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冬乃は登場しないのを忘れてました。のでちょろっと修正入れました。
『倫理に基づく禁止魔法の国際条約』
――生物の死後を辱める類の魔法の禁止。
――治療目的を除く、他者の精神に直接作用し、後遺症を残す危険のある魔法の禁止。
――長期間に渡って被害を残す、あるいは大陸、地球規模で影響のある魔法の禁止。
米ソの冷戦時代、大量破壊兵器の禁止条約と共に結ばれた魔法に関する禁止条約。これらは資本主義、共産主義問わず拒むことを許されないまま合意が強いられた。尚、その後追加されたダンジョンにおける禁止条約の三つをまとめて『人類破滅抑止の三大原則』と呼ばれる。
強制だった理由であるが、端的に言うとダンジョンが生まれたからである。
人の思念から生まれるマナには正負が存在する。それらは互いに打ち消し合って消滅する自然の摂理であった。
では、その自然の天秤がネガティブな思念に大きく傾く戦時はどうなるか、――その答えがダンジョンだ。
今では貴重な資源倉庫として活用されるダンジョン。
しかし、それが表社会で初めて認識された当時は豆鉄砲のような銃器しかなく、大型兵器も持ち込めない、大きな労力と犠牲を支払って耐えるしかなかった。
破滅のスイッチが無造作に転がってる上で、タップダンスを続けるのは狂気の沙汰だ。若干の混乱はあるにしても、この条約が結ばれるのは当然の帰路であった。
「僵尸、一般的にはキョンシーで有名な、死霊術に近い操作系魔術だ。北中華連邦が保有している疑いのある生体兵器がそれらしい」
宗一は難しい顔をして、最近の不穏な空気の原因を喋る。
死霊魔術とはイメージ通り、死者の肉体を操る魔術である。
当然禁術指定の魔術であり、疑惑が生じただけで他国のトップが黒い笑顔に拳を握ってファイティングポーズを取るだろう。
「それ――疑いではなく、確定ですよ。昨日、襲われましたので」
仁が将人に後始末をやらせた死体がその僵尸だった。
建物まで破壊したのは、体内に仕込まれているだろう観測機が存在しているかもしれないことを考慮してだ。一切の情報を与えずに破壊するため、少々オーバーキルだったため周囲に被害を出してしまった。
「それって禁術で作った生物兵器を本当に送り込んできたってこと!?」
現代魔法史で最初に習うであろう、常識ともいえる国際ルールが破られたと知って時雨が思わず立ち上がる。
「――ああ、仁の言ってることが本当ならそうなるな」
「おいおい、北華は世界を敵に回すつもりか」
中国大陸での紛争を静観している欧州やアフリカ、南北に割れた旧中華の北側を支援するロシアも制裁に動かざるえない。それが経済封鎖では軽く、高い可能性で軍事介入もありえた。
そうなってもおかしくないと動揺する時雨たちを仁が否定する。
「日本もステイツも、公にできないとわかった上での作戦ですね」
「だろうな。魔法省や関係各所は秘匿する方向で動いている」
「条約違反を放置すると?」
それでは条約そのものが有名無実なモノになってしまう。それを危惧する時雨は、「そんなバカなことが……」とゆっくりと椅子に戻る。
「この一件が露呈すれば、世論を誰も制御できなくなる。少なくとも北中華の工作員から襲撃があった――、それ以外の情報は箝口令が敷かれることになる」
だからお前たちも不用意に喋るなよ。――と宗一が時雨はもちろん、その場にいる全員の顔を見る。
「臭い物には蓋をしとけばええ――そういう事ですね」
「大衆の抗議が条約違反した北中華だけに向けばいい。だが、もしそれが魔法師を排斥する動きにまで拡大したら――、それを考えれば当然だ」
春奈は特に思うところも無く、素直に受け入れる。一方、時雨のほうは理由を聞いて仕方ないと諦めの境地であった。
彼女も現代魔法史である戦争の歴史は学んでいる。少なくとも真実が絶対の正義だとは思っていない。
「……納得しろとは言わん、だが理解はしておけ。大衆とはそういうものだ、扇動する者がいれば特にな」
「だが、何かしらの報復は行うのだろ? そうでなくては、本当に二階堂が危惧した通りになる」
