海人の決断
俺と佐伯さんは、それぞれの言い分を越前先輩に話した。もちろん、佐伯さんの言い分は、自分の都合のいいように着色した、聞くに耐えないものだった。俺は、ただありのまま、昨日起きた出来事を、可能な限り話した。多分、言いたいことは伝わったと思う。
「うん、取り敢えず、二人の言い分が致命的に食い違っていることはよく解ったよ。それじゃあ、まずは、東雲君にひとつ質問をしよう」
そう言って、越前先輩は俺の目を、涼しい顔をしながら見つめる。そして、越前先輩は、俺に妙なことき聞いてきた。
「東雲君、君は、佐伯さんの体を見て、どう思った?」
「は、はいっ!?」
まさかの質問に、俺の声は裏返り、心臓はドクンと高鳴った。そんな俺の反応に、越前先輩はクスクスと笑うながら言った。
「あははっ! ゴメンよ、東雲君。もちろん、君だって男だから、こんなことを聞かれたら、そんな反応をするよね。大丈夫、これ以上詳しくは聞かないから」
越前先輩は俺にそう言うと、今度は佐伯さんの方を向いて、佐伯さんに質問をする。でも、その質問をする顔は、俺のときと違って、かなり真剣みを帯びていた。
「佐伯さん、君は、『放課後、一年C組で、東雲君に襲われた』って言ったけど、そもそも、なんでわざわざ放課後に、誰もいない教室に行ったのかな?」
その質問に、佐伯さんは即座に反応した。佐伯さんは苛立った様子で、越前先輩に向かって唾を飛ばしながら叫ぶ。
「だから! 忘れ物を取りに行ったってさっき言っただろ!? 何度も同じことを言わせんなよっ!」
「忘れ物って、なに?」
越前先輩は、佐伯さんの答えに被せるようにそう言った。すると、佐伯さんはビクッと体を震わせて、急に口ごもりだす。
「あ、え、それはっ……」
越前先輩は、そんな佐伯さんの態度を見逃さなかった。越前先輩は軽くため息をつきながら、佐伯さんに言った。
「ダメだよ、佐伯さん。ここはさっきみたいにすぐに答えなきゃ。それじゃあ、『私は嘘をつきました』と言っているようなものだ。自分が言った嘘については、あらかじめ答えを用意しておかなくちゃいけないよ」
越前先輩は、もはや佐伯さんが嘘をついていることを前提に話している。まぁ、それは俺としては非常に助かるんだけど、なんだか、佐伯さんが少し可哀想になってきた。
「だ、黙れっ! さっきから黙って聞いてれば、東雲の野郎にあんなふざけた質問したり、俺を嘘つき呼ばわりしたり、てめぇ、何様のつもりだっ! こんな茶番には付き合っていられねぇ! 俺は帰るぜっ!」
そう言って、佐伯さんは勢いよく立ち上がり、教室から出ようとする。でも、越前先輩からの一言で、佐伯さんの足が止まった。
「佐伯さん、君は、なぜそんなに男を嫌うんだい? 東雲君だけじゃない、君は、『男』そのものを嫌っているようだけどさ。もしよかったら、聞かせてくれないか?」
佐伯さんは、そんな越前先輩からの指摘に、ゆっくりと振り返る。その顔からは、さっきまでは所々にあった余裕が、まったく余裕は感じられなかった。
「な、なんで、それを……っ!」
越前先輩は、その佐伯さんからの、もはや、『私は男が嫌いです』と自白したかのようにもとれるような返事に、少し申し訳なさそうな顔で答えた。
「ゴメンね、佐伯さん。僕、君達がこの教室に入ってくる前に、外でしていた話を聞いちゃったんだ。そのとき、君は、『俺をヤった男ども』って言ってたよね? つまり、言いにくいんだけど、君は過去に、そんな被害に遭ってるってことだよね? 多分、それが今回のこの騒ぎと関係があると思うんだけど、どうかな?」
「なっ! てめぇっ……! そうか、お前、事前に兄貴か桃花達からあのことを聞いてたなっ? 白々しい! それならそうとハッキリ言えばよかったじゃねぇかっ!」
佐伯さんはそう叫びながら、右手で机を殴る。その手からは、打ち所が悪かったのか、血がにじんでいた。そんな佐伯さんに、越前先輩は首を横に振りながら答えた。
「いや、僕は、誰からも、なにも聞いていないよ。それでは情報提供者の私情が入って、『平等』ではなくなるからね。あくまでも、僕は自分が当事者から聞いた言葉しか考慮しないよ」
「そ、そんな、それじゃあ……」
体を小刻みに震わせる佐伯さんに、越前先輩は、クスッと笑ってから、佐伯さんに向かって、優しい口調で言った。
