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天風の剣  作者: 吉岡果音
第八章 魔導師たちの国
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第87話 立ち上る、白い影

 町を見下ろす小高い丘。緑に包まれたその丘に、そびえ立つ純白の塔。明るい日の光を受けたその塔は、かすかに虹色に輝く。守りの力の強い、守護の石と呼ばれる岩石で創られた、特別な建造物だった。

 美しい装飾の大きな窓の前に立つ。窓には、上部にステンドグラスがはめ込まれている。


「キアラン……、大丈夫かなあ」


 窓枠に手をつき、大きな瞳いっぱいに青空を映しながら、ルーイが呟く。


「ええ……。きっと、大丈夫ですよ、ルーイ君――」


 ルーイの柔らかな金の髪を、ユリアナはそっと撫でた。

 ここは、魔法の力を重要視する特殊な国、エリアール国。そして、この塔はもともと、国を守る魔導師たちのために建てられた塔で、現在は四聖(よんせい)であるユリアナを守る拠点となっている。

 ルーイ、フレヤ、ニイロ、それからダン、ソフィアはエリアール国に到着しており、ユリアナと共に、この塔で過ごしていた。


「キアランさんたち皆さんは、ご無事とのことです!」


 息せき切って扉を開ける、たくましい体躯で彫りの深い顔立ちの青年――、テオドルが皆に朗報を告げる。


「本当ですか、テオドル……!」


「はい……! ユリアナ様!」


 皆、たちまち顔を輝かせ、手を取り合い喜び合った。


「先ほど、オリヴィア様より手紙が届いたとのことです。今日には入国できる見通しとのこと――」


「まあ……! 今日……!」


 ユリアナは、ルーイに優しい微笑みを投げかける。


「やったー! ほんとに、ほんとなんだーっ! もうすぐ、キアランたちに会えるんだーっ!」


 飛び上がらんばかりのルーイ。

 ステンドグラスから降り注ぐ日の光が、きらきらと皆を明るく包み込んでいた。

 

 


 ろうそくの光だけが部屋を照らす。

 革張りの分厚い本が整然と並ぶ、圧迫感のある本棚で囲まれた空間。

 重厚感のあるカーテンで、日差しや鳥の声、外界の刺激はゆるやかに遮られていた。

 ルーイたちのいるところと同じ塔の中とは思えない、異質な空気。その部屋だけ、時が止まっているようだった。

 部屋の奥には、男が座っていた。

 長いとび色の髪で、細く吊り上がった目をした、痩せた男だった。闇に紛れるような黒い衣装を身にまとっている。

 部屋の主であるその男は、うっかりすると存在に気付かないくらい部屋に溶け込んでいた。しかし、不思議なことに、矛盾しているが――、同時に強烈な存在感も放っていた。

 気付かなければ気付かない、しかしいったん気付いてしまうとその存在感に圧倒される――、まるで幽霊のような男だった。


「オリヴィアからのこの手紙――。なにか読み取れるか……?」


 中年くらいの僧衣の男が、部屋に入るなり男にそう質問した。

 男は椅子に座ったまま、僧衣の男から手渡された手紙を受け取る。


「……書かれた情報以上のものを、読めと……?」


 男は、笑みを浮かべた。笑み、といってもそれは顔半分下のみの変化、あくまで社交辞令に過ぎないといった感じで、鋭い目つきは僧衣の男を射抜くように見据えていた。

 

「……お前の読める範囲でいい」


「嫌な言いかたをするね?」


 ニヤリ、と笑い、男は足を組み、頬杖をつく。

 僧衣の男の頬が、ピクリと動く。


「ケネト様のご依頼だ。心してかかれ」


 僧衣の男は、淡々とした口調で命じた。言葉に自分の感情が入ってしまうことを、意識的に避けているようだった。

 