ダンジョンが世界を滅ぼすかもしれない。その抑止力である条約が形骸化して欲しくないのは、一部の破滅願望者を除けば誰もが思っていることである。
「それ以上、首を突っ込んでいいことではないですよ、堂島先輩」
「――御剣の言う通りか。悪い――俺達のやるべきことを話し合おう、宗一」
仁に制止された正芳は、それが自分の踏み込むべき領域ではないと遅れて気付く。魔法科学校の一学生であり、風紀委員の自分がやるべきことは他にあると本来の役割を思い出した。
話を脱線させた事を謝罪する正芳に、宗一は「構わん」とさっさと話の続きに戻る。
「そういう事情があるのだが、間違っても俺達がやるべきはやつらを排除する事ではない。ターゲットが魔法科学校、あるいはその生徒であった場合の対処を――」
公安や軍の魔法師が動いている中、魔法科の生徒が考えるべきは自衛だ。
大陸の工作員がこのダンジョン都市にいると知って、生徒が暴走しないか。もしものとき風紀委員と生徒会がどのように動くか事前に対策を考える必要がある。
「安部は陰陽一族の出身だろ、占術の類はできないのか?」
正芳が陰陽師の名家である春奈が占術で予知できないか。そう考えるのはおかしな話ではない。
『占術』と名前自体が良く知られていても、その実態を理解してない人間は多い。魔術ではなく話術の占いが影響しているのかもしれないが、魔術師である正芳ですら詳しく知らないのだ。
なので念のためにしてる確認であって、正芳も占術で解決できるとは思っていない。
「申し訳ないですけど、うちの専門は式神ですので。占術で出来るんは明日の天気予報ぐらいです」
「正芳、占術の専門家は土御門家だ。それに占術の扱いは難しく、それ頼りで動くのは無茶だ」
宗一が東京の土御門を占術の専門家と言ったが、それは半分正解で半分間違いである。安部は式神系の、土御門は予知系の異能を発現しやすいというのが正しい。
また魔術師としての適性や蓄積された知識はどちらも大差なく、手に入る情報の違いから東京と京都では占術の分野が若干異なるのだ。
「それでも聞いておいて損はないだろ。新入生には土御門の方もいなかったか?」
正芳は風の噂で聞いた話を思い出す。安部と土御門の陰陽師の名家が揃って入学するのは噂になる程度には話題性があった。
「居るが……彼女にはすでに占ってもらってる」
「その顔は特に有意義な情報が出てこなかったか」
仁と同じく以前から面識のある宗一は冬乃に占術を依頼していた。しかし、その結果は頼りにするには情報不足と言わざるを得ず……、
「――しばらくの間は、魔法科学校が主戦場になることはなさそうだ、とだけだ。他に不穏な場所が多すぎて流れが読み切れないと言われたさ」
と、宗一がわかっていた答えを出す。
複雑に絡み合った未来を読み解くのに、不十分な情報ではその精度が低くなるのも仕方ないのだ。
さらに宗一は「人の手を増やせばまた違うが、ここだけの為に土御門を総動員するわけにもいかないしな」と仕方なさげにする。
土御門の占術には多くの依頼が来る。企業はもちろん、内閣府や軍からも重宝されるほどに。その土御門の貴重なリソースを一学校だけに割くわけにはいかない。
「話を戻そう、安部は式神をどの程度まで扱える?」
「戦闘用……という意味ではないでしょうね。人海戦術で使う戦力としてですか」
「ああ、戦力ではなく人手で良い。生徒が行方不明になった時に、捜索の数に数えられる程度の能力で良い」
魔法科学校の警備には公安や軍の魔術師も協力している。けれど、その絶対数は不足しておりプロの魔術師だけでは手が限られる。
特に人数が必要な人探しなら尚更。魔術の使えない人間を駆り出しても、魔法師相手では死体になって帰ってくるだけだ。もちろん監視カメラの確認などの仕事はいくらでもあるので全く必要ないかと聞かれたら、否と答えるのだが。
その点、陰陽術の簡易式神は都合がいい。破壊されても失われるモノはない、強いて言うなら式神を作る春奈の労力ぐらいだろうか。
「ならカラスの百匹程、ばら撒けばええでしょう」
「……式神を軽く百は扱えるのか」
「自立型の監視カメラ代わりなら簡単ですので」
