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「それでは本日の予定は全て終了しました。さきほど配った、提出用のデータは来週の月曜に――」
担任である女性が注意連絡をして、お昼前に学校は終わった。
大学を除く現代の教育は勉学を教えるという教師の役割はほとんどない。
勉学そのものはAIによる無人授業に移り、人間の教師が担当するのは体育や芸術といった実技のみ。他の教師は学校行事の準備、担当クラス等の事務仕事、生徒達の抱える問題の相談が主となる。
仁達のクラスを受け持つ担当、愛染京子もそんな一校に何人かはいるカウンセラー資格を持つ一人だ。
初めて担任としてクラスを受け持つことになる京子は、女子生徒の質問攻めにあっていた。
「先生! 恋人はいる?」
「結婚は?」
「愛ちゃんと京子ちゃん。愛称はどっちがいい?」
女子生徒の中にはポニーテールを揺らす立夏の小さな後ろ姿も混ざっている。すぐに他の輪に混ざっている社会性は彼女の強みだろう。
「二人は生徒会室に行くんだよな」
姦しい立夏たちの声で掻き消されない場所で蓮司が仁に話しかける。
「ああ、悪いな。見学はどうする?」
この時期の見学といえば部活に決まっている。
仁は特に部活動というモノに興味はないのだけれども、友人に誘われればそれに付き合うくらいはするつもりだった。――御守家の人間に呼び出されるまではだが。
「俺は適当に見学でもしながら、ぶらぶらしてくる」
「特に希望はない感じか?」
何気ない仁の質問に蓮司は若干迷った後に、
「俺の異能が『身体強化』だから――。普通の競技系はちょっと……な」
と、少し陰を落とす表情は何かあったと察するには十分だ。
人は才能の差を妬む生き物。それが異能というわかりやすい形で、でんと構えているのだ。中学時代までの部活でそれを実感した蓮司はもうこりごりだと、苦笑する。。
「有利過ぎて競技に参加しにくいか。はは、俺とは逆だ」
「運動が苦手なのか?」
「いや、代償異能のせいで走るのも苦労している。お互い異能には苦労するな」
異能が原因でスポーツを楽しめないのは仁にも当てはまる。
無意識でも運動能力が高すぎる蓮司と、WSDが無いと真面に運動できない仁。
二人は全く逆の悩みがあるものの、異能に辟易している同士だったことに妙な共感を持つ。
「三校戦の競技種目なら異能者でも問題ないだろ? あとは……山岳部みたいな部活がこの学校にあったか?」
仁の提案に蓮司の残っていた未練が疼く。
「山岳部は知らんが、三校戦か……。見るだけ見てみるか」
そんな話をしていたら「私も話に混ぜて」と立夏が、一人のクラスメイトを連れて戻って来た。
「何々? 部活の話? 私もあきあきと一緒に文化系の部活を回るんだ。春奈ちゃんとは来週行く予定だけど」
「――呼んだ?」
教室の外に出てた春奈も丁度帰って来た。綺麗に折り畳んだ少し濡れたハンカチをポケットに戻して、彼女は一度自分の席に戻って鞄を手に取る。
「うんうん、来週一緒に見学いこーねって」
「ああ、今日はかんにんね。うちの事は気にせず楽しんできてや」
話の内容が聞き取れるような声の大きさでも、距離でもないにも関わらず、立夏は普通に会話の続きに混ざっている。
半ば確信して仁は聞く。彼の目には立夏の持つマナの流れが普通の魔術師とは異なるのを初対面から感じ取れていた。
「工藤も異能持ちなのか」
「あ――、そうそう。私の異能は『五感強化』なんだ」
「犬みたいだろ? 鼻も耳も良いから気を付けろよ」
「うー……ん、否定できないから素直にその評価は認めてやる」
自分自身でも若干、わんこみたいじゃない?
