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昨日、大暴れした仁はリビングのソファーで横になっていた。
「あーだるい、体が動かねえ」
体を動かすのも億劫で、情けない声を出して近くの春奈を困らせる。仁の横には朱雀や白虎と同じ式神――玄武が僅かな隙間に入り込んで寝てるのは見慣れた風景だ。
春奈にも負けない玄武の絹糸のように艶のある黒髪が肌に触れてはこそばゆく感じるが、仁に場所を移す気力がない。
「調子に乗って動き回るからやん。あそこまで大判振舞いの大立ち回りせんでも良かったやろ?」
代償異能は異能を使うほど悪化するが、異能を使わなければ時間経過と共に緩和される。空間を切り裂く程の異能を乱発した仁は、水の中に居るかのようなもどかしさが体を覆っていた。
翌日の昼前だと言うのに、日常生活を送るのもままならないほどの後遺症が仁を悩ましている。
「――目先の報酬に欲張ったんだよ。タダ働きの面倒事は御免だが、報酬が出るならやる気も多少は出るさ」
「護衛対象の女の人が美人さんやったからじゃないの?」
仁も経験の浅い若者である、少しやり過ぎたとは自分でも思っている。ただしその理由は護衛対象が美人だったから――のは関係ない。
春奈の式神から見ていた彼女の必死な形相で逃げる姿は美人も台無しだったからだ。
「いや……、あの顔は百年の恋でも醒めるだろ」
「あははは、そんなこと言ってあげなや。本当は朱雀か白虎で積極的に守ってあげるつもりやったのに。『ぎりぎりまで手出すな』って仁くんが言ったんやろ。ダブルスキルちゃんもかわいそうに」
相手が弱すぎるのも考え物である。予定していたポイントへたどり着く前に追手が撒かれると、悪い大人達が大変に――困る。
なので護衛対象には最低限の支援だけして、死に物狂いで逃げてもらったのだ。
「こんだけ協力してやったんやから、公安と内閣には大きな恩が売れたやろうな」
当然のことながら、式神で支援をした春奈も報酬を受け取る権利はある。彼女はどんな報酬を受け取るか皮算用で欲に満ちた目のまま、手元の魔紙にマナを流していく。おかげで生徒会から頼まれた式神の触媒作りをしている手も軽やかだ。
ここで仁がさらなる対価の上方修正を入れれば、彼女の笑みはさらに深まる事だろう。窓口である旭と交渉している祥子には悪いと思いながら、仁は春奈に世界情勢の授業を始める。
「それだけじゃねえだろ。これでステイツが日米の同盟を見直すことはなくなった。経済、外交、軍事、どれを取っても昨日の戦闘は大きな影響を与えることになる」
「外交と軍事は知ってたけど、経済も?」
きょとんとした顔で、名家の才女もそれは思いもしなかったらしい。彼女も魔法の名家としての基本情報である国際的な魔法師事情は叩き込まれている。
ただ外交や軍事における魔法師の立ち位置はわかっても、経済の関係性まで頭が回っていなかった。
「ステイツが日本の魔法戦力を再確認して恐れるのは、インドと手を組むことだ。インドも軍事力では劣るが、経済的にはステイツに多少劣る程度の巨大なマーケットには違いない。日本からしてみればインドでもステイツでも、どっちでも良いんだ――同盟相手はな」
中国が分裂後、人口一位を誇る国家となったインド。第二次世界大戦以降の中国から正しく学んだ歴史は、かの国を先進国同等の国力を持つ道の参考となった。
難しい話を始めた仁の横で、丸まったままの玄武が収まりの悪さに体を動かす。
「んー……、せまい。もう少し場所、開けて」
邪魔な玄武に仁は惰眠を諦め、座りなおして春奈の手伝いをすることにした。体を動かすのは難しくても、念動術を使うくらいはできる。
「黒は別の場所で寝る気はないのか?」
「ここは、ぼくの指定席。誰にも譲らない、びゃっくん(白虎)にもすーくん(朱雀)に、も――」
よほどこの低反発ソファーを気に入ってるらしい。寝る場所を気にしない玄武が強い執着を見せて、そのまま眠りに落ちていく。
主ではないとしても、それに近い存在が疲労していてもお構いない玄武。やっぱりこいつも朱と白の同類だなと思い直し、仁は念動で式神の型紙を幾つか一つにまとめては保存用ケースに収納していく。
春奈はマイペースな玄武を仁がそこまで迷惑に思っていない事を知っている。なので、すやすや眠る式神の頭を軽く一撫でしてから話を続ける。
「それで……なんやっけ。ああ、ステイツとしては南中華がインドと日本に挟まれて動き難くなりはるって話やね」
「――まあ、今回のはステイツの上層部が反日派閥を攻撃するための口実作りだった――ってところだろ」
