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天風の剣  作者: 吉岡果音
第七章 襲撃
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第86話 もう、自由なんだよ

「許せない……! こんな力の使いかた……!」


 体も魂も乗っ取られて走り続ける獣の群れを睨みつけ、花紺青(はなこんじょう)は声を震わせた。

 キアランと花紺青(はなこんじょう)は、花紺青(はなこんじょう)の操る板に乗り、上空から群れを眺め続けていた。

 赤目によって操られている獣たちは、もはや生きた野生動物ではなくなっているようだった。それは、赤目を保護する入れ物でしかなかった。

 キアランは、花紺青(はなこんじょう)の固く握りしめられた拳を見つめた。


 そうか。花紺青(はなこんじょう)は、物や生物、自分が動かす対象の記憶や意識を理解することができるんだった――。




「この板が安全に飛んでいるのは、僕の技術もあるけど、吊り橋自体の心もあるんだ」


 ライネたちと合流する前、花紺青(はなこんじょう)がキアランに打ち明けた。


「吊り橋に、心……?」


「うん! この板は、人を安全に乗せる、人の足元を守るって気持ちで誰かが作った。そういう思いはちゃんと板に刻まれてるし、板自体も長年その役割を引き受け続け、そういう心を持つようになってるんだ」


「そういうものなのか」


「だから僕は、ただ勝手に操ってるだけじゃないんだ。動かしたい物や生き物の心を大切にしながら動かしてるんだ」


 甲冑にも心があった。吊り橋も吊り橋としての心があるのだ、そうキアランは理解した。

 物にも心がある。ましてや、生き物ならば――。




 ドーン……! ドンッ……! ドンッ……!


 シトリン、シルガー、それから意識を取り戻した蒼井と(みどり)が、獣たちの群れに光線のようなエネルギーを放つ。

 攻撃を受けた獣たちが砕け散る。しかし、赤目の肉体が宿っているからか、胴体部分が激しく損傷しているもの、頭のないもの、燃え上がり、炎に包まれているもの、どう見ても走れる状態ではない獣たちも走り続けていた。


「こんなの……、許せない……! 似た能力を持つ者として……!」


 花紺青(はなこんじょう)は、肩を震わせていた。

 キアランが天風の剣を握りしめ叫ぶ。


「数は減ってきたが、このままではアマリアさんたちのところまで到達してしまう……!」


 群れの先頭は、アマリアやカナフたちのいる場所まで、目と鼻の先まで来ていた。


花紺青(はなこんじょう)! 群れの先頭の前で降ろしてくれ! アマリアさんたちの危険を、少しでも減らしたい!」


「待って! キアラン!」


 花紺青(はなこんじょう)のまだあどけなさの残る面差しが、猛り狂う鬼のような形相に変わっていた。


「僕に、少し時間を!」


 そう叫ぶと、花紺青(はなこんじょう)は空を飛ぶ板の上にあぐらをかくようにして座った。


 集中して、なにか術を使う気なんだ――。


 キアランは、シトリンたちの攻撃の爆音を耳にしつつ、花紺青(はなこんじょう)の様子を静かに見守った。

 ふと、魔の気配とは違うエネルギーを感じた。

 キアランが後ろを振り返ると、遠くの空に金の光が見えた。


 また、高次の存在が――。


 高次の存在たちが、異変を嗅ぎ付け飛んできたようだった。

 それは、三つの光に見えた。


 数としては、三人か……?


 この先には、カナフがいる。きっと、カナフがここにいることを知ったら、彼らもカナフを捕えようとするだろうと、キアランは思う。

 

 吉と出るか、凶と出るか――。


 高次の存在の登場が、魔の者の暴走を止める助けになるのか、それともカナフを連れ去る敵となるのか。現時点でキアランは、空を見つめ続けるしかなかった。


「おおおおおお!」


 花紺青(はなこんじょう)が、叫び声を上げた。花紺青の黒髪は逆立ち、ビリビリと空気が震える。


花紺青(はなこんじょう)……!」


 花紺青(はなこんじょう)の全身から光があふれ、その光は地上に降り注がれた。見る間に、光は大地を駆ける獣の群れへと広がっていく。

 シトリンたちの攻撃の光、花紺青(はなこんじょう)の光。群れは、様々な光に包まれる。


 いったい、なにが……!


 バシッ……!


 なにかがひび割れるような、大きな音がした。


 ギャンッ!


 赤目に乗っ取られたはずの獣たちが、叫び声を上げた。

 今まで一方向に流れていた群れの動きが乱れ、群れの中心部分の獣たちは弾かれたように飛ばされ、大きな円状の空間ができた。

 そして、すべての獣たちの体から、黒い糸のようなものが出てきた。


「なんだ……。あれは……!」


 その黒い糸状のものは、大きな虫のように蠢きながら、そのぽっかりと空いた空間に向け集まっていく――。

 黒い糸状のものが絡まり合い、一つの集合体ができた。それはひとつの形を形作っていく。

 それは――、犬の頭部と人のような体を持つ、赤目だった。

 赤目は血にまみれ、全身いたるところが穴の開いたように欠損していて、全身の大きさも一回り以上小さく見えた。


「魔の者の、本体……!」


 ウオオオオオ……!