「頼んだぞ」


 僧衣の男は、手短に述べ儀礼的に頭を下げると、くるりと背を向けた。

 なるべく関わりたくない、僧衣の男の背中は雄弁に語っていた。僧衣の男は、そのまま足早に部屋を出る。


「やれやれ――。私をなんでも屋だと思っているな」


 ふう、とため息をつく。僧衣の男のあからさまな態度については、男にとってまったく取るに足らないことだった。

 机の上で手紙を広げた男の顔には、笑みが浮かんでいた。


「これはこれは。面白いものを、持ってきてくれるね?」


 オリヴィアの手紙。それは、必要最小限の情報のみが書かれていた。

 キアランとアマリアとライネと共に入国し、この塔へ本日帰還するということ。キアランとアマリアとライネに関しては、すでに公になっている情報――四聖(よんせい)を守護する者であるということと、キアランは四天王を父とするが、強力な戦力であり信頼のおける大切な仲間であるということ――が記されていた。

 男の細く長い指が、手紙の上を這う。

 男の目が、不気味な光を帯びる。


「見て、やるよ……」


 男の長い髪が、風をはらんだように逆立つ。

 するとたちまち、部屋に白い影が幻のように浮かび上がってきた。

 影は、ゆらめきながら形を成していく。

 白い影は、輪郭のみであったが、オリヴィアや白い虎のラジャ、キアランとアマリアとライネ、それから馬のフェリックスの形をしていた。

 そしてさらに――。白い影が増えていく。

 それらの影は、花紺青(はなこんじょう)(みどり)、蒼井の姿を形どる。

 男は、笑い声を立てた。


「魔の者、しかも従者じゃないか……!」


 男は、食い入るように手紙を見つめる。


「まだまだ、そこにいるね……?」


 男は、そう叫ぶと薄い唇を吊り上げ、指先に力を込めた。

 ろうそくの炎が、揺れる。


「強い、力だ。とても強い……」


 ため息まじりの声。男は、嬉しそうに身震いした。

 それから、男の細く吊り上がった目が、見開かれる。


「でも、私はその輪郭を見逃さない……!」


 ぼんやりとした三つの白い影が、現れた。

 それらは、揺れてとらえどころのない形をしていたが、わずかに、長身の男性二人と小さな女の子らしき形をしていた。


「男たちは、正反対の性質――」


 男は、手紙の上に指を押し付けながら、その身を激しくのけぞらせた。


「見てやる……! その正体を……!」


 本棚の本が、ガタガタと揺れ始めた。

 男の額から、一筋の汗が流れ落ちる。とび色の男の長い髪が、激しく乱れていた。

 長身の男の白い影の一つに、翼がつく。


「ひとつは、高次の存在、か――」


 もうひとつの長身の男の白い影の足元に、黒い影がつく。


「もうひとつは、魔の者――」


 何冊かの革張りの本が、音を立てて床に滑り落ちた。

 女の子の形をした白い影に、四つの翼がつく――。


「四天王か……!」


 男の顔いっぱいに、狂気じみた笑みが広がる。

 並んだ白い影たちを、男はじっくりと見回す。


「面白い……! こんな興味深い取り合わせがあるのか……!」


 部屋中に、男の高笑いが響いた。

 

「魔導師オリヴィア……! まったく、お前は面白い女だ……!」


 僧衣の男の言ったように、男の読み取る力には限界があった。

 オリヴィアと同行する者たちの情報を、男は読み取った。しかし、その関係性、経緯、手紙を書いているオリヴィアの心情までは読み取れなかった。

 男は、オリヴィアが、人間、人間と魔の者の間に生まれた息子、高次の存在、魔の者という多様な彼らを集め、そして率いているのだ、そう考えた。

 男は長く息を吐き出し、手紙から指を離す。すると、白い影たちはすべて消えた。

 先ほどまでの騒乱が嘘のように、部屋は静まり返る。

 

「さて。どうするか」


 男は思う。この面白い情報を、「ケネト様」に伝えるかどうか。


「ケネト様。どうでもいい男ではある」


 机の下で組んだ足を、組み替える。

 ふたたび手紙に目を落とす。オリヴィアの、丁寧な魔法文字。


「ふうむ」


 頬杖をつき、テーブルの上をリズミカルに指で叩く。

 国の上層部の人間たちの動きがどうなるか、それもなかなか興味深い、そう男は思う。


「このヴィーリヤミ、我が目で混沌のすべてを見てやろうぞ……!」


 男は、手紙を握りしめ椅子から立ち上がる。

 男の名は、ヴィーリヤミといった。


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