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天風の剣  作者: 吉岡果音
第七章 襲撃
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第79話 甲冑の騎士

 天風の剣を構えた甲冑の騎士――。

 月の光を浴び、銀の光を放つその兜は、人を守る防具として作られたはずなのに、その中は暗い闇が広がるだけで、守るべきものもなにもないただの空洞だった。

 中身がなく動かないはずの甲冑が勝手に動き回っている、それは見た人に恐怖を呼び起こす不気味な構図であり、人を守るための道具が人を攻撃する脅威と変化してしまっている、皮肉な転換だった。

 

「アステール……!」


 奇妙な光景だった。鉄棒を握りしめながら、キアランはこの状況に対峙せざるを得なかった。自分が手にすべき天風の剣を、目の前の敵が手にして戦おうとしているとは――。


 アステールの心は今、完全に操られているのだろうか……?

 

 キアランは、甲冑の騎士を見据えつつ天風の剣に意識を向ける。

 しかし、キアランにはわからない。もどかしさを感じつつ、キアランは鉄棒を構え直した。

 甲冑の騎士が、素早く斬りかかってくる。キアランは半歩引いて身をかわしながら鉄棒を振るった。


 ガッ!

 

 振り下ろされた天風の剣を、鉄棒で受ける。

 鉄棒に伝わる、ずしんとくる重み。しかしそれは、跳ね返せないほどではなかった。


 スピードも力も、魔の者というより優れた人間の剣士並、といった感じか……?


 甲冑の騎士は無機質な姿そのままに、まるで精密な機械のように天風の剣を振り下ろす。キアランは鉄棒に力を込め、天風の剣を弾き返した。

 

 アステールを、取り戻す……!


 天風の剣と鉄棒が、火花を散らし続ける。

 激しい戦いではあった。普通の人間にとってはおそらく、それは激闘といえるものだっただろう。しかし、キアランの息が乱れることはなかった。

 

 なぜだ……?


 キアランの頭の中にある疑問が、剣を受け、剣をかわすごとに大きくなってくる。


 この感覚は――、殺意や敵意というよりまるで――。


 なにかを試しているようだ、キアランはそう感じていた。

 キアランは、試合というものをしたことがない。しかしこの甲冑の騎士との戦いは、試合、または手合わせ、そういった感じなのではないか、そのようにキアランは思い始めていた。


 アステールが、そうさせているのだろうか……? それとも、これは――。


 黒髪の少年の笑顔が浮かぶ。


 子どもの遊びなのか……?

 

 眼前に迫る甲冑の騎士の鋭い突き。キアランは、さっと身を引きそれをかわす。甲冑の騎士は、キアランに背を向け続けることなく振り返り、振り向きざまに、真一文字に剣を振るう。

 

 違う……! それだけじゃない……!


 無機質な中にも、思いがあるような気がした。同じ剣を使う者として、キアランにはそれが伝わってきた。


 甲冑の騎士、それ自体の体温もわずかながらだが感じる――。


 喜びが、感じられた。かすかな興奮が感じられた。まるで昔を懐かしむような。それは、甲冑という物体としては奇妙な話だったが。


 もしかして、この甲冑は、自分の主、自分をまとった主人の戦いを思い返し、懐かしんでいるのではないか――。


 キアランの心に、そんな憶測が生まれていた。

 そのとき不意に、キアランの頭の中に映像が流れ込んできた。

 馬に乗り勇敢に戦う一人の剣士の姿。舞台はきっと、古い時代。

 剣士は、敵陣に斬り込み、雄叫びを上げつつ前へと進み続ける。

 雨のような矢。馬が倒れる。しかし剣士は立ち上がり、走る。甲冑を身に着けた背に、腕に、矢を受けながら。剣士は、剣を振るい続け、前に進み続けていた。自分自身から流れ落ちた血だまりさえも踏み越えて――。

 夕暮れ。真っ赤な夕日。

 剣士は、ついに大地に伏す。 


『明日は、晴れるな』


 剣士は、そうぽつりと呟いた。戦場の混乱の中、剣士がまとっている甲冑だけが、その言葉を聞いていた。

 甲冑に、人の言葉の意味はわからない。ただの音の羅列。剣士本人にとっても、おそらく大して意味のない言葉。しかし、剣士の口からは、なぜかその場にそぐわない他愛もない言葉がこぼれていた。そして、口元にはかすかな笑みさえ浮かんでいた。

 甲冑が人なら、どうしてそんなことを言うんだ、と思うところだろう。最後の瞬間なら、もっとそれらしい大事なことを言えばいいのに、と。

 しかし、甲冑は人ではなかった。甲冑は、ただ静かに主の発する言葉を記憶した。

 夕日を仰ぎ見る。共に。それが、主との最後の思い出――。


 これは、きっと共に戦い、必死に主を守ろうとした、銀の甲冑の抱く古い記憶――。


 キアランも、静かにその思いを受け止めた。甲冑が、昔そうしたように。

 キアランは、力強く踏み込む。


 カシャーン……!