 赤目が、地に響くような不気味な唸り声を上げた。

 それと同時に、赤目の体が地面に沈んでいく。

 光が走る。

 シトリンとシルガーが、赤目に向け光線を放っていた。

 煙。先ほどまで赤目がいた場所は、光線の衝撃で大きく穴が開いていた。

 まっくらな穴には、なにもない。


「逃げられたか……」


 シルガーが抑揚のない声で呟く。

 今まで漂っていた濃厚な魔の気配が、消えた。

 残された獣たちは、動きを止めていた。

 今まで生きているように動いていた首のない獣や炎に包まれた獣たちが、糸が切れたようにその場で倒れ、動かなくなった。

 生きているもの、怪我をしているものたちは、戸惑い、きょろきょろとあたりを眺め、怯えながら様子を伺っていた。


「みんな、もう自由なんだよ」


 花紺青(はなこんじょう)が、呟く。

 一瞬、獣たちが花紺青(はなこんじょう)のほうを見上げた。

 花紺青(はなこんじょう)は、微笑む。走り続け、くたびれ、傷だらけの獣たちに向かって。

 獣たちの顔から、険しさが消えていた。彼らは、ゆっくりと森のほうを向く。

 遠くを見つめる澄んだ瞳は、来た道を、自分たちの暮らしていた懐かしい森を映していた。

 もう一度、花紺青(はなこんじょう)を見上げる。それから獣たちは、森を目指し散り散りに駆けて行った。


花紺青(はなこんじょう)……。いったい、なにを……」


 キアランが尋ねる。

 花紺青(はなこんじょう)は、大きく息を吐き出した。かなり疲れた様子に見えた。


「……いつも動かすときのように、それぞれの意識に外側から干渉した。めちゃくちゃ数が多いし、魔の者のコントロール下だったから、かなり大変、ほんとにもう、大変だったけど……。でも、僕も頭にきてたから、余計力が出た」


「大丈夫か……?」


 キアランは心配になり、花紺青(はなこんじょう)の柔らかな頬に手を当てる。


「うん。なんとか……。えーと、それから、侵入者である魔の者を弾き出すよう、思いっきり力んでみた」


「お前が、魔の者を獣から追い出したのか……!」


「板を飛ばしつつの荒業、疲れたー」


 花紺青(はなこんじょう)は板の上でばったりと倒れた。狭い板の上だったので、キアランが慌てて落ちないように花紺青(はなこんじょう)を支えた。板自体も、よろよろと下降し始めた。


「そういえば、高次の存在は……!」


 高次の存在たちは、三手に別れ、それぞれ獣たちのほうへ飛んで行く。


「獣たちの治療にあたるようだな」


 キアランたちの傍に飛んできた、シルガーが答える。


「彼らは治療もできるのか……?」


 思わずキアランは顔を輝かせた。傷を負った獣たちが心配だった。


「人間と魔の者以外に対しての治療は行っているようだ。野生動物は自然の一部とみなし、修復の対象として積極的に治療と保護を行う。しかし、やつらは人間と魔の者に関しては、他族への過干渉にあたるとして手出ししないようだ」


「そうなのか」


「目の前で死にそうな人間を見殺しにしたやつらを、何度も見た。まあ、それは私も同じだが、な。他族へ手を差し伸べる変わった連中は、人間くらいだ」


 キアランと花紺青(はなこんじょう)を乗せた板はゆっくりと下降を続け、ついには地面に着陸していた。それに合わせるようにして、シルガーも大地に降り立つ。


「……そう言うがシルガー。お前はよく人間を助けてくれてるな」


 キアランは、シルガーに向かい、少しからかうように笑いかける。なんだかんだ言って、結局助けるじゃないか、そう指摘すれば、シルガーが動揺するのがわかっていた。

 案の定、シルガーはキアランが想像したような表情をしていた。心外、と思い困惑しているような、どことなく照れているような――。


「……なにごとも、例外はある。今ここにいる連中は皆、同じ類だな」


 シトリンと(みどり)、蒼井も大地に降り立つ。


「例外だらけだ」


 キアランは笑う。


「まあ、高次の存在にも例外はいるが、な」


 シルガーは肩をすくめ、カナフたちのいるほうを見やる。


「ほんとに、例外だらけだ」


 キアランはうなずく。けだるそうに横になったままの花紺青(はなこんじょう)の頭をそっと撫で、そして、笑う。


「同じ類って、なにがー?」


 シトリンが尋ねる。


「例外って、なんだ」


 (みどり)が尋ねる。


「例外だらけって、誰のことだ」


 蒼井が尋ねる。

 キアランは、きょとんとした顔つきのシトリンや(みどり)、蒼井を見回し、ただ笑顔になる。

 シルガーは、ため息をつく。大きなため息。それから、体裁をつくろうように腕を組み、なんとも複雑な表情をしていた。



 いつの間にか、雨が上がっていた。

 月が昇っていたが、高次の存在がこちらへ意識を向ける前に出発することにした。

 皆の向かう、エリアール国へ向け――。

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