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天風の剣  作者: 吉岡果音
第七章 襲撃
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第78話 彫像たち

 門柱の上で天風の剣を高く掲げ、少年が笑う。月の光を浴びるその姿は、趣向の凝らされた門に新たな命を吹き込む美しい彫像のようでもあった。


「ふふ……! 僕を捕まえてごらん……!」


「待て……!」


 少年は楽しそうに笑ったあと、ひらりと身をひるがえしつつ門の向こう側へと飛び降り、屋敷へ向かって走り出した。


「くそ……!」


 ガシャン!


 キアランは鉄の門扉、格子状の部分を両手で掴む。よく見ると門は傾いているだけでなく、あちこち錆びついている。


 なんとか開けられないか――!


 力いっぱい引っ張ったり押したりしてみるが、門のかんぬきがしっかりとかかっており、ガシャガシャと音を響かせるのみで開きそうもない。


 この、鉄柵が外せれば――!


 キアランは、さらに力を込める。

 

 錆びてもろくなっているはずだ……! きっと、外せるはず……!

 

 キアランは、奥歯を食いしばり渾身の力を込めた。


「う……、うおおおお……!」


 キアランが獣のようなうなり声を上げ、鉄柵を左右に押し広げた次の瞬間――。

 大きな金属音と、手や腕に響くように伝わる確かな手応え。

 

 折れた……!


 鉄柵は折れ、キアランが通れるだけの空間ができた。さらにキアランは、右手に握った鉄柵の下の部分がもろくなっていることに注目し、右の鉄柵の下方を右足で蹴るようにしながらさらに力を込めて引っ張る。


 ガキン!


 音を立て、鉄柵が外れた。それは、ちょうど扱いやすい長さの鉄棒となった。


 これで、ちょっとした武器になるだろう!


 キアランは鉄棒を握りしめ、少年を追って屋敷へと駆け出した。

 冷たく吹き渡る風。手入れのされていない庭の、うっそうと茂った黒い木々が揺れる。キアランは屋敷までの石畳のアプローチを走るが、左右から伸び放題の雑草がキアランの手に当たる。

 屋敷の扉が開き、少年が入って行く姿が小さく見えた。


 草が、邪魔だな……!

 

 手に、足に、草が妙に絡みつく。


 草……?


 キアランは違和感に気付く。石畳のアプローチは、馬車でも通れるくらいの幅があった。いくら雑草が伸びているとはいえ、こうも手や足に絡みつくものか――。


 違う……! これは、魔の者か……!


 ザアッ……!


 キアランの視界いっぱいに、草が広がる。そして、キアラン目がけて襲いかかる。


 ちっ……!


 キアランは握りしめた鉄棒で、四方八方から迫る草をかたっぱしからなぎ払う。

 キアランの金の右目は、その襲ってくる草の本体を探る。


 おかしい……!


 草を力で振り払いながら、キアランは走る。金の右目は、まだその魔の者の姿すら捉えられない。


 急所どころか、その姿すら掴めないなんて――!


 そして、感覚的にもいつもと違うようだった。


 これは、いったい……?


 生き物と戦っている感じがしなかった。草だから、生き物には違いないのだろうけれど、なにか――、なにかが違う、そんな気がしていた。


 魔の者のエネルギーは感じる。しかし、どこか、遠いような――。


 キアランは、ハッとした。


 あの獣の群れ――! あれを感じたときの感覚と似ている――!


 大きな魔の力を持つ魔の者と、それを囲むようにして走る獣の群れ。獣たちは、魔のエネルギーに色濃く包まれていた。あの獣たちは、魔の者の力によって支配されていたのだ。


 そうか……! 草が魔の者なんじゃない……! 草は、操られているだけなんだ……!


 あの少年、あれが草を操る魔の者か、そうキアランは思った。

 もう少しで、屋敷の玄関だった。邪魔をする草をかわしつつ、玄関への階段を上ろうとしたとき――。

 キアランは気配を感じ、振り返る。


 これは……!


