10
「ふむ――、私の占術は外されましたか。さすがは千年続く陰陽一族、土御門の占術を上回る事はできませんでしたか。待ち構えていたのが御剣となると、南の御剣は賀茂の幻か、はたまたあの少年か」
男は切断の後が残る腕に手を置く。
彼が居るのは魔法関連の流通に関わる、北欧系企業が所有するオフィスビルの一角。
休日であるはずの土曜の夜、事務所のデスクに置かれた紙の盤を糸目が覗き込んでいた。
盤を覗く男は中華系とロシア人のハーフで整った顔つきをしている。後ろでまとめた長い黒に近い茶髪が特徴だ。
「コストに優れる我らの奇門遁甲で、陰陽の占星術と同じ土俵に乗るのが間違いだというのに、本国には困ったモノです。占術といっても万能な未来予知ではありませんよ?」
同じ占術であって、中華系の奇門遁甲と陰陽の占星術では使用目的は異なる。世界の大きな流れを知覚して未来を導き出す占星術に対して、奇門遁甲は戦争で勝つ為の呪術だ。
得意とする分野、必要な代償は大きく異なる。
「ですがこちらが劣っていると、陰陽師に勘違いされてもおもしろくない。災いを予知するのが目的の陰陽術と戦場で育った呪術では、戦い方が違うのですよ」
不敵な笑みを浮かべてる男は、しばらく身を隠す段取りを考える。二つの魔眼を持つ女、マリア=ミラーの拉致または殺害は失敗。それを指示した、この男は南中華と米国人のハーフと偽ってココ(北欧系企業)に潜んでいたが、次の潜伏場所に移ることにした。
「さて、次はどこに……。中華料理店でアルバイトでもしてみるのも一興ですか。まあ、そんな暇があればですが」
三十路前の糸目の男は楽し気に次の隠れ場所を決めると、椅子から立ち上がる。
中華系の占術――奇門遁甲の計算に使った式盤を小さく畳み上着のポケットに突っ込み、泳がされた道具に会うため事務所を後にする。
「おかえりなさい、沢木君」
「……すんま――せん、桃さん。失敗……しました」
照明の灯っていない薄暗く不気味なビルの受付で、桃さんと呼ばれた男――桃城春樹が沢木を両手を広げて出迎える。
仁に虐殺された魔術師モドキの唯一の生き残り、沢木が桃城の元へ逃げてきた。その顔は恐怖か疲労かわからない汗でぐっしょりと濡れて、体の震えは止まらない。
そんな半狂乱の沢木は彼の目が氷のように冷たい事にも気付かず、震える口で謝罪の言葉を捻りだす。
「いやいや、問題ありませんよ。『最初か|ら《・失敗するのはわかってましたから」
「……えっ、――『最初から』?」
桃城という男は禍々しい笑みで、沢木を絶望へ突き落とすのに一言を言い放つ。
「こちらこそ、申し訳ありません。あなた達には日本側の戦力を計るための捨て石になっていただきました」
それで沢木は男の本質を理解した。
仁の言う通り魔術適性が低く、国立の魔法科学校に入れる水準を満たさなかった魔術師モドキ達。それを理由に不良をしていた自分達を拾い上げて、魔術師として導いてくれた相手が只の外道であったことを。
「知っててあいつらを見殺しに――!」
桃城の空虚な目には何も映っていない。
――弟分としての愛着も、――同じ魔術師としての慈悲も、――人間としての興味も。
何一つとして存在していない。
「いけませんよ? 敵国である中華人相手に疑いもしないなんて。――戦争とは非情なモノです、おバカさんは簡単に使い捨ての道具になりますよ」
「桃城っ……おま――へっ?」
沢木は裏切った男に掴みかかろうとした。その手が届く前に、冷たいナイフが沢木の心臓に突き立てられていた。
「いい勉強になったでしょう? 次(来世)は是非とも参考になさってください」
「……ちく、しょうがああ……」
市販のナイフを突き刺したまま、桃城は手に嵌めていた白い手袋を脱ぎポケットの式盤と一緒に焼却処分する。
