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マリアがステイツの魔法師部隊と合流した頃。10人の追手がようやく仁の前まで辿り着いたところだった。
すでに護衛対象の安全は確保されているので戦う必要はないのだが、魔術を行使できるごろつきを放置することもできない。
なぜなら彼は御剣――天皇が剣であり、国家を守護する魔法師一族である。
「――なんだおまえ? さっさとここから消えろ」
裏路地を抜けた先は戦闘ができるだけの広さがある開けた空間、そこに戦闘準備を整えた仁が待っていた。人払いと外部に伝わらないように張られた認識結界は、彼らへの殺意を表している。
状況を理解していない彼らの一人が、スーツ姿の男に失せろと手で払う動作をする。その腕には製造元を示すロゴや製造番号が無い、黒のWSDが嵌められていた。
「安易に『劣化魔法師薬』に手を出した脳無しか」
劣化魔法師薬――マジックドラッグやLWDとも呼ばれる、一時的に脳の魔法に関わる領域を拡張して魔術師の力を増幅することができる禁止薬物だ。
過去に行われた非合法な人体実験で薬物や外科手術で魔法を会得した例は数多存在する。その中で一週間以上生きた例は十にも満たないだろうが……。
当然ながら北中華から持ち込まれたと思われるLWDが使用者の生命を考えられているはずもなく、彼らは使い捨ての道具扱いでしかない。
「LWDは魔術適性が一切無い人間には無意味。どうせ魔法科学校に入れるほどの適正も無くて弾かれた半端者だろ」
「おっさんが――、沢木! こいつはハルキさんに引き渡すぞ」
追手の若い男は仁の挑発で簡単に乗せられる。
魔法科学校とは将来を約束されたエリートのようなモノ。それは命の危険に晒されるからこその地位なのだが、彼らにはそれがわからず逆恨みをしていただけだ。
「ああ、ぶっ殺すなよ。あっちで材料にしてもらうんだからな」
その名前は偽名だろう。
春奈の陰陽術で見た目を変えている仁は、黒幕の関係者であろう名前に大した期待も持たず記憶する。
こんな見え透いた挑発で激情する素人に重要な情報を与えているとは思えない。
「観客には大統領もいるはずでな――、だから派手にいかせてもらう。『WSD制限解除。コードP』」
仁はWSDに施された魔法の制限解除コードを音声入力する。
大抵のWSDに当てはまるのだが、WSDは特定の行動が取れないようにAIで制限が掛かっている。それは正当防衛以外に攻撃的な魔法を制限するための機能だ。
この規制が作られた当初は全ての魔法が制限されていた。だがしかし感知、防御系の魔法も使えない無防備な魔法師が奇襲される事件が何度も起こった結果、緩和されて今の形に落ち着いた。
ただその機能があるのは正規のWSDだけの話、北中華製の不正規品――テロ行為を目的としたWSDにそんな機能があるはずがない。
「囲め! 物量で押し込むぞ!」
「等級魔法師に有象無象の魔術が通用するかよ」
似非魔術師とはいえ、数とはすなわち力だ。十人もの似非魔術師の魔術による雨は仁を殺すには十分な殺傷力はある。
しかし仁は動じることなく、旭の用意していた剣を抜く。そのまま小雨の中を進むかのように、涼しい顔で眼前の障害を薙ぎ払っていく。
「oh...あれがジャパニーズサムライという奴か」
「ジョージ、今はおふざけを言ってる場合ではないのよ」
指揮車のモニターでは光学迷彩を搭載した軍用ドローンの映像が流されている。ジョージは車外で行われる戦闘――いや、虐殺に感嘆の声を漏らす。
マリアも怪物だと思った若者が、正しく怪物だったことに顔を引きずらせながらジョージのスキンヘッドを叩いた。
「だがアレを見て見ろよ、アレはCGか何かに違いない。いつから魔法戦争にハリウッド級のCG班が参戦したんだ?」
「最近の映画ってこういうのなの?」
「いや、こんな恐ろしいホラーは滅多に無いな」
機械化兵の白人――マクレーンの冗談に何人かの隊員が「俺らもCG技術を学ぶべきか」と茶化す。
一振り。刀を振れば空間が裂け、魔術は虚無の狭間に喰われる、あるいは弾道が曲がって明後日の方へ飛んでいく。
そもそも十人の魔術師がいくら魔術を撃ち込んだところで断たれた空間を壁にされたら、仁に届くことはない。
散開して十字砲火に陣形を変えようとしても、左腕のWSDで撃ち込まれる仁の魔術でその場から動くことも許されない。
剣聖は表情を変えず高速で動き回りながら一人、一人と空間ごと切り裂いていく。
こんな光景を見て、マクレーンがハリウッド産のホラームービーと言いたくなるのも致し方ない。
「あなた達、余裕がありそうね?」
「いや、マクレーンとアリスがそう言いたくなるのはわかるだろ。なんで剣を振っただけで空間が裂けているんだ。いや、空間って裂けるもんなのか?」
「ダンジョンにも偶にあるでしょ。空間が裂けた場所くらい」
ジョージの持った疑問に他の隊員も頷いている。マリアが身近な例を出すが、本人も現実逃避でしかないことは理解していた。
「確かにあるが、あれは異空間故の不安定さが前提にあるだろ。現実世界っていう安定空間を剣とマナだけで切り裂くって……。おい、このまま見てても大丈夫か? 機密保持のためにオレら襲われねえか?」
周囲を見渡しながら警戒するジョージを誰も心配性とも臆病ともなじる事はできない。彼らも日本の魔法師を敵に回すのではと考えて、肝を冷やしているのだ。
それを司令官であるロイ=ガルシアがすぐさま否定する。彼は隊員達の軽口は放置するが、士気が下がるのは許容しない。
「――日本政府公認だ。暗黙の了解のな」
「大佐、どういうことです。自分達はマリアを囮にして、日本に潜む北中華の工作員を探し出すとしか聞いてませんが」
妹も含めたエレメンツが平然と自分を囮だと宣うのに、「ちょっと待った」と言いたくなる気持ちを抑える。代わりにマリアは車内の隅に陣取り三角座りで抗議するのである。
だがマクレーンの大佐にした質問の方が重要度は高く誰も――、妹以外フォローの一つもなかった。
そのアリスも魔眼の連続使用で目を休める必要のある姉へ、魔眼用の冷却アイマスクを義務的に放り投げるだけである。妹からも雑な扱いを受けたマリアはひんやりするアイマスクの中で涙を流すのだった。
「日本の魔法師――『三つ顔の怪物』とステイツが交戦したのはすでに三百年近くも昔だ。これを見た今ならわかるさ、やつらはこう言いたいのだ。『俺達に喧嘩を売ればこうなるぞ』――と」
諜報(御調)、防衛(御守)――そして殲滅(御剣)。日本の国防の一端どころか頂点にいる御三家をステイツは地獄の番犬に例えた。
彼らがいる限り、ステイツの軍が日本と敵対することはないだろう。――ただしそれは世界の魔法師事情を正確に理解している人間だけだ。
「示威目的ですか」
すでに勝敗の決したモニターから観戦を止めたアリスが日本の目的を口にする。
日本の剣士はすでに半数の魔術師モドキを切り殺していた。軍人である彼らからしたらすでに壊滅しているのだが、撤退を始める気配はまだない。
魔術師モドキが撤退しないのは薬の影響で思考能力が低下しているからなのか、魔術を使える万能感に酔っているからなのか。
「ああ、ステイツ内部でもそろそろ日本との同盟がなくてもやっていける。軍事に疎く、魔法に直接的な関わりの無い政治家と商人が喚き始めてる」
「『アメリカ イズ ナンバーワン』、素晴らしい考えです。――実態が伴っていないことを除けばですが……。経済の怪物と魔法の怪物で手を組んでる方が平和だと思いますがね」
皮肉屋のマクレーンが本国の無能共を嘆く。例え一部の政治家や企業が無能、あるいは強欲で目が曇っていたとしても、本当の意味での上層部は優秀だ。彼らが日本との不和を取らないと合理的な理由で考えていた。
「他国からしたらたまったものではないだろ?」
「いやいや、冗談はよしてくださいよ、大佐。ヨーロッパには妖精女王や騎士王。ロシアじゃ雷帝や魔女の庭と英雄博覧会ですよ?」
「最近はどこも大暴れする機会がなかったからな、記憶が薄れて来たんだろ。一番新しいのがミツルギのアズマか」
全員が頭に浮かべるのは数十年前の戦争であり南北で中国が分離する原因である――中華内乱。米露の主権争いの代理戦争であったそれは、多くの禁忌等級の魔法師が入り乱れて争う世界初の魔法大戦となった。
「あれがアズマなのですか?」
「おそらく違うな、息子の方だと思われる」
アリスの知るミツルギは全員、黒髪の日本人だったはず。おそらく先ほど姉と一緒に居た式神の陰陽師が姿を誤魔化していると理解して、アリスはこの男がミツルギの現当主なのかと大佐に確認する。
「確かアズマは沖縄で睨みを利かせてるのではなかったか?」
「極秘に東京へ戻ってきているとの情報もある――が、彼が今回の戦いに直接関与することはないだろう。いや、あってほしくないな」
「確かに、あれが息子なら、ファーザーはあれ以上の可能性が高いのでしょう?」
あんなものがソードマスターの本気だとは、誰も思っていない。ただの示威行為で全力を出すバカは居ないからだ。
「ねえ、姉さん。あなたの眼から見て、彼はどうなの?」
「――わかりません」
「ん? どういうことだ?」
走り疲れてうとうとしていたマリアは妹の質問に少し考えて答えた。それにマクレーンも興味があったのか、残念さを隠す事も無く訳を追及する。
「ジョージ、そのままの意味だ。『古き血筋』の異能は構造が複雑すぎて見てもわからないのが普通だ」
「昔のジャパンアニメーションみたいにか?」
「その例えがわかるのはジョージだけだ」
ロイ大佐の指摘に皆が肯定する。彼の日本好きはエレメンツとして大丈夫なのか心配になるが、日本での活動には彼のような日本通は必要だ。それが正しい知識なのか不確定ではあったが。
「ただ……操作系の魔術を常に使ってます。おそらく体を動かす為の念動術でしょうか」
「PKをか……? なぜソードマスターがわざわざ魔術で体を動かす必要がある?」
マナの無駄遣いだとマクレーンはマリアに問い掛けるが、彼女は仁の代償異能を知らないので答えようがない。
代わりに答えたのはその手の情報を掌握するロイ大佐だ。
「それでデメリットスキルを克服しているからだ」
「そんなに重いデメリットなんですか」
「体に障害が発生する類ではなく、極端に運動ができなくなるらしい」
「ソードマスターのスキルがあってもですか……。それはまた――彼はラッキーボーイですね」
「私も同意見だ。沖縄戦で戦わされた当時の司令官が聞いたら、地獄で地団駄を踏んでいるだろう」
第二次世界大戦で参戦したミツルギの剣士がこの青年なら、当時のステイツはもっと被害を減らせていたはずだ。彼がこれほどの脅威的な魔法師になっているのは、WSDと現代科学の存在が大きい。
「それでオールドブラッドなら我々に見られても問題なかったということですか。どうせ重要な部分を分析できるはずもないと」
「そんなところだろう。他にも理由があるのかもしれないがな。――そろそろ時間だ。マクレーン、国防軍とのランデブーゾーンまでの運転を頼む」
「了解、ボス」
ミツルギが撤退するのを確認して、エレメンツも引き上げることにする。
戦闘の証拠隠滅は日本に任せて、マクレーンは国防軍と落ち合うためキャンプカーを走らせた。