 キアランは一瞬自分の目を疑う。

 目の前に、女性がいた。月の光の中に、美しく、白く輝く肌の女性。いや、白い肌なのではない。肌どころか、髪も服も目も、すべてが純白なのである。

 その美しい女性は――、どう見ても彫像だった。白い石から作られた女性の像。右手で水瓶を掲げ持ち、濡れた体で永遠の微笑みを浮かべている。濡れているのは、おそらく彼女は、この邸宅の庭にある池のほとりに設置されていたのだろう。設置場所から玄関までは、池を歩いて渡るのが最短で、それで全身が濡れているのだろう、そう推測できた。


 これも、操られているのか……! やつは、生き物だけでなく、物体も離れたところから自由に動かすことができるのか……!


 水瓶を掲げ、キアランのほうへ向かってくる彫像。


 ガンッ! ガンッ! ガンッ!


 キアランは彫像目がけ鉄棒を振るう。彫像は、打撃を受け砕けながらも、なおもキアランを襲おうと向かってくる。

 白い微笑みをたたえた彫像。頭の一部が欠け、顔の半分ほどが吹き飛んでも、その微笑みは変わることなく――。


 なんなんだ、これは……! まるで――。


 魔の者の攻撃というより、まるで子どもの遊びのようじゃないか、とキアランは思う。

 ようやく彫像の動きが止まる。全身が粉々に粉砕されるまで、彫像は攻撃を試みていた。


 バンッ!


 勢いよく屋敷の扉が開く。それは、キアランが開けたのではなかった。キアランが扉の前に立つ前に、扉が勝手に開いたのだ。


 もしかして、この屋敷全体も操ることができるというのか……?


 不気味な暗がりが手招きしているようだった。

 キアランは、ふう、と深呼吸をして息を整える。そして、キアランは鉄棒を握りしめ、屋敷の中へと足を踏み出した。

 音を立て、後ろで扉が閉まる。それは、外界から断絶されたという証を表す音のようだった。

 キアランは、駆け出しながら声を張り上げる。

 

「子どものお遊びはもうたくさんだ! いい加減、姿を現したらどうだ……!」 


 ガシャ、ガシャ、ガシャ……。


 長い廊下の向こうから、足音が聞こえる。


 これは……?


 やはり、魔の者ではなかった。そして、人でもなかった。窓から差し込む月光が、その姿を照らす。


 銀色の、輝き……?


 キアランの目の前に現れたのは、甲冑の騎士だった。甲冑だけが、歩いていた。そして、甲冑の騎士が手にしているのは――。


 天風の剣……!


 甲冑の騎士は、キアランの前で足を止める。そして、天風の剣を掲げ、身構える。


 ふざけた真似を……!


 キアランは、甲冑の騎士に向かい鉄棒を構える。

 次の瞬間、火花が散る。


 ちっ……!


 キアランは舌打ちする。甲冑の胸の中央辺りを鉄棒で突こうと素早く踏み込んだのだが、天風の剣に阻まれていた。

 甲冑の騎士は、天風の剣でキアランの持つ鉄棒を大きく振り払うようにした。キアランはその勢いに少し体勢を崩したが、急いで飛び下がり間合いを取り、重心を落として改めて鉄棒を構え直す。


 こいつ……! さっきの彫像とは違う……! 力も動きも相当なものだ……!


 闇に光る天風の剣。


 アステール……!


 甲冑の騎士と対峙し、キアランの剣士としての血が密かにたぎっていた。




「どうかな……?」


 ベッドに向かって、語りかける。


「うん……。だいぶ、見えてきた」


 ベッドから、返事がした。その声は弱弱しく、苦しそうなため息がまじっている。


「……本当に、いいのかい……?」


「ええ。私たちは、ずっと、そのつもりだったじゃない」


「うん……」


「そんな顔、しないで」


「……うん」


「私たちは、ずっと、このときを待っていたのだから――」


 闇の中、黒髪の少年と黒髪の少女が、手を取り合い、小さくうなずき合っていた。

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