ヤバい病院 (4)
『医者に騙されている』
が、
まさか、
父の最後の言葉になるとは、
私も、
思っていなかった。
それを聞いたのが、
水曜日で、
金曜日に、
母を連れて、
お見舞いに行った。
病室に入ったら、
父は、
寝ていた。
母は、
必死に、
父を起こそうとしたが、
私が、
母を連れて、
帰ってしまった。
その時、
母は、
車椅子で、
私に運ばれていたので。
何故か?
この時の母は、
父を起こすのに、
こだわっていた。
母は、
父と会話出来ないのに。
父の喉には、
管が通されていて、
何を言っているのか?
私以外の人間は、
理解出来ない。
母は怒っていたが、
「日曜に、
また連れて来るから」
と言って、
帰ってしまった。
これは、
後に、
母に、
散々に、文句を言われた。
母と父の約六十年は、
こんな終わり方だった。
母と父の出会いが、
『○電の恋』
と、
当時の電車の乗客に呼ばれた
有名な
ラブロマンスだった事は、
去年、
従兄弟に聞いた。
そして、
その日曜の朝、
私は、
妻のマンションに居た。
八時頃だった。
携帯に電話が来て。
「危篤なので、
すぐに来てください」
と女の看護師に言われて、
「今から出ても、
早くて三十分は、
かかります」
と答えたら、
キレられてしまった。
そこまでして、
早く来い!
と、
言われて、
N病院に到着すると。
談話室に通された。
そこで、
何故か?
待たされた。
私と妻、
二人で待機していると。
看護師が来て、
私だけが、
処置室に通された。
そこでの光景を見て、
何故?
私が呼ばれたのか?
理解した。
そこでは、
若い男の医師が、
力任せに、
人工呼吸を行っていた。
人工呼吸は、
胸骨だけを押さないと、
肋骨が折れ、
肺に刺さってしまう。
たぶん、
父の肋骨は、
バキバキに、
折れていたのだと思う。
その若い男の医者の
キツい肉体労働を見て。
彼等の望む通り、
私は答えた。
「ありがとうございました。
延命治療を、
お止めください。
父も、
喜んでいると思います」
その部屋に居る人達全員から、
安堵の溜息が、
漏れた。
要は、
医師の判断で延命治療を止めてしまうと、
責任問題になる可能性が有るので、
私に、
全責任を、
負ってほしかっただけのようだ。
たぶん、
私達が、
N病院に到着してから、
人工呼吸を、
始めたのだと思う。
私は、
談話室に戻り、
妻に、
父の死亡を伝え、
公衆電話で、
母に。
母は、
「昨日、
お父さんが、
家に帰って来たよ。
一階に行ったら、
庭を眺めていた」
と言った。
母に、
姉の電話番号を聞いて、
かけると、
姉は、
「昨日、
お父さんが来たよ」
と、
母と、
全く同じ事を言った。
父の命日は、
N病院が出した書類では、
五月十九日になっているが、
本当は、
五月十八日なのかも、
知れない。
私は、
談話室で、
途方に暮れていた。
父の退院の事しか、
頭に無かったので、
葬式の準備を、
全く、
して来なかった。
それに、
姉に、
甘えていた。
姉が、
寺に嫁いだので。
姉夫婦に、
丸投げするつもりでいた。
実は、
父が入院した時、
姉を呼んだ。
その姉は、
『戒名』を、
持って来た。
父と母の。
母は、
戒名が出来てから、
もう、
六年も、
生きている。
その時、
姉は、
一週間滞在する予定だったが、
たった三日で、
帰って行った。
たぶん、
その頃に、
初孫が、
生まれたのだと思う。