、ついついそれを口にしてしまう。
「お爺様? 話しをしたい人物とは、もしかして昨日私と模擬戦をした男のことでしょうか?」
お爺様は私があんな冴えない男に負けても「良い経験じゃ」としかおっしゃってくれなかった。何が悪くて何が良い、実の孫とて教えてはくれないのだ。
そもそもお爺様は名誉剣術指南役を陛下より承っているが、本当に形だけのもの。剣術の指導は師範の先生が代わりにやっている。
――お爺様は剣術を誰にも教えない。
それが何故かはわからないけど、お爺様には後継者とも言える直属の弟子がいないのだ。
これには各道場をまとめる師範の先生たちも困っていたけど、自分たちがお爺様の求めるレベルに達してないのだと、ほぼ諦めムードである。
だから私がお爺様の一番弟子になるために頑張っていたんだけど……。もしも。もしも、あの冴えない男がお爺様の弟子になるなんてことになったら……私は、私は。
「おお、リリイや、よくわかったのぉ。あの童とちと話しがしてみたかったんじゃが、残念ながら無駄足に終わってしまっての」
その言葉にホッと胸を撫で下ろす。
やはりそう簡単にいくことはないか。考えすぎだわ。
「童の奴、昨日の怪我で入院しよったみたいでの! 所長に聞いたら全身骨折じゃと! どうしたらそんな風にになるのかさっぱりわからんくて大笑いしてしまったわ! 実に面白い奴じゃ、ふぉふぉふぉふぉ!」
全身……骨折? え、なんで?
私、そんな大怪我させちゃったの!?
確かに閃華魔功掌は叩き込んじゃったけど、魔力の流れからみても肋骨の骨折くらいだと思ったのに。
え、どうしよう……、どうしたら?
「リリイや? そんな不安そうな顔をせんでも大丈夫じゃぞ? 恐らく原因は童の身体強化じゃ。かなり反動が大きいと見える。早いとこなんとかしてやらんと、あの童死んでしまいそうでの。せっかく面白い者を見つけたというのに」
「では……、あの男をお爺様のお弟子になさると?」
恐る恐る聞いてみた。胃がキューっとなる。
「ふぉふぉふぉ、そんな大層なものではないよ。本当に少し話を聞いてみたかっただけじゃ」
「ご隠居様、では私めがその者の怪我が治り次第連れてまいりますが?」
「オリバー、それには及ばんよ。おそらく怪我はすぐ治るじゃろう。あそこの病院にはライゼルがおるからな。上級回復魔法を使えば全快まで三日といったところかの? だからまた時期を見て出直すよ。それに童もそんな呼び出しをされたら警戒するじゃろうし」
どうしよう……、あり得ない話だと思うけれど、あの男がお爺様のお気に入りになるのは嫌! それだけはなんとしても阻止しなければならない。だったら……。
「お爺様、お待ちください。私がその男を連れてまいります。ですからお爺様は屋敷でお待ちください」
「いや、ちょっと話をするだけなんじゃが……」
「屋敷でお待ちください」
「う、うむ?」
お爺様に半ば強引に返事をさせてしまったけど、もはやこの方法しかない。
どんな手を使ってでも、あの男をお爺様から引き離してやる!
絶対にお爺様には会わせないんだから!!
【あとがき】
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