「随分、情報通になりはって」
しみじみとした声で「成長したんやねえ」なんて春奈が演技臭く褒める。彼女も仁と同じ家に暮らしているのだから、この知識が元々誰のモノかを知らないはずがない。
「それは私が教えた内容も多分にありますよ」
にやにやしている春奈の顔面に式神を叩きつけて、仁は声の主を見た。
「おかえりー、散らかってるけど気にしないでね」
春奈の目の前には、加工用のレーザーで切断された紙の触媒が山となって積み重なっている。最後の仕上げに彼女はそれらに一つ一つマナが込められた墨で一筆入れていく作業をしていたのだ。
あとはこれに起動ワードに設定された魔術文字をマナと共に入力すれば、式神として発動することができる。
「はははっ、おかえりなさい。そりゃあ情報収集も祥子さんの仕事の一つですからね。でも、この話の大元は御調でしょ?」
外から帰って来たのは旭とカフェで話し合いをしていた祥子だ。その顔は根っからの真面目が張り付いており、話し合いがどうなったか窺い知れない。
「当たり前です。私の異能が諜報向きと言っても、お二人の面倒を見るのが今の仕事ですので。自分で調べる時間はありません」
「もちろん、いつも感謝してますよ。――それに情報屋は本職のあちらに任せとけばいいです。餅は餅屋ってね」
「仁様、私も一応そっち系統の一族ですが?」
黒木祥子の家名は偽りだ。彼女が偽名を名乗っているのは裏の世界で有名になり過ぎたからだった。
大昔、妖怪と呼ばれた異能者達を取り込んでできた御三家の分家でも、彼女の一族の異能は一目置かれる存在である。
「あの家は身辺警護と防諜がメインに移ったんちゃうの? 最近は魔法対策が行き渡って魔法頼りな諜報も、リスクとリターンが釣り合わないって」
「ええ、兄もよく愚痴を言っております。『最近は潜り込める場所が少なくて大変だ』――と。前からそうでしたが、今は御調家も電子の情報戦を主戦場としてますからね」
本気になった御調の主力クラスなら、仁の家の厳重な端末に遠隔でアクセスできるはず。ただ異能を使った諜報は仁に気付かれるリスクが高く、敵対してまで彼らが調査しに来ることはないだろう。
「祥子さん、祥子さん。それで――、報酬はどうなりました?」
「そうでした。仁様の方は金銭等は必要ないと仰ってましたので、予定通り各組織に貸しイチ――ということになりました」
祥子が仁から先に伝えたのは御剣に仕えてる立場にあるからであり、尋ねた春奈を後にしたのは彼女の性格を表している。
「へえ――、よほど助かったわけですか。事前に話した条件は結構難しいと話してたのに」
「ステイツがこの機に乗じて、内部の掃除を行う切っ掛けになったのが大きかったようです」
要求の先延ばしが認められたのは素直に喜ばしい事だ、これで各所からの取引を一度は回避できるはず。そう仁も春奈とあまり変わらない悪い顔をして、僅かな平穏に胸を高鳴らせる。
「時代遅れな老人の排除と無駄に大きくなった組織のスリム化……であってますか?」
仁の推測に祥子が僅かに表情を変えて、「その通りです」と肯定する。さらに続けてもう一つの理由を話そうとする前に、待ち切れない春奈が話に割り込む。
「あと日米で新たな親日、親米の家を――」
「ねえ、ねえ、祥子さん。――うちは?」
彼女の期待と希望と若干の欲望に満ちた目は、祥子との距離をほぼゼロにまで詰め寄った。祥子は仁がその話はあとでいいと頷くのを見て、春奈の報酬について話す。
「春奈様の報酬は秋山さんの研究室の予算を増やしてもらう事に」
「ふふーん、これで先生の所で新しい魔法具が作れる!」
「大陸の魔法師の件が解決するまで控えろよ?」
「わかってるってえ。うちも開発に没頭してて協力を忘れるなんて……ありえるかも?」
昨日の買い物からアイディアが溢れて仕方ないらしく、春奈はやる気に滾っている。彼女は作るとは言っているが、実際に何か魔法工学のツールを作った事は無い。
仁と自身のWSDを設計する上で、秋山に陰陽術のアドバイザーをしつつ逆に魔法工学について学んでいた。そんな春奈は初めて作る作品を決めたのか、夜に自分の部屋にある端末で秋山と二人で長々と話し合いをしている。
「それもそうだが、単独行動するなよ?」
「はーい、研究所に行くときは祥子さんに付き添いお願いしてええ?」
「了解しました。影ながらお手伝いさせていただきます」
秋山さんのやる気次第じゃ、夏頃には試作品ができるんじゃないか。
仁は春奈が年内には何かやらかすのではないかと、期待と不安が半々ずつ混ざりあうのを感じた。