「沢木君には本当に申し訳ないですが、時間がないのですよ。御調と公安に追いつかれる前に逃げる必要があるもので」
沢木のわずかに動いていた脈動も徐々にゆっくりとなり、このまま息絶えると悟った桃城はつまらなそうに彼から視線を外す。
「気合が足りませんね。せめてもの慈悲で僵尸にはしないでおきますか」
過去に魔術師が死に瀕した際、本能で異能に覚醒する事例は何件も記録されている。それを生で見れるのではないか――桃城の宝くじに当たる確率より小さい興味も完全に捨て去り、彼は堂々とエントランスの自動ドアに向かって歩き出す。
「アレを素体にしなかったのは、する意味がなかったからだろ」
その一部始終を見ていた、桃城とは別の男が中国語で話しかける。
「ははは、聞いていましたか。別にそんなことありませんよ。――迎えに来てもらってすみませんね」
外には一匹の熊のように屈強な男が待機しており、ビルの前に一台の車も停まっていた。
「上からの命令だからな。――で、張李よ、どこに潜伏するつもりだ」
「まだ言いませんよ。この場も見られてるのに、次の潜伏場所を公言する馬鹿ではないです」
桃城春樹を本名である張李と呼ぶ男は旧知の仲のようで、張李は「それから、ここでその名を出すのは止めなさい」と離れた影を一瞥する。
外に出た張李は沢木の血生臭い匂いを追い出すために大きく息を吸う。
張李が一つ呼吸する度、外していた仮面が元に戻っていく。完全に仮面を被りなおした彼の顔は、不気味な道化師からどこにでもいそうな一般人へと変わっていた。
「それにしても嫌になりますね。騙し騙され、戦争は本当に面倒です。――まあ、魔法師は世界を相手にした詐欺師ですから、性には合ってますか」
嫌だ嫌だ――、そう口にする李の目が僅かに開く。その目には楽しくて楽しくて仕方ないという狂気が隠しきれていない。
「それで、どの方角に撤退するのだ?」
「少々お待ちを、『奇門遁甲 戦式』――起動。生門と休門のどちらが宜しいですか?」
張李が北中華製の偽装WSDを起動させて魔術を展開する。彼の周囲には先ほどの式盤と同じ、模様のような文字が地面に浮かび上がり薄暗い闇を照らす。
「戦いの日まで猶予はある。休門でいいのでは?」
「……なるほど。ああ、熊公殿、狙われていますよ。――南南東、三キロ先のビル屋上」
南東の南寄りに浮かぶ『傷門』を見て、張李は熊公殿と呼ぶ男に警告を飛ばした。
「わかっている。『発勁 硬気功』、――届かぬわ」
グローブ一体型WSDの魔術回路がマナで発光するのと同時に、一発の弾丸が飛来する。
三キロ先から放たれた、金属の銃弾が張李の頭部に吸い付く様に直撃コースを進む。それを熊公――劉浩然が手を置いて、金属同士が衝突する音と共に弾き飛ばした。
弾かれた弾丸は遅れてきた射撃音と、コンクリートに弾痕だけを残して止まってしまう。
その後に続く三発の弾丸も不動で防く劉浩然はまるで重戦車のような威圧感がある。彼は狙撃の隙をついて、張李の服を掴んで車まで乱暴に引っ張る。
「素晴らしい操気術ですね」
自分を守る為に前に立った劉浩然を褒めることも忘れない。それは純粋な称賛であったが彼の日頃の行いのせいか、劉浩然は鼻で笑う。
「ふん、世辞は必要ない。さっさと引き上げるぞ」
劉浩然が使った魔術は操気術。仙人や道士が使う古い魔術の一種で、人の生命力――気を操る事に特化した魔術である。
肉体の活性化や強化を得意とする操気術なのだが、狙撃銃の弾丸を無傷で弾くのはこの男――赤熊公の異名を持つこの魔法師ぐらいだろう。
彼もまた張李と同じく、北中華連邦に属する軍人魔法師であった。
「車の運転は頼む」
護衛である自分は助手席の扉を開け、劉浩然は張李を運転席に座らせる。目的地は張李しか知らないのでそれも当然の役割だと言えた。
「ええ、それくらいはさせてもらいますとも。私は戦闘力に乏しいですし」
「戦闘力が無い……か。詐欺師の言葉では信用できんな」
「くっくっくっ、魔法師として受け止めておきましょう」
対人用の狙撃銃を射撃体勢のまま構える旭は、走り去っていく車をただただ見送るしかなかった。
「だからAWRを使わせろって言ったのよ」
泳がした囮と合流した日本人ではない男、奴は黒と判明した。
不審な男を憲兵隊に所属する異能持ちの一人、影宮慶太を潜入させてそれがわかった。
「街中で貫通力の高いAWRの使用許可が出るはずないだろ」
「だからって、それで逃がしたら意味ないじゃない」
旭の無理難題を司令官である公安の魔法師対策室室長が諫める。AWRは魔術的な防御を貫通させる性能に特化した、別名『魔法師殺し』とも呼ばれる狙撃銃だ。
目標の乗った車はおそらくエレメンツと同じ魔術的な防御が施された改造車。旭達が持つ対人用の弾丸ではその守りを突破することは難しい。
スコープのカメラから張李の運転する車を追いかけるが、途中で霞のように消えていく。
「はあ……、影宮! 追跡はできてる?」
完全に見失った旭は狙撃用スコープと義眼のリンクを切り、狙撃銃を近くの壁に立て掛ける。
彼女は機械化兵と呼ばれる、片腕片目を機械化した強化人間である。体に埋め込まれた機械とリンクさせることで、複雑な機構を持つギミックデバイスの使用を可能としている。
「無理です。目標はこちらの動きを読んで、すでに逃走経路を用意してますよ」
「やっぱり大陸の道士が関わってたわね。遁甲術の準備時間を与えた時点で、始末するのは困難だったと考えましょう」
通信機のインカムで話しかけた相手は張李の近くで監視していた慶太だ。
慶太は近くに待機する他の隊員と共に張李らを強襲するはずだったが、潜伏場所で待機したまま外に出ることはなかった。張李に居場所が割れ、劉浩然と正面から戦うリスクに中止せざるおえなかったからである。
「捕縛ではなく始末なのは何故でしょう」
憲兵隊も初めは情報を得るために関係者は捕縛する方向で動いていた。けれど目標のデータを上にあげた瞬間、捕縛よりも始末を優先するよう命令が下った。
「悪いがそれは私も知らされていない。国家の安全上の理由とだけだ」
「室長でも……、ですか」
強襲隊を率いる隊長も慶太と同じ疑問を抱えていたが、任務遂行を優先する人間なので聞くことはしなかった。だが信用する室長すら知らないとなれば話は別だ。
室長の性格上、知っていても話せない内容なら言えないと明かす。ここまではっきり否定するならば、本当に聞かされていないのだと対策室の人間は理解した。
「身内の不祥事じゃないわよね?」
「旭は禁忌等級以上が関わる不祥事ではない事を祈っておけ。しかし――、魔法省、国防省、両省からの要請なら魔法師絡みである事には違いないな」
「隊長、自分達はどうすればいいでしょうか」
ずっと待機状態だった慶太は命令が来るまで暗く閉塞感のある空間から動けない。そろそろ新鮮な空気が吸いたくなり、隊長の許可を願った。
「すまない。敵対工作員の始末は失敗、以降は御調が追跡調査する。三島隊長、撤退の指揮は頼む」
御調が仕事を引き継ぐと聞いて旭が「もう『神出鬼没』に全部任せていいんじゃない?」と口を尖らせる。
「いい歳した女が拗ねるな。――各員、作戦は終了。隠蔽班を残して速やかに撤退せよ」
三島の命令を聞いた慶太は建物の『影』から飛び出し、緊張で固まった体に新鮮な空気を取り込んでいる。
公安の本部では部下たちが撤退を始めるのを見届けて、白髪と皺の目立つ男がモニター室から出ていく。
「中華の赤熊が守る魔法師か。今回は引き分けだが、良いように暗躍できると思うなよ」
室長が魔法対策室の作戦室から出てすぐ漏れ出た、苛立ち気混じりな呟きは誰もいない廊下に消えていった。




