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天風の剣  作者: 吉岡果音
第八章 魔導師たちの国
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第90話 まだ若き王

 白の塔からそう遠く離れていない東の地に、王の居城があった。


「国王陛下。具申いたします」


 重臣ケネトの声が広間に響く。

 王の御前にひれ伏す三人。ケネトと僧衣の男、そしてヴィーリヤミだった。

 ケネトが言葉を続ける。


「魔導師オリヴィア様について、それから四聖(よんせい)の今後の処遇についてご報告とご提案を申し上げたく存じます」


 王は、ケネトの口からオリヴィアについての報告と聞き、ほんの少し怪訝そうな表情を見せた。


「オリヴィアは、白の塔へ『四聖(よんせい)を守護する者たち』を送り届けてから、城へ戻るとのことだったが……?」


「オリヴィア様のお手紙に隠された、ある重大な情報が判明したのです」


「オリヴィアの、あの手紙に……?」


 王は、まだ年若かった。

 王は、先月に二十五歳の誕生日を迎えていた。空の窓が開く現象が近くなってはいたが、国民の不安を払しょくするようにと、あえて国をあげての盛大な祝賀会が催された。

 王の父は、重い病に倒れ、王位を譲ると間もなく亡くなっていた。母は、もっと早くに亡くなっていた。

 王はまさか、自分の代で「空の窓が開く」ことになるとは思っていなかった。

 父王の統治を引き継ぐのが精一杯で、どうやってこの難局を切り抜ければいいのか、その道筋すら見えていなかった。

 昔から多くの優秀な魔導師たちを輩出し、さらには四聖(よんせい)のユリアナが誕生したという特別な国として、どう世界をけん引し、どう守っていくべきなのか――、重すぎる問題が、常に若い王の頭を悩ませていた。


 魔導師オリヴィアが頼りだ。


 自分とそう歳の違わないオリヴィアに、王は全幅の信頼を寄せていた。それは父王も、オリヴィアに信頼と期待を寄せていたためというのもあった。

 だからこそ、本来は国王を護るべき役職のオリヴィアに、王は自由な行動を容認していた。

 王は玉座から、謁見を申し出た三人を見下ろす。

 

 重臣ケネト……。なにかと反対意見を持ち出す男だ。その生まれから高い役職についているようだが、父も重用していなかった。僧衣の男、名前は、ええと、なんという名の者だったか……。それから――。


 王は、ヴィーリヤミに視線を留める。


 ヴィーリヤミ。能力は高いが――。


 王はすぐに目を逸らした。背筋に冷たいものが走った、そんな気がした。

 そういえば、と王は思い出す。

 王位を継承される前、父王に一度だけ、ヴィーリヤミについて尋ねたことがあった。


『父上。どうしてあんな不気味な男を白の塔に?』


『バランスだよ』


 そう父王は説明していた。

 強い光のもとには強い影ができる。強い護りの白の塔の中には、ヴィーリヤミのような存在も必要なのだと父王は話していた。

 王は、父王の言葉がいまだによくわからない。ただそれは、歴代の王や魔導師たちにとって共通認識だったようで、ヴィーリヤミのような者――魔の者の力に近いような、不気味で特殊な能力を持つ魔導師――を常に配置しているようだった。

 今、目の前の三人は王の次の言葉を待っている。

 王は、見つめていると暗い闇に吸い込まれてしまうようなヴィーリヤミから無理やり意識を逸らし、今自分がすべきことを思い出す。


「……申してみよ」


 王は、慎重にケネトに命じた。


「はっ」


 ケネトは、端に座るヴィーリヤミのほうへ顔を向ける。


「ヴィーリヤミ。国王陛下に、そなたが見たことをお伝えせよ」


 ヴィーリヤミは、ゆっくりと顔を上げた。得体の知れない圧力を感じたのか、王は少したじろいでいた。


「恐れながら申し上げます。魔導師オリヴィア様の手紙を運んできた鳥に、私はただならぬ気配を感じたのでございます」


「鳥に……?」


「それで僭越ながら、お手紙を詳しく見させていただいた次第で――」


 ヴィーリヤミは、僧衣の男にちらりと目配せをしたが、王はそれに気付かない。


「すると、お手紙には書かれていない、国王陛下にご報告すべき重大な事案が、私の目にはっきりと見えたのでございます」


「先ほどからなんだ、その重大なことがらとは」


 王は、早く核心を述べない彼らに苛立ちを覚えていた。


 それは、それほど深刻なことなのだろうか――。


 王の心に、黒い雲のような疑念が渦巻き始める。

 国のために、一刻も早くご報告したいことがある、そうケネトは謁見を願い出ていた。

 

 私は魔導師オリヴィアを、全面的に信頼し、その進言を取り入れていた。しかし、家臣たちの中には、その姿勢を疑問視する者も少なくないというのはわかっている。重要な、恐ろしい転換期を控えた今、私の今までの姿勢は、果たして――。


