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天風の剣  作者: 吉岡果音
第八章 魔導師たちの国
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第96話 夜光花

 こうこうと、月の光が下界を照らす。塔は、巨大な白いキャンドルのように闇の中そびえ立つ。

 キアランは、皆を起こさぬよう、そっとベッドを抜け出す。

 あさって出発かと思うとなんだか落ち着かず、眠れなかった。


「どこに行くの? キアラン」


 振り返ると、花紺青(はなこんじょう)が立っていた。


花紺青(はなこんじょう)――。なんでもない。大丈夫だから、お前は休め」


 キアランは笑みを浮かべ、眠るよう勧める。


「僕はキアランの従者だ。ご一緒する」


 なぜかそこで、えへん、と胸を張り、キアランと並んで歩く。凄腕の護衛官のつもりらしい。

 塔の庭に、噴水があった。周りには、夜に青白く発光する不思議な花々が植えられていた。ひとつひとつは小さな花弁だったけれど、濃厚な甘い香りがした。

 キアランと花紺青(はなこんじょう)は、噴水のふちに腰かける。


「キアランさん。花紺青(はなこんじょう)君」


 声をかけられ、ふたりはそちらのほうを見る。

 長く波打つ豊かな髪の――。


 まるで、月の女神みたいだ――。


 美しさに、息をのむ。キアランの中で、一瞬時が止まっていた。


「アマリアさん――!」


 アマリアだった。


「こんな夜更けに、アマリアさん一人で……?」


 キアランは、驚き尋ねる。


「なんだか、眠れなくて。ちょっと廊下に出ていたら、キアランさんたちの姿が見えたから――」


 アマリアは、夜風に揺れる自分の髪をひとふさ耳にかけるようにし、ちょっと恥じらいつつ笑う。

 アマリアは、ちょこん、とキアランの隣に座った。

 青白く、光る花が足元を照らす。

 キアランは、アマリアの横顔を見ようとしなかった。胸の鼓動が、それを阻んだのだ。アマリアも、ただ足元の神秘的な青白い光を瞳に映しているだけで、言葉を紡ごうとしなかった。

 濃密な香りに、時間が閉じ込められているようだった。魔法のようなひとときを現実に戻したのは、花紺青(はなこんじょう)だった。


「……塔のおっちゃんに、防寒具をめっちゃ勧められたけど、そんなに寒いとこなのかなー」


 花紺青(はなこんじょう)はそう呟き、頭の後ろで手を組み、腰かけた足をぶらぶらさせた。


「寒いところは苦手か?」


 キアランが尋ねる。


「うん。ちょっと嫌かな。僕らの故郷は、結構あたたかいとこだったよ」


常盤(ときわ)と過ごした、生まれ故郷か」


「うん。ゴールデンベリル様たちと過ごしたとこも同じだよ。僕と常盤(ときわ)が生まれたところは、ゴールデンベリル様の領域内だったから」


「あたたかいところだったのか――」


 キアランは、空を見上げた。足元の花よりたくさんの光が、空にはあった。広い、広い空。キアランは、花紺青(はなこんじょう)常盤(ときわ)、それから自分の父や母の過ごした土地に思いを馳せた。父や母も、見上げていただろう広い空――。


花紺青(はなこんじょう)。ずっと気になっていたことがあるんだが――」


「なあに?」


 キアランには、密かに気になっていることがあった。眠れないのは、そのせいもあった。

 花紺青(はなこんじょう)とアマリアは、キアランの質問の言葉の続きを待っていてくれていた。


「『空の窓』が開くとき、私が天風の剣を掲げ、『空の窓』を永遠に閉ざせ、とのことだったが――。もし、私の命がその前に潰えたとき、その場合は『空の窓』を閉ざすことはできなくなる、そういうことなのだろうか? 私以外に、閉ざせる者はいないのだろうか……? だとしたら、世界はこの先もずっと――」


「キアラン……!」


 アマリアと花紺青(はなこんじょう)が、同時に叫んでいた。


「もしも、の場合だ」


「もしもだなんて……!」


 そんなこと絶対に考えたくない、ふたりの目はそう訴えていた。


花紺青(はなこんじょう)。今、アステールに、尋ねてみてくれないか……? 前もって皆も知っておいたほうがいい」


 花紺青(はなこんじょう)とアマリアは、顔を見合わせた。花紺青(はなこんじょう)が、ゆっくりとうなずく。

 そして、キアランの腰に差してある天風の剣に手を伸ばす。花紺青は天風の剣を手に取り、自分の顔に近付け、青白く光る剣身に向かって囁くようにした。


「……『四天王と、人間が心を一つに合わせ、天高く私を掲げる。そうすれば、私を鍵として空の窓を閉ざすことができるでしょう』、そうアステールが言ってる」


花紺青(はなこんじょう)! ほんとうか……!」


 キアランは花紺青(はなこんじょう)のほうへ向き直る。


「うん。アステールは、こうも言ってる。『私の鍵としての働きを成功させるには、私を作ったキアランのご両親とカナフさん、それ以外の四天王と人間の心と力が必要でした。でも、四天王と人間が心を通い合わせる、それはキアランのご両親以外例のない非常に稀有なこと。だから、ふたつの血が流れるキアランしかその役目は果たせない、そう思っていました。しかし、キアランの旅が、四天王たちとの出会いが、四天王と人間が協力し合うことが可能である、そう私に教えてくれたのです』、だって」