サンドイッチを作るくらい簡単に。百の式神を使役すると言い放つ春奈に、正芳は目をパチクリさせる。
正芳の知る式神のような操作系の魔術は、直接操作なら最大でも三体操るのが精いっぱいだ。自立型ならもう少し増えて二桁に届けば秀才、天才の部類となる。
例え運用効率と並列処理に優れる式神であっても、三桁の自立人形を動かすのは不可能のはずだ。
「式神は手作りじゃないよな?」
正芳が時雨の顔を見て、見当違いな――式神を作る方に言及したのは動転のせいだろう。
「そんな大昔の魔術師じゃないんだから、ちゃんと量産化されてるわよ」
「最後の作業は人の手で行いますけど、アイドルのサインよりまだマシですわ」
御守の分家である時雨は土御門――陰陽術師との繋がりが有り、春奈の異能を知っていた。だから特に驚いた風もなく冷静に答える。
それは本家である宗一も同じなのだが、過去に正芳と同じ事を冬乃に聞いて笑われた記憶が蘇り密かに顔を背けていた。
「それと、うちの異能は『式神使い』です。こと式神の運用において日本一、人形魔法でも世界有数ですよ」
人形使いとは文字通り人形を動かす操作系の魔術だ。メジャーな魔術では無機物で作った『石塊の巨人』、変わりモノだとケルトの魔術師が操る『炎を纏いし巨人』だろうか。
「それでも安部は一年生だ、戦闘が起こっても、自分で戦おうと思わないようにな」
「わかっています。式神使いは直接の戦闘が苦手ですので」
宗一と時雨は内心で「狐だな(ですね)」と笑いを堪える。式神と聞かれて真っ先に思い浮かべるのは、安倍晴明が使役したと言われる十二神将の四体である青龍、白虎、朱雀、玄武だろう。
式神に限れば清明と同格と土御門に言わせる春奈が、そのレベルの式神を使役していないはずがない。
春奈の直接(術者本人)の戦闘が苦手という言葉で勘違いさせられる正芳を見て、これが京都の陰陽師かと感心していた。
「危険は無いと思うが校内でも式神の護衛を呼べるように、学校側には俺が知らせておこう」
春奈の申告通り式神をメインに扱う春奈自身の戦闘力はそこまでではない。
宗一はそんな彼女が無防備にならないように気を回す。
「助かります。部外者のと間違われても面倒でしたので、どの子も呼んでなかったんです」
後日、学校へ人形魔術の登録を行うので、職員室まで手続きに来るよう正芳は伝える。
防犯が厳重な魔法科学校だから帰還させているが、春奈も日常では二体の式神――前鬼、後鬼を必ず付き添わせている。
(とりあえず、四神達は交代で来てもらうとして、耳と目も紛れ込ませてもええやんな)
春奈が護衛以外に余計なことを企んでいると、
「悪用するなよ」
そう、仁のジト目が向けられる。
「――そんなことするわけないやん?」
「なら狗神と八咫は必要ないな」
春奈の好きな事は人の弱みを掴んで、にやにやすることだ。人を脅すためではなく、「後ろ暗さ」で相手を疑心暗鬼にするのが楽しいらしい。
そんな彼女と付き合いの長い仁が分からないはずがなく、犬とカラスの姿をした諜報用式神を持たせるのは危険だ。そう思って仁は先輩へ遠回しに警告するのであった。
「うちの楽しみが!」
「はあ……。護衛目的以外の使用許可は出さなくていいな」
「そんなあ、……仁君のあほお」
宗一は別に情報収集を悪いとは思っていないが、生徒会と風紀委員の前で堂々と規則の悪用を企む春奈に呆れるしかない。
あとでしっかりと諜報用式神の対策を見直すよう、学校側に進言する必要があると宗一の頭を悩ませた。
「情報交換はこれくらいでいいだろう。緊急事態に使う百体の式神は生徒会室で預かる。用意ができたら――、二階堂、頼んでいいか?」
さきほどの話で少し暗さの残ったまま頷く副会長は「用意ができたら、ここに連絡を頂戴ね」と携帯端末の連絡先を渡した。
「それと生徒会室の入室登録も必要じゃないかしら」
「それもそうだな。そっちは俺がしておこう」
緊急時に備えていても、それが生徒会の人間がいないと使えないのでは意味がない。時雨は生徒会室に入れるように、二人の生徒用ICカードも登録するべきではないかと提案した。
「領収書は提出しろよ、式神の費用は経費として処理するからな。今日、呼び出した用件はそれくらいか……?」
仁達が呼ばれたのは、もしもの時に協力を期待してもいいのか確かめるためだ。その言質が取れたのなら、平時の対策にまで引っ張りるつもりはない。
宗一が一同へ他に話が無い事を確認して、今日は解散となった。
「あれが御剣の次代剣聖なのね。普通の子……よね」
仁と春奈が退出した生徒会室で、時雨が二人の印象を話す。それに正芳が頷き、冷めた紅茶を手に取った。
「話をした感じでは性格、思想共に問題無し。成績はどうなんだ?」
魔法科の入試は主に実技と中学の内申書だけで判断される。
魔術には術式を構築する魔術言語や、数式を学ぶ必要がある。けれどそれ以上に重要なのが魔力――魔術適性だ。ただでさえ才能に左右されるせいで数が安定しない魔術師見習いを筆記で篩にかける必要がない。
もちろん魔法科に入った後も一切筆記がないわけではなく、入口にはないだけだ。
「中学時代はそれぞれの学校で成績トップ。入試の実技はマナの発生量、記述速度、記述量。どれをとっても最高ランクでしたが、体育の成績で春奈さんが首席に――」
「……待て。なぜ、二階堂がそれを知っている」
宗一も入学式の新入生代表が春奈だったから、彼女が首席であることは知っている。だが次席まではさすがに把握していない。
公表されていない教師側の情報を、なぜ時雨が知っているのか。宗一が疑問に思って話を遮る。
「先生と入学式の打ち合わせをしてる時に、『今年入った子で優秀だったのはどんな子だったのですか』って聞いたら教えてくれたのだけど?」
「教師の口が軽かったのか、代表になる可能性があったから話したのか。判断に迷うな」
個人情報の扱いに悩む宗一は空のカップを生徒会室の備品である洗浄機にセットして、後片付けを始める。
「なあ、式神使いの安部に協力を求めるのはわかるが、なぜ御剣に声をかけたんだ」
「今さらなんだ、一年だからって荒事に巻き込むべきじゃないとでも言うつもりか?」
新入生の二人の協力を時雨と正芳に提案したのは宗一だった。
風紀委員長である正芳は最後まで反対していたが、時雨が式神の人海戦術はいざという時の切り札になるという言葉で渋々受け入れただけである。
なので御剣も巻き込むことを正芳はまだ納得しきっていない。
「事実、生徒同士の仲裁役である風紀委員は二年からしか入れない。御三家や安部みたいな古くからの魔法師一族なら、魔術をすでに学んでいるとはいえ危険だ」
「御剣を目に届く場所に留めておきたいからな。単独で北中華と戦われるのは困るんだ。訳は聞くな。大人の事情――って奴だからな」
「……そうか」
禁忌魔術というただでさえ厄介な爆弾が転がってるのだ。その周辺にどんな勢力が蠢いていてもおかしくない。宗一も問題のない範囲で正芳に地雷原を教えてるために漏らしてる節があった。
「それに戦力面で、手の空いている魔法師であいつ以上に頼りになる奴はいない」
「ユニークスキルには発現していても、デメリットのほうが大きいって聞いているが……」
「――その評価は新しい世代の家だけの話に過ぎん。古い一族で剣聖を過小評価するバカはいない、御剣家は危険だからと天皇から遠ざけられた一族だぞ?」
御守が天皇の御所を守護し、御剣家は日本全国の異能者を討伐、保護し、御調家が諜報を担当していた。御守が持つ異能の方が護衛に向いているというのもあるが、一番は御剣の力が強大過ぎて都に置いておけなかったのだ。
「どの程度の戦力だと考えればいい?」
「本気の殺し合い、かつ御剣の間合いなら俺が即死だな」
「おいおい、物騒だな」
「剣聖とはそういうスキルだ。御守の異能とは特に相性が悪いからな」
剣聖は近接系異能の頂点だ。それこそ魔法の頂点に君臨するかもしれない程の超越者。汎用性なら御守の異能も負けていない自負はあるが、御剣ほど人間を辞めたつもりもない。
「宗一君は『運動音痴』を偽装だと思ってる?」
「それは事実だ。――悪いがこれ以上は話せん」
「御三家も面倒くさいな、話せない事ばかりで」
「ははっ、俺もそう思う。……ああ、やってられんな」
次から次へと問題がどこかしらからやってくる。そんな現実に宗一の珍しい泣き言は食器洗浄機の稼働音にかき消された。