 ヴィーリヤミの薄い唇が、鋭い裂け目のように吊り上がる――。


「現在のオリヴィア様は、なんと魔の者、さらには四天王まで従えているご様子です」

 

「なに……!?」


 予想を超えたヴィーリヤミの言葉に、王の目は見開かれた。


「それは……、本当か……!?」


「はい。間違いございません。国王陛下にお認め頂いた、私の能力に誓って」


 ケネトも、僧衣の男もヴィーリヤミの言葉にうなずき、改めて王に向かって首を垂れた。


「恐らく……。オリヴィア様としては、深く国を想ってのことなのでしょう。強い力を味方に引き入れ、危険から国を護ろうとしたのでございましょう。国王陛下に第一にご報告なさらなかったのも、国王陛下に穢れた力についてお話したくなかった、穢れを少しでも国王陛下の御身から遠ざけたかった、その一心からのことでしょう」


「オリヴィアが……、まさか……」


「私も……。オリヴィア様のお気持ちはわかります。そうまでしてでも、どんな手を使ってでも国を護りたい、それほど空の窓が開くという現象は危険なものなのでございます」


 ヴィーリヤミも頭を深く下げた。そして、言葉を続ける。


「しかし……。四天王の力とは、到底人間の力で制御しきれるものではございますまい。先日の、遠い他国を襲ったという巨大な四天王について、少し耳にしただけでも、その被害は深刻で甚大な恐ろしいものでございます」


 ヴィーリヤミは、四天王パールについて伝わってきた被害を、改めて王に突きつけた。

 ヴィーリヤミは、顔を上げた。その目には、鋭く怪しい光が宿る――。


「確かにオリヴィア様は偉大なお力の持ち主です。しかし、よかれと思って取ったオリヴィア様の行動が、我が国にとって脅威となる、そんなふうに私には思えて仕方ないのです」


 王は、自分で気付かずに、口元に手を当てていた。わずかに、その手は震えていた。


「恐れながら申し上げます」


 ケネトが、ヴィーリヤミの言葉に続ける。


「そもそも――、前々から申し上げておりますが……。私は、四聖(よんせい)全員を白の塔でお護りする、そのことに改めて異論を申し上げたい」


 ケネトは、王の顔色を窺うようにしつつ述べる。


四聖(よんせい)を集める、それはすなわち危険を呼び込む行為です。強い護りの白の塔があるとはいえ、我が国だけが、なぜそのような理不尽な負担を買って出る必要があるのか――」


 以前の王なら、ケネトの言葉に反発するところだった。もし四聖(よんせい)が我が国に集結することがあれば、国をあげて全力でお護りする、それが父王の方針だった。

 しかし、王の心は揺らいでいた。

 空の窓が開くときまで、あとわずかということもあった。伝え聞くパールの及ぼした被害についてのこともあった。


「国王陛下。今ならまだ間に合います」


 畳みかけるように、ケネトが進言する。


「このままでは、我が国が魔の者の戦場と化してしまいます」


 王の顔は、青ざめていた。


 私は、誰の意見を重用すべきなのか――。


「たとえ、よい方向に魔の者と四天王がオリヴィア様のために動いたとしても、彼らと他の四天王との衝突は熾烈を極めるはず――。それは、ケネト様の懸念されている通り、まさしく魔の者の戦場となるでしょう」


 ケネトの言葉に重ねるように、ヴィーリヤミの低い声が、王の耳を侵食する。


 魔の者の、戦場……。


 王は、動揺していた。深く信頼していたオリヴィアの手紙に、簡潔な報告しかなかったことが、より王の疑念を深めていた。

 ケネトが、王の動揺を見透かすようにして言葉を繋げる。


「オリヴィア様と四聖(よんせい)、そして四聖(よんせい)を守護する者で編成された新たな守護軍、彼らを隣国、もしくは少しでもこの国の中枢から離れた遠いところへ移す、そういったご英断を強くお勧めいたします――」


 ケネトに続けて揺さぶるようにさらに響く、ヴィーリヤミの声――。


「白の塔で本当にお護りすべき我が国にとって重要な、そして唯一無二の至高の存在は、四聖(よんせい)ではございません。それは、この国を導くことのできる国王陛下ただお一人、そうケネト様や私どもは考えているのです――!」


 先月の王の誕生祝賀祭のときの、こちらを見上げるたくさんの民衆の顔を王は思い出していた。

 皆、拍手で祝ってくれていた。

 無数に見える顔、一人一人の民には、すべて異なる人生があり、営みがある。

 信頼に満ちた、民の眼差し――。


 この国を護るのは、私なのだ――。


 王は、汗ばむ手のひらを握りしめた。

 オリヴィアの声や真摯な瞳は、今の王の心から遠いところにあった。

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