そんな動物染みてる自覚がある立夏は蓮司に怒る事も出来ず、なんとも言えない顔をしている。
「わんちゃんは似合ってると思うよ? 工藤さんってなんだか犬っぽくて愛らしいし」
そうフォローするのは立夏が連れてきた女子生徒。彼女に悪気はないのだけれども、普段から小さい小さい言われてた立夏の耳は別の意味に捉えてしまう。
「――小型犬って言われてる気がするのは、……被害妄想だよね」
スッと顔を逸らす彼女。フォローしたつもりの彼女も立夏を最初は小動物みたいでかわいいと思ってしまったのだから。
「えーっと、ち、違う……かな?」
「諦めろ、チワワ」
「灰原! そんなに噛み付かれたいのか! がるるる」
犬歯を見せて威嚇する立夏はまごうことなき、チワワの威嚇だ。
そんな立夏を放っておく――すでに彼女の扱いがわかった仁と春奈は話したことの無いクラスメイトに向き直る。
「小鳥遊、秋穂だったよな」
仁が名前を呼んだ小鳥遊秋穂は良く言えば物静か、悪く言えば内気に見える女性だ。どこか自信なさげで、目にかかる前髪とメガネがその印象を強めていた。
「はい、そうです。二人は御剣君と安部さんだったよね、あとそっちの男の子が灰原君」
「ああ、よろしく」
「春奈って呼んでもらってええよ」
「――よろしくなって……、引っ掻かこうとするのもやめろ!」
紹介を済ませたのは良いが、御守に呼ばれている仁達はいつまでも教室で油を売るわけにもいかない。クラスメイト達に「また明日」と別れを言って、二人は生徒会室に向かうことにした。
校内の廊下には、部活動の生徒達が新入生を勧誘する声が届く。真新しい制服を着た生徒が、魔法科学校という新生活に浮かれているのが目に入るだろう。
窓から外を見渡せば、普通の学校にはない施設が数多く存在するのが見て取れる。
さすがは国に三つしかない魔法師の教育機関。大学寄と同等かそれ以上に敷地も施設もしっかり整っていた。
人の多い場所から少し離れた魔法科学校の本校舎三階、『生徒会室』と刻まれたプレートの掛かった一室の前に仁達が立つ。
生徒手帳と共に配られたICカードで出入りを管理してあるが、学校内にある資料室や訓練設備ほど厳重なセキュリティではない。
生徒会といっても重要な案件を扱ってるわけでもないので、最低限の防犯設備があれば十分なのだ。
そんな一般教室よりは少し厳重な扉を、仁は四回ノックをして一言声を掛ける。
「一年の御剣です」
仁の呼び掛けに男の声が返って来た。
「――入っていいぞ」
仁が扉を開けて入室すると、三人の先輩が待っていた。――その中で二人の見知った人間が一人いる。
「久しぶりだな、仁」
扉の段差に引っかかる仁を驚く事なく、歓迎してきたのは高校生とはかけ離れた男子生徒。
耳の下には首にかける、ネックバンド型の骨伝導イヤホンが装着されている。仁の知るこの男の性格上、ファッションや音楽用のイヤホンはありえない。おそらく聴覚を補佐するための装置であろうと予測する。
「ええ、お久しぶりです、宗一さん。去年会った新年会以来ですか?」
「もう一年と少し経っていたか。ここ数年は大陸側が活発なせいで色々と忙しないものだ」
仁の父親――御剣東に連れられて、魔法師一族で集まる新年の挨拶で顔を会わしたのは記憶にも残っている。
その時よりさらに男らしさ――勇ましさといった方が正しいかもしれない――が上がった宗一に二人は軽く会釈する。
以前から戦闘魔法師として実戦を考えた体を作っていると思っていたが、仁達が顔合わせした時はまだ子供と大人の間を揺れ動く高校生の不安定さが宗一にはあった。
それが御守の次期当主としての威厳を持ちつつある。
子供なら泣き出すまでいかなくとも全力で距離を取るに違いない。そんな威風堂々たる男だ。
「二階堂は初対面だったか?」
「そうね。私も噂くらいでしか御剣君の事を知らないわ」
生徒会室の一番奥でどっしりと構える宗一に、お湯を沸かしてる女子生徒が答えた。
宗一は「立ったまま話すこともないだろう」と、談話スペースにあるソファーを指さす。
「どうぞ」
