崩れた計画、そして
五月の暖かい陽気のなか、俺と沙羅姉は、来栖さんが現れるであろう三叉路を、電信柱の影からうかがう。周囲はまだ人気はなく、閑散としている。
「ふむ、来栖はまだ現れていないようだな」
「ああ、そうだね。それにしても、まだ登校中の生徒はまばらだとはいえ、俺達、相当怪しいよな」
「なに、来栖が現れるまでの辛抱だ。情報が正しければ、もうそろそろやってくるはずだ。それまでは我慢だぞ、海人」
俺と沙羅姉がヒソヒソ声でやり取りしているのを、聖泉高校の生徒や通行人が珍しそうな目で見ているのがちょっと気になるな。いや、時間的にはそろそろ来栖さんがやってくるはずなんだ、辛抱辛抱。
そして、数分後に来栖さんが俺達の正面側の道からトコトコと歩いてくるのが遠目で確認できた。そして、その姿が少しずつ大きくなり、三叉路の合流地点にあるポストの前で止まる。
「さて、これからが勝負だぞ、海人。まだだ、もう少し経ってから、自然に、来栖に見られないように、サッとここから出るんだぞ!」
「ああ、解ってるよ、沙羅姉。それはそうと、沙羅姉はこれからどうするんだ? っていうか、沙羅姉まで俺と一緒の場所に隠れる必要はあったのか?」
俺からの疑問に、沙羅姉は少し固まったあと、ゆっくりとこっちを向き、舌をペロッと出しながら答えた。
「すまん、海人。早速だが、この作戦は半分失敗だ。いや、本当にすまん、私はここにいる必要は全く以てないな。というか、私は少し後から来るべきだった。いや~ あまりに自然すぎて気づかなかったよ、ハッハッハッ」
ああ、なんてこった。それじゃあ沙羅姉をここに置いたまま作戦を決行しなきゃいかんのか。沙羅姉だけ戻るにしても、事後処理を任せている以上そうもいかない。さて、俺の心配していることが起きなければいいんだけど。
やむを得ない、俺は来栖さんの視線がこっちの方から外れたタイミングで、電信柱の影から素早く出て、あくまで偶然を装って、来栖さんの方へと歩いていく。
「や、やあ! 来栖さん。おはようっ!」
「きゃっ!」
俺からの挨拶に来栖さんは、ややビックリしながら、まんまるな目でこっちを見る。そして、来栖さんは人懐っこい笑顔を浮かべながら挨拶を返してくれた。
「おっはようございますっ! 東雲先輩っ!」
手を振りながらこっちにやってくる来栖さんの姿を見て、不意に、俺の頭のなかに夢で見た来栖さんの裸の想像がフラッシュバックする。バカか俺は、邪念撲滅邪念撲滅っ!
「どうしたんですか? 東雲先輩。ちょっと顔が赤いですよ?」
下から覗き込みながら、頭をかしげる来栖さんのあまりに純粋な目に、俺の邪念はなんとか退散してくれたみたいだ。助かったよ、来栖さん。
「いやっ! ちょっと朝からランニングをしてから来たもんだから、体が火照っててさっ!」
「へえ~っ! 東雲先輩、朝からランニングなさってるんですねっ! 凄いなあ~ わたし、朝には弱いから、憧れちゃいますっ!」
いや、実は今日から始めたんだけどね。それでも、嘘は言ってない。いい感じに話の種が出来たよ、ありがとう、沙羅姉。
「ところで東雲先輩、東雲先輩はいつもこの道を通って通学されているんですか?」
「あ、うん、そうだけど」
「あれ? それなら、わたしが気付かなかっただけなのかな? わたし、毎日ここで椿ちゃんと葵ちゃんと待ち合わせしてから学校に行ってるのにな~」
あ、これはちょっとマズイな。俺はなんとかうまく取り繕う。
「いや、いつもはもう少し遅めに登校してるんだけどさ。今日はなんだか良いことがありそうだったから、早めに出てきたんだ」
俺のちょっと苦しい言い分に、来栖さんは全く疑うことなく、満面の笑顔で答えてくれた。
「そうなんですねっ! それで、なにかいいことはありましたか? 東雲先輩っ!」
「もちろん、こうして偶然来栖さんと話せたから、いいことあったよ。来栖さんはここで何を?」
俺は白々しくも来栖さんに解りきった質問をした。そんな俺に、来栖さんはまたもや何の疑いもなく答えてくれる。
「さっきも言った通り、友達の椿ちゃんと葵ちゃんを待っていたんです。わたし達、毎日三人で登校してるんですよっ!」
「ああ、そうなんだ……」
さ~て、これからが正念場だ。これからどうやって来栖さんを言いくるめるのか、まずはそれとなく話を振ってみるか。
「あのさっ! 来栖さん、いつもはどれくらい二人のことを待ってるのかな?」
「えっと、よっぽど遅くならない限りはずっと待ってますけど、それがどうかしましたか? 東雲先輩」
よし! このタイミングだ! 俺は勇気を振り絞って、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで来栖さんに言った。
「来栖さんっ! もしあと五分しても二人が来なかったら、一緒に登校しませんかっ!」
俺からの必死なお願いに、来栖さんはオロオロしている。そうだよな、いきなりこんなこと言われたらそうなるよな。
「えっと、お誘いは本当に嬉しいんですけど、わたしがここに来てからまだそんなに経ってませんし、それはちょっと二人に悪いし……」
「それじゃあ、十分! 十分でどうかな? お願いしますっ! 来栖さんっ!」
「あ、えっと……」
全く、結局はこんな展開になってしまったか。さあ、どうする、本当に強引に来栖さんを引っ張っていくか? いや、俺にはやっぱり無理だっ! 何か、何かいい手はないか……!