 キアランの鉄棒が、甲冑の騎士の喉元を深く突いていた。

 甲冑の騎士の動きが止まる。天風の剣は甲冑の騎士の手から、床へと滑り落ちた。それと同時に、魔法が解けたように兜や甲冑はバラバラと床に崩れ落ちた。


「アステール……!」


 キアランは、天風の剣を自分の手に取る。


「ごめん……」


 キアランは、天風の剣を抱きしめるようにし、鉄棒で打ち付け続けてしまったことを詫びつつ腰の鞘にしまった。

 キアランは、安堵のため息をつく。残りわずかなアステールとの時間を、これ以上無駄にしたくなかったのだ。

 冷たい廊下に散乱した甲冑からは、もう想いも、かすかな息吹きも感じられなかった。それは、ただの「物」に過ぎなかった。

 しかし、キアランは声をかけずにはいられなかった。


「あなたの主人は、素晴らしい剣士でした。そして、主人を愛し守り続けたあなた自身も、立派な甲冑の騎士です――!」


 キアランは甲冑に一礼し、元通りの姿になるよう丁重に並べ、その脇にそっと鉄棒を置いた。

 キアランの金の瞳は、廊下の向こうを睨みつける。


「天風の剣は返してもらった……! どういうことか、ちゃんと説明してもらおうか!」


 キアランは、叫びながら駆け出していた。

 



 バン!


 屋敷を探し回る必要はなかった。

 キアランの目の前で、勢いよく扉が開いたのだ。


 やつは、ここにいるということか――!


 なにか仕掛けがあるかもしれない、そう思いつつもキアランは躊躇することなく部屋の中へ飛び込む。


「む……!?」


 キアランは驚く。

 黒髪の少年は、確かにそこにいた。

 しかしそこには少年だけではなく、少女がいたのだ。部屋に置かれたベッドの中に、黒髪の少女が身を起こしていた。


「意外と早かったね。キアラン……?」


 少年が、笑う。

 少年の隣で、少女が、ぺこり、と頭を下げた。少女が頭を下げる様子に、キアランは面食らう。


 魔の気配は感じられないが、この少女も魔の者なのではないか……?


 キアランがそう感じたそのとき、黒髪の少女が声を発した。穏やかな、優しい声だった。


「初めまして。キアランさん。私は、常盤(ときわ)と申します」


 黒髪の少女は、常盤(ときわ)と名乗った。

 常盤(ときわ)が、はにかみながら笑う。

 それから常盤(ときわ)は、傍に立つ少年を軽く睨みつけ、少年の袖を掴んで引っ張った。

 常盤(ときわ)に促されるようにして、少年が口を開く。


「ああ。ごめん、ごめん。自己紹介がまだだったね。僕の名前は、花紺青(はなこんじょう)。よろしくね、キアラン!」


 黒髪の少年は、花紺青(はなこんじょう)という名前だった。花紺青(はなこんじょう)は、へへへっ、といたずらっぽく笑った。


「いったい、お前たちの目的は――」


 常盤(ときわ)が、ベッドから下りる。足がふらつくようで、急いで花紺青(はなこんじょう)常盤(ときわ)の体を支えた。

 花紺青(はなこんじょう)が口を開く。それは、キアランの問いに対する答えではなかった。


「僕たちは、きょうだいなんだ」


 きょう、だい……? やはり、この少女も魔の者か……。


 常盤(ときわ)が、こくん、とうなずく。キアランの目に常盤(ときわ)の顔色は、ひどく青白く見えた。


「ええ。同じ卵から生まれたんです」


「卵――!」


 常盤(ときわ)がうなずき、にっこりと微笑んだ。


「魔の者では珍しい、双子です」


 双子の、魔の者……!


 花紺青(はなこんじょう)は、じっとキアランの反応を見つめ、それからゆっくりと低い声で告げた。


「だから、僕たちはふたりとも従者なんだ」


 従者……!? 


 キアランは驚き、改めて花紺青(はなこんじょう)常盤(ときわ)の顔を眺める。


「従者ということは、四天王の――!」


「ええ。もちろん!」


 花紺青(はなこんじょう)常盤(ときわ)が、笑顔を見せる。

 敵意や殺意、闘気のようなものは微塵も感じられなかった。

 それどころか、その笑顔には、どこか――、寂しさや深い悲しみのようなものが漂っていた。

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