言われるがまま席に着いた二人にお茶が出される。仁はそれに感謝して、その飲み物を淹れてくれた先輩の容姿を目に入れた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
ひとつしか歳が変わらないにもかかわらず、お姉さんと呼んでしまいそうな大人っぽい仕草、柔らかな表情でほほ笑む姿は母性すら感じさせる。
中学生を卒業したばかりの男子高校生なら、その魅力的な笑顔にそのまま引き込まれてしまいそうだ。
宗一の口振りから彼女も魔法師一族の出らしいが、仁もさすがに何十と存在する魔法師の家を全て覚えているわけではない。
「さて、私は二年の二階堂時雨よ。生徒会では副会長をやらせてもらっているわ。選択は魔法戦術学、御守の分家で宗一君とは長い付き合いね」
「あの二階堂の方でしたか」
「あら知ってくれてたのね」
「もちろん、二階堂と言えばお父君が有名人ではありませんか」
一仕事終わって椅子に座った時雨は簡単な自己紹介をして、シュシュでまとめていた長い髪を解く。そして、「んんー」と体を軽くほぐしながら、自分で淹れた紅茶で一息つく。
仁がよく見ると、お茶の置かれた机がかすかに湿気を帯びてる。おそらく自分達が来る前に生徒会室の掃除をしていたのだろう。
第一印象通りしっかりした人だ、そう仁が人物評に追記する。
「家だとただのだらしない父なんだけど、外では違うのかしら?」
「自分はあそこに入った事はありませんので、それに関してはなんとも」
時雨はそれを聞いて誤魔化すように笑う。
よく考えれば、関係者以外は入れない職場にいる父を、少し前まで中学生だった後輩が知ってるはずがない。
それに気づいた時雨はちょっと顔を赤くして、まだ紹介が済んでないない男子生徒に「堂島先輩もどうぞ」と促す。
「俺は宗一と同じ三年、風紀委員長の堂島正芳だ。以上」
「――おい、正芳。さすがにそれは短すぎないか?」
「別に長々と交流するために呼んだわけじゃないだろ。さっさと話を進めろ」
「仕方ない奴だな。――たしかに明久が来ると面倒だ」
面倒くさがって――というより合理主義なのかも知れない。
最低限の自己紹介だけで済ませる正芳。そんな彼を宗一が「だが、愛想を振りまけとは言わんが、コミュニケーションぐらいは考えろ」と苦笑いで本題に入る。
「そういうわけで呼び出した理由だが……、大陸の魔法師が日本本土で暗躍してるのは知っているな?」
仁は肯定に頷く。昨日、公安の将人に会ったのは、その話を実家でされた帰り道だったからだ。
「昨日に当主から聞いてます」
「御剣当主殿は沖縄から帰還なさっているのか?」
「最悪の事態を想定して備えるそうです」
日本で4人しか知られてしかいない禁忌等級の一人、御剣東は大陸に不審な動きがあるとの事で沖縄に駐留していた。
しかし本土の方で動きがあり、土御門の占術師からも「しばらく大きな動きはありません、あっても小競り合いぐらいです」との知らせもあって極秘に帰って来たのだ。
「御剣もその可能性を考慮しているか」
「ええ、そうなったら躊躇なく斬ると言われています」
「……そうか」
宗一は複雑な思いで東の変化を感じる。少なくとも宗一の知る剣聖は、息子を斬ると言う男ではなかった。
「入学早々悪いが、御剣と安部にも学校側に協力してもらえると考えていいか」
「構いません。奴らの目的に俺らも含まれてるでしょうし」
「うちも問題ありません。あんなんがこの都市に徘徊してるのも嫌な話ですよって」
宗一が仁と春奈を戦力としてカウントしてもいいのかと確認する。襲撃のあった仁は当然、春奈も協力の意思を伝える。
「宗一君。結局の所、何が起こってるの?」
「そうだ、御剣も来たんだ。情報の共有を先にやってくれ」
「ああ、悪い。それを先に話すべきだった」
御剣が来たら話すと説明を後回しにされていた時雨と正芳が、そろそろ話してほしいと宗一を急かす。
すっかりそれを忘れていた宗一は最近大陸で起こってる異変を口にする。
「北中華連邦が保有し、禁止条約にも指定されている魔術『僵尸』だ」