俺が考えあぐねていると、なにやら周囲が騒がしくなってきた。半分は、俺のみっともないお願いをニヤニヤしながら見ている野次馬。そして、もう半分は電信柱の影からこっちを凝視している沙羅姉の周りに集まる群衆だった。
「あのっ! 六条先輩! こんなところで何をなさっているんですか?」
「あ、生徒会長だ。生徒会長、おはようございますっ!」
そんな群衆達を、沙羅姉は持ち前のデカイ声で追い払おうとしている。沙羅姉の体は、もはや半分以上電信柱からはみ出していた。
「あっ! こらっ! みんな、こっちに集まるのは止めてくれないかっ! 来栖に私の存在がばれてしまうっ! 散れっ! 散れっ!」
ああ、やっぱりこうなってしまったか。沙羅姉はよくも悪くも目立つから、こうなるのは必然だったな。結局、野次馬達をなだめるのに結構時間を食ってしまった。
あらかた野次馬達がいなくなり、俺と来栖さんがその場に残される。俺は諦めて、ことの経緯を来栖さんにあらいざらい話した。
「……という訳なんだ、ゴメンね、来栖さん。でも、この計画を考えたのは俺なんだ。こんな回りくどいやり方でしか誘えなくて、本当に、ゴメン」
本当は沙羅姉が立てた計画なんだけど、沙羅姉を悪者にするわけにはいかない。俺は来栖さんに頭を下げながら謝罪した。
「い、いえっ! そんな、わたし、嬉しいですっ! そこまでしてわたしなんかと一緒に登校したいと思っていただけるなんてっ!」
「でも、やっぱり、友達の二人を待ってから……」
そうだ、来栖さんの友達の二人。こんな騒ぎになって気付かなかったけど、俺達がここに来てからすでに十分以上は軽く経っているはず。スマホで時間を確認すると、そろそろ学校に向かわないと危ない時間だった。
「来栖さんっ! 時間っ! そろそろ行かないと間に合わないよ!」
「えっ! もうそんな時間っ!? そんな、椿ちゃんと葵ちゃんがまだ……」
「いやっ! もう待つのは危険だよ。さあ、行こう、来栖さんっ!」
俺はそう言って、とっさに来栖さんの小さな手を掴む。ちょっと力を入れたら折れてしまいそうな、細い指。春の陽気のような、やわらかいぬくもり。
「あっ! わたし、東雲先輩と、手、繋いでる……」
来栖さんは、俺に手を握られてその場ではにかむ。俺は来栖さんの意外な反応に、手を離しそうになった。でも、今度は逆に来栖さんが、俺の手を握る。
「このままでいいです。東雲先輩、一緒に、行きましょう?」
俺の手を握りながら、ニコリと微笑む来栖さんに、俺の心臓がドクンと高鳴る。そして俺は、改めて来栖さんの手を握りながら答えた。
「うん、一緒に行こう、来栖さん」
こうして、俺と来栖さんは初めて一緒に登校することが出来た。会話はろくに出来なかったけど、来栖さんのペースに合わせて、トコトコと。そして、なんとかギリギリ校門が閉まる時間に間に合った。
当初立てていた作戦は失敗に終わったけど、結果的に来栖さんと一緒に登校することが出来たし、終わり良ければすべて良しだ。いや、なにか忘れてる気もするけど、ま、いいかっ!
…………
「やれやれ、やっと行ったか。二人とも、もう良いぞ」
私の声と同時に、三叉路の脇にある木陰から二人の女子が出てくる。私が頼み込んで協力してくれた、今回の計画の功労者だ。
「いや~ 取り敢えず東雲先輩がちゃんと桃花を誘ってくれて助かったよ~」
「ホント、じゃなきゃあ、オレ達の立場がねぇからな! あ~あ、オレ達、今日は遅刻だなっ!」
「いや、本当に二人には無理なお願いをしてしまったな。その代わりと言ってはなんだが、放課後、生徒会室に二人を招待しよう。いい紅茶とお菓子でもご馳走するよ」
「おっ! 生徒会長、なかなか悪だねぇ! ちょっと生徒会長の見方変わっちゃうよ、椿ちゃんはっ!」
「それくらいはしてもらわねぇと割に合わねぇよ。在庫ありったけ出してくれよっ! 六条先輩っ!」
いやはや、少々大がかりな計画になってしまったな。少々情けなくはあったが、確かに、海人の勇気、見せてもらったぞ。本当に、よくやった、海人。そして、こんな計画に協力してくれて、本当にありがとう。鍋島。佐伯。