「そうか……。それなら――、よかった……!」


 キアランは深く安堵のため息をもらし、そして笑顔を浮かべた。


花紺青(はなこんじょう)、アマリアさん。もし、私になにかあったら――。そのときは、シトリンに託したい。きっと、四聖(よんせい)を大切に思う彼女なら、なんとか協力してくれるはず――。人間とシトリンの連携が、うまくいくよう、そのときは頼みます」


 夜風が青白い花を揺らす。さざ波のように見えた。


「そんなお願いしないで! 僕らが、キアランを守るんだ!」


 花紺青(はなこんじょう)が立ち上がり、叫ぶ。


「僕ら……?」


 キアランは、思わずきょとんとしてしまった。四聖(よんせい)ではない自分が、第一線で戦う運命の自分が、守られるなんて――。


「そーだよね? アマリアおねーさん!」


「は、花紺青(はなこんじょう)君……!」


 花紺青(はなこんじょう)は、天風の剣をキアランに返し、ウインクした。


「キアランは、余計なこと考えないで! きっと、うまくいくから」


 そして、ぴょん、と大きく跳ねた。


「ふあーっ。僕、なんだか眠くなってきちゃった。アマリアさんが来てくれたから、キアランの護衛はアマリアさんにお願いしよーっ、と!」


「花紺青……!?」

 

 花紺青(はなこんじょう)は、あっさりと凄腕の護衛官の役割を返上し、二人に向かって手を振ると塔の中へ戻って行ってしまった。


 花紺青(はなこんじょう)……。も、もしかして……。


 二人きりにしてあげよう、花紺青(はなこんじょう)の意図は、鈍感なキアランにもはっきりと伝わっていた。

 

 こ、こんな綺麗な月の夜に、二人きり――。


 月明かり、美しい花、優しい夜風――。男女の心を近付けるようなお膳立てだけが、完璧に揃っていた。


 なにか、気の利いたことを言わねば――!


 キアランの鼓動は早くなり、急いで会話の糸口を探そうとした。しかし、そう思えば思うほど、なにも浮かばず、口の中に舌が張り付いたようになり、気ばかりが焦る。


「……キアランさんは、そんなことを考えていたのですね」


「えっ」


 キアランはどきりとした。大急ぎで、柄にもなくアマリアの気の引くような、なにかいいことを言おうとしているのが、ばれたのかと思った。


「先に自分が命を散らしてしまうかもしれないなんて悲しいことを、そして、その後の皆のことを、一人で考えていたのですね――」


 琥珀色の瞳が、まっすぐキアランを見つめていた。


「アマリアさん――」


 柔らかな、ぬくもり。

 アマリアが、キアランを抱きしめていた。


「アマリア……」


「そんなこと、考えないで……! そんなこと、私、考えたくない……!」


 アマリアは、小さく震えていた。キアランの胸に顔をうずめたまま――。

 アマリアも、不安なのだと思った。不安で、怖くて仕方がないのだ、と。


 私のことを失いたくない、そう思ってくれているだけじゃない――。強く見えて、アマリアさんもずっと不安の中戦ってきたのだ――。


 アマリアの不安を、溶かしてあげたいと思った。

 気の利いた言葉は、必要なかった。

 キアランはアマリアの背に手を回し、抱きしめた。


「キアランさん……。私……」


 潤んだ瞳が、キアランを見上げる。


「アマリアさん。大丈夫。共に、生き抜こう。絶対に、生き続けよう」


 さざ波のような、光る花。

 キアランはアマリアの唇に、唇を重ねた。深い海の泡の中の、あのときのように。今度は、キアランのほうから。

 今、二人を遮るものは、なにもなかった。




 月に、黒い影がよぎる。

 それは、四枚の翼を有するもの。


「すっかり遅くなっちゃったー。(みどり)と蒼井、心配してるかなー」


 シトリンだった。


「おじちゃん、焼き菓子以外にもおいしいものや面白いもの、いっぱい出してくるし、色々訊いてくるんだもんー」


 ヴィーリヤミのおじちゃん。新しい、お友だち。


 シトリンの胸は弾んでいた。

 黒い雲が流れる。ふと、シトリンは飛ぶのをやめ、その場に停止する。


「キアランおにーちゃんとか、みんなのこといっぱい説明しちゃったけど……」


 話してよかったのかな、シトリンは小首をかしげる。

 あたたかいお茶やお菓子で、おなかはすっかり満たされていた。


「ま、いっかー!」


 シトリンは、んーっ、と両腕を伸ばす。


 きっと、みんなともいいお友だちになるよね?


 シトリンの瞳は、楽しいことを想像し、星空のように輝く。

 帰り際には、ヴィーリヤミのおじちゃんの髪を三つ編みにしてあげたし、とシトリンは、くすっ、と思い出し笑いをしていた。


 ヴィーリヤミおじちゃんの、あの困ったような顔ったら……!


 シトリンは、ヴィーリヤミの髪をご丁寧に二つに分け、三つ編みにしていた。


 そうだ。蒼井にもやってあげよう。


 そして、次の犠牲者は蒼井に確定した。

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