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仕事のために日本へやって来たステイツからの来訪者。
彼女はせっかく海外に来られたのだから、観光の一つくらいしたいと、妹に頼み込んで了承をもらったまではよかった。
仕事前に遊んでるから神様に怒られたのかしら、まさかこんな事になるなんて――そう後悔しながら外を眺める。
「さて、どうしましょうか」
彼女のメガネ型端末モニターにはAR技術の応用で表示される英語で溢れた日本が映っている。
若者向けのお洒落なカフェの店内、そこには学生と思われる日本人が何組かいる。ただ何人かは――違う、民間人なんかじゃない。
外にいるカップルに至ってはエレメンツの魔法師(現役の軍人)でも勝てない、それどころか逃げることさえ難しい。一方で店内にいるのは雑魚だ、簡単な訓練しか受けてない自分でも対処可能な範囲の低レベルな魔術師モドキだけ。
仁がダブルスキルだと見抜いた金髪の美女――マリア=ミラーは自分の出した分析に、ため息を吐く。
マリアは戦闘が苦手な魔術師であった。そもそも彼女の役割は分析官、戦闘の痕跡や残留するマナから敵の魔法を見抜いて司令部に報告するのが仕事だ。
ダブルスキルという希少な能力を持つ自分は、海外に出るなんてまずないだろう。そう海外旅行を諦めていたマリアは今回の仕事を能天気に喜んでいた。
日本は治安の良い国だ。もちろん北中華との紛争という面倒事はあるが、上司から死体の分析を頼まれただけの自分は関係ないと思っていた。
(治安が良いから大丈夫だと思ったのに、一体どういうことなの!? 護衛だって付いてきたマイシスターはいつの間にか居なくなっちゃうし、外にはモンスターみたいな茶髪の魔法師が二人もいるし)
マリアは自身の魔眼で少しだけ見た青年と少女――仁達の異能を覗き見て青ざめている。
魔眼名「分析の眼」で把握しきれない程の密度で構成された理解不能な異能。普通はそれがどういう系統の異能なのか程度は分かる魔眼のはず、それが青年に関して一切わからない。
一方で少女の方だが、これも普通とはかけ離れている。人形系の異能だと自分は『思う』が、見えてる異能は全く違うのだ。狐に化かされてるみたいに、認識と現実が一致せず混乱させられる。
初めての現象にマリアがパニックを起こすのも仕方ない。ステイツにいる魔法師は浅いのだ、能力が――ではなく歴史がだ。禁忌等級の魔法師はいても異能構造が極めて単純で、分析系の魔眼である程度の分析ができてしまう。
けれど御剣や安部の異能は千年以上続く異能、そんなものが簡単に理解できるはずもなかった。科学技術で大国の地位を維持してるが、この辺りも魔法先進国に追いつけていない証であった。
「――やっと返って来たっ」
緊張でコーヒーの味も分からないマリアが待ち望んだ、護衛からのメールの返答をすぐさま開く。
視線を感じてすぐ、逃げ込むように入ったカフェで護衛にSOSのメールを何度も送っていた。その答えが三十分経ってようやく来たのだ。
(『ミツルギに守ってもらえ』……、どういう意味! ミツルギって誰!? 護衛放棄しちゃったの、マイシスター!)
マリアは訓練で習ったマニュアル通りに心を落ち着かせるために、何度も腹式呼吸を繰り返す。
(ミツルギ……ミツルギ……、どこかで見たような――って! 昔見せられた日本の要注意リストにあった禁忌等級最多のハイウィザードファミリーの一つじゃない! なんでそんな一族が私の救援に来るのよ……)
獅子に守ってもらうことになった兎はチラリと思い当たる魔法師を見た。
(あーうん。手を振ってるってことは、あの二人のどっちかがミツルギなのね。優雅に紅茶とケーキを食べてるけど、デートか何かだったのかしら……。チッ)
若いが落ち着いた空気のある男女の二人組。マリアから見るとお似合いのカップルにしか見えない。
椅子で眠る式神はマリアの位置からは見えず、二人がデートの最中であると勘違いしても仕方ない。見えた所で心の中で舌打ちするのは変わらないのだが……。
こういう所が妹に裏で「ポンコツ美女」と呼ばれている理由だとは本人は知らない。
(さて、リラックスもできたし、これからどう動くか考えないと。とりあえずの目的はエレメンツの指揮通信車にたどり着くこと)
パニックを落ち着けたマリアは、これから自分が取るべき行動を整理することにした。彼女の手元には端末が付近の地図データと軍の指定ルートを表示している。
(でもこれって、どう見ても邪魔者を排除する気満々なルートよね。相手も手段を選ぶつもりがないからって、血生臭いことになるんじゃない?)
護衛のメールに添付された地図には大量の情報が書き込まれている。おそらくミツルギが戦闘できる場所まで自分が誘導しなくちゃいけないのか。
それを理解したマリアは実戦経験の無さに、キリキリ痛む胃を押さえながらも覚悟を決めた。
USA――アメリカ合衆国は二十二世紀において二度目となる大規模な軍部の再編期があった。
一度目は機械化――つまり戦闘機や戦車などの近代兵器の正式導入時。その次が魔法の軍事導入となる。それ以前までの魔術師は陸海空軍での運用方法の研究だけで、活躍は小規模な実験部隊として運用経験の蓄積だけに限られていた。
その後魔法工学で開発された装備だけでなく、積極的に魔術師と魔法師を編入していった。その中でも大きな影響があったのはアメリカの少数精鋭の代名詞、旧海兵隊だ。
大多数の魔術師は陸海空のそれぞれに再配置されたが、現代の核兵器とも言える強力な魔法師は大統領直轄の海兵隊に集められた。
今ではエレメンツと呼ばれる魔法師主体のエース部隊と名高い、アメリカの最高戦力である。
そんなエリート魔法師である自慢の妹への罵声を叫びながらマリアは裏路地を走る。
「帰ったらぶん殴る! 双子だからって手加減しないぞ、助走付けて渾身のストレートをいれてやる! ファッキンマイシスター!」
「――こっちから女の声がしたぞ!」
「ひぃ、――ここに残ってるのは……あれか!」
後ろでは日本語で口汚くマリアを追う人間の声が聞こえた。マリアはもう一つの魔眼、「再生の魔眼」でエレメンツの残した魔術を起動する。
「魔術だ、避けろ」
氷の礫が狭い路地を飛ぶがその位置は高すぎる。追手は少し伏せるだけで、マリアの魔術は頭上に避けていく。
「またかよ」
「はっ、狙うのが下手すぎだろ」
追手の悪口にむすっとして、マリアは「そういう異能じゃないんだよ、魔術師モドキ。何も壊れないのも気付かない無能が――」と悪態吐く。
「がんばれ、がんばれ。あとちょっとで合流地点や」
「日本の魔法師ちゃんの気合が抜ける掛け声はどうにかならないのかなー!」
マリアは孤軍奮闘ではない。並走して飛んでいるカラスから、春奈の若干適当な応援が入る。これは春奈が英語で話してるのではなく、式神と術者である春奈の間に挟んでいるWSDの機能だった。
現在はAI翻訳ソフトが発展しているため、携帯端末さえあればどこの国の人間とも話せる。春奈の式神はWSDにインストールされたAIの翻訳ソフトのおかげで、日本語以外の言語でも意思疎通できるようになっている。
「――あの金髪女はどこだ、確かにここで曲がったはずだ」
「この先には進んでないはずだろ」
男たちは高く積み上げられたダンボールの山で、追いかけてた女を見失う。どうみてもダンボールを退かすして積み上げる時間なんてなかったはずだ。
それを上から鳩がくすくすと眺めていた。
「あら、良かった。まんまと幻術のダンボールで足を止めたみたいや」
「ラッキー、あんな子供だましに引っかかるなんて、やっぱり薬で魔術使おうとするアホやな」
こんなに走ったのは軍学校時代以来だ。。マリアは帰ったらランニングだけでも日課にしようと心に決め、魔眼の力が稼いだ時間で息を整える。
「ヘイ、陰陽師! あいつらは何て言ってる!」
「『お姫様は何処だ』って言ってはるよ」
「お姫様で喜ぶ歳じゃないんだよな。――って、目の前に誰かいる!」
マリアの進む先に一人の男が立っている。金属製の杖を持ち、裏路地に似つかわしくないスーツ姿の成人男性が壁に寄り掛かって待機していた。
ここを抜ければすぐ見えるはずなのに――、マリアは迂回するべきかどうか一瞬迷う。ここまで来たのだから妹も出迎えに来なさいよと泣き言を言いながら。
「味方だから大丈夫や、そのまま真っ直ぐ進みい」
「信用するからね!」
男の前を通り過ぎようとしたマリアは男に「お疲れさん」と声をかけられた。彼女は思ってたより幼い声に思わず振り返りそうになるが、ぶん殴ると決めた顔が視界に入るのが先だった。
「ハーイ、マイシスター! 一発ぶん殴らせろ!」
路地を抜けた先には妹とエレメンツの隊員がいた。マリアと瓜二つの顔をした妹のアリス=ミラーは姉のマリアとは逆のイメージで、ショートカットの髪に明るい表情が標準装備である。
「殴るなら私じゃなくて、この作戦を実行させた司令官にすることね」
「おいバカ! 下っ端が大佐を殴れるわけないだろ!」
大佐とはエレメンツの司令官の事。分析官であるマリアは話し合う機会が多々あり、鷹のように鋭い目に苦手意識があった。
その苦手な大佐相手で急激に怒りがしぼんでいくマリアを、一人の黒人が白い歯を見せながら出迎える。
「はっはっはっ、だから海外任務も危険だって教えたろ?」
「お前も居たのか、ジョージ!」
快活とした笑いでドッキリ大成功の看板でも取り出しそうな黒人隊員の楽しそうな顔を見て、マリアはやっぱり全部仕込まれていたと理解する。
「当り前だろ。むしろ君はなぜそこまで平和ボケしてたんだい? てか、口調がとんでもないことになってる事を驚いた方が良いかい?」
「私が甘やかし過ぎたのよ。あと口調は突っ込まないであげて、家だとあれが素よ?」
「アリス!」
マリアは安心して抜けた腰を双子の妹、アリスに支えてもらってエレメンツの臨時指令所である指令通信車に乗り込む。
「それじゃあお別れやね。また機会があったらよろしゅう」
見た目は一般に使われている居住性のある大型車。
その中身はハイテクの塊に改造された偽装車両の扉前で、春奈は短い間の仲間に別れの挨拶をしていく。
「――ゴホンッ。今回は大変助かりました。できたら次以降も仲間であることを心の底から望みます、ありがとう」
「ふふ、せやったらええんやけどね。ダブルスキルのお姉さん」
春奈の式神はポンッと音を立てて紙に戻ると、そのまま灰も残さず青い火と共に消失していく。
「――本当に仲間であることを祈ります」
切実な祈りを神に捧げるマリアを見て、エレメンツの隊員から苦笑が漏れる。