「佐伯さん、君は本当に素直な娘だ。いや、表裏がない性格と言った方がいいかな? 君は、こんなことをするのには向いていないよ。だから、僕に、今回の騒ぎについて、本当のことを、君の口から、話してくれないかな?」
越前先輩にそう言われた佐伯さんは、うつむきながら黙ってしまった。越前先輩は、そんな佐伯さんに、更に追い討ちをかける。
「それじゃあ、今までの情報から、僕が導きだした答えを、今、ここで、僕の口から話そうか? それは、君にとって、耐え難いことなんじゃないのかな?」
その越前先輩からの言葉に、佐伯さんは顔をガバッと上げて、怒りの形相で越前先輩の方へ向かっていく。
「そんなこと知るかっ! とにかく、お前がなんと言おうが、俺は東雲に襲われたんだよっ! 見てもいないくせにいい加減な御託を並べてるんじゃねえよっ!!」
越前先輩の胸ぐらを掴みながら叫ぶ佐伯さん。俺には、すでにことの顛末の全貌が解っているだけに、佐伯さんのこの姿はとても痛々しく見えた。でも、俺から佐伯さんに全てを話してしまったら、佐伯さんは多分、おかしくなってしまう。
沙羅姉、佐伯部長、来栖さん、鍋島さんがみんなに今回の騒ぎの顛末を話すにしても、それは、みんなに佐伯さんの過去を暴露するのと同義だ。それでは、あまりに佐伯さんが救われなさすぎる。でも、実は、ひとつだけ、この騒ぎを終息させる方法があるんだ。
俺は、その最終手段を実行に移すため、佐伯さんに声をかけようとした。でも、その前に、佐伯さんは、越前先輩の胸ぐらから手を離して、泣きながら教室の外に飛び出していってしまった。
「チクショウッ! 男なんて、男なんてっ!」
「さ、佐伯さんっ! 待ってっ!」
俺は、咄嗟に飛び出していく佐伯さんを捕まえようとしたけど、あと数センチのところで捕まえることが出来なかった。この数センチが、後に起こってしまう出来事に繋がっていくことを、俺は思い知ることになるんだ。
…………
椿ちゃん、どうしたのかな。六条先輩の方を見たまま、顔を青くして固まっちゃった。わたしが椿ちゃんに話しかけようとしたら。その前に、六条先輩に歩み寄る。
「鍋島、ちょっといいか。少し、話しておきたいことがあるんだが」
そう言って、六条先輩は椿ちゃんをわたし達から少し離れたところへと連れていく。そして、ものの一分くらいで、二人はこっちに戻ってきた。
「椿ちゃん、今、六条先輩となにを話してたの?」
「えっと、それは……」
わたしが椿ちゃんにそう聞くと、横から六条先輩が割り込んできて、六条先輩は、わたしにニッと笑いかけながら言った。
「いや、なんでもないよ。来栖は気にせず、今後のことを考えていればいい。しかし、なかなか二人とも出てこないな。このままでは、昼休みが終わってしまうぞ」
六条先輩がそう言った直後、教室のドアが勢いよく開いて、中から葵ちゃんが飛び出してきた! 葵ちゃんは、そのままわたし達の間を縫って、走り抜けていく。
「あっ! こらっ、葵っ!」
飛び出してきた葵ちゃんを、佐伯部長さんが捕まえようとしたけど、あまりの葵ちゃんのスピードに、佐伯部長さんは葵ちゃんを捕まえ損ねてしまった。葵ちゃん、足がとっても速いから、無理ないよね。
「す、すいませんっ! 六条殿っ! 我が愚妹を取り逃がしてしまいましたっ! この失態、お詫びしようもございませんっ!」
「構わん、正直、こうなるのではないかとは思っていたんだ。いや、越前先輩にはとんだご迷惑をおかけしてしまったよ」
そんな六条先輩の声を聞いてなのか、教室から東雲先輩と越前先輩が出てきた。越前先輩は走り去っていく葵ちゃんを見ながら、口をへの字にして、頭を掻いている。
「いえ、僕も話しているうちに、こうなるだろうなと思いましたよ。どうやら、僕の出番はここまでのようですね。お役にたてずにすみません、六条さん」
えっと、この様子だと、越前先輩の説得は空振りに終わったってことだよね? それじゃあ、これからわたし達、どうすればいいのかな? そんなことを考えていると、わたしに東雲先輩が話しかけてきた。
「来栖さん、ちょっといいかな?」
「は、はい、なんですか? 東雲先輩」
わたしが東雲先輩に返事をすると、東雲先輩は、わたしの目を見て、薄く笑いながら、わたしが考えもしなかった、とてもショックなことを、わたしに言った。
「来栖さん、俺達、別れよう」





