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天風の剣  作者: 吉岡果音
第七章 襲撃
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第75話 白の空間

 白い空間を走る。ここは、魔の者シルガーの作った空間である。

 キアランの愛馬、フェリックスは、アマリアとキアランを乗せ、その特殊な純白の空間を走り続けた。

 

「アマリアッ!」


 急に、前を行くシルガーが叫んだ。


「は、はいっ!」


 突然シルガーに大声で名前を叫ばれたアマリアは、びくっと細い肩を震わせ、そしてすぐさま背筋を伸ばした。


「お前、落下に対応できるかっ?」


 アマリアの上ずった声を気にも留めず、シルガーは早口でまくし立てた。


「え!?」


「もし突然地上に落ちることになっても、対応できるか!?」


「あ、は、はいっ」


 突然地上に落ちる、ただならぬ言葉にキアラン同様アマリアも驚いたようだったが、すぐに冷静さを取り戻す。

 なにか大きな危険が迫っている、キアランは、そう理解した。


 ザワッ……!


 キアランの全身の血が、ざわめきだす。独特な感覚に、キアランは今なにが近付いているのか、はっきりとわかった。


 これは……! 四天王……!


 それは、強い敵意をあらわにした、四天王の気配だった。


「シルガー! もしかして、この気配は……!」


 キアランがそう叫んだときだった。


 グッ……!


 なにかを突き破るような、奇妙な音がした。


「なっ……!」


 キアランは、絶句した。自分たちの右側に、小さな突起物のようなものが現れたのだ。

 それは、両手の「指」だった。

 先ほど空に突然「手」が現れたように、今度は「指」が出てきたのだ。両手の、親指以外の指が突き刺すように飛び出ていた。


「ああ。またあいつとのご対面だ――」


 キアランの問いにシルガーが答えた。


 バリバリバリ……!


「指」はみるみる白い空間を引き裂き、そこから頭らしきものが見えてきた――。

 衝撃音が響き渡る。

 シルガーが腕を上げ、光線のようなエネルギー攻撃を放っていた。光線は「頭」に見事命中していた。


「キアラン! お前たちは、私の空間が続く限り、そのまままっすぐ進め!」


 シルガーは飛ぶのをやめ、フェリックスがシルガーを追い抜く形となる。フェリックスは、その際、ついスピードを緩めていた。


「フェリックス! 私の動きには構わず、主の指示通り、そのまま進め!」


 フェリックスは足を止めそうになっていたが、シルガーは進み続けることを命じた。

 空間の裂け目が広がり続ける。

 シルガーの攻撃が直撃したにも関わらず、しだいに頭、体、足、そして、漆黒の四枚の翼が見えてきた。

 キアランの金の瞳はとらえた。忘れもしない、その長い黒髪を、光る金の両目を――。


「オニキス――!」


 キアランは、天風の剣を握りしめた。父と母の仇、キアランはフェリックスの手綱を引き、オニキスのほうへ駆け戻ろうとした。


「キアラン! 戻らずそのまま行けっ!」


「シルガー! 私は――」


「今はそのときではない! アマリアのことも考えろ!」


 キアランは、ハッとした。頭に血が昇って、アマリアが前に乗っているということを失念していた。


「キアランさん! 私も戦えます! だから、私のことは大丈夫です!」


 アマリアの言葉を、打ち消すようにシルガーが叫ぶ。


「人間であるお前らは、心身共にまだ戦える状態ではないはずだ!」


「でも、シルガーさ……」


「アマリアッ! お前は、落下のときのことに対してのみ集中せよ!」


 シルガーが一喝した。キアランは、フェリックスの手綱をふたたび引き、進行方向を向かせた。


「! キアランさん」


「シルガーの言う通りだ……! 今、やつに戦いを挑むのは無謀だ……!」


 パールとの戦いの疲れが色濃く残っているのは確かだった。しかし、それよりもなによりもキアランは、アマリアを前に乗せた状態で四天王相手に剣を振るう、そんな危険な行動をしたくなかったのだ。

 ゆっくりとした低い声が、走り続けるキアランたちの耳にも届く。


「シルガー……。待たせてしまったかな……?」


「ああ。案外、遅かったんじゃないか? 四天王オニキス……!」


 シルガーは笑っているようだった。


「お前の空間に私が侵入できた、それはつまり、お前より私のほうが、力が上、そういうことなのだが……?」


「……侵入した虫は、叩き潰せばいい」

 

 一瞬の沈黙。そして、そのあと――。


 ドンッ……!


「うっ……!」


 衝撃音。そして激しい爆風。フェリックスごと飛ばされそうになる。

 閃光に、目がくらむ。シルガーとオニキス、どちらがどちらの攻撃で、どのように戦っているのか、キアランにはわからない。ただ、先ほどのオニキスの一言が、キアランの胸に鋭く深く、恐ろしい鉤爪のようにひっかかっていた。


 オニキスの言うように、シルガーの作った空間に侵入できたということは、力の差はやはり――。


 キアランは、フェリックスの手綱を握りながら、ぎゅっと目を閉じた。


 落ち着け……! 落ち着くんだ……! きっと、距離が離れつつあっても、姿をとらえなくても、感じ取った気配でできるはず……!


 どくん、どくん……。


 キアランは、自分の心音を感じた。


 やれるはずだ……!


 正確に、思った通りにできると、どうして信じられたかはわからない。でも、今までの戦い、経験の中から、きっとうまくやれる、そうキアランには思えたのだ。


 掴んだ……! きっと、やつに一撃を与えられるはず……!


 キアランは、体の中にしまっていた炎の剣を、勢いよく投げつけた。

 炎の剣は刃の形を取り、回転しながら空を切り裂いていく――。


 やったか……!?


 キアランが振り返ろうとしたときだった。


「風よ、我らを包み、舞い降りる羽のように大地へと導かんことを……!」


 アマリアの呪文が響き渡り、魔法の杖がまばゆい光を放つ。

 次の瞬間。


 あっ……!


 いきなり、白い景色が途絶えた。フェリックスは、アマリアとキアランを乗せたまま、大空を落下し始めた。




 森の中にいた。


 ブルルッ!


 フェリックスは、鼻を鳴らし、首を振った。少し首を傾げ、そして恐る恐るその場で足踏みする。

 フェリックスは、大地の感触を確かめているようだった。いつも通りの土の感触、自分の足が思い通り踏みしめることができている、そう確認すると、フェリックスは安心したようにもう一度、ブルルッ、と鼻を鳴らした。

 アマリアの魔法は、フェリックスごと地面に着地することに成功していた。


「アマリアさん……!」


 キアランが声をかける。アマリアは、ふう、とため息をついてからキアランのほうを振り返った。


「なんとか、無事着地できました」


 アマリアの透けるような肌は、より一層白く、少し遅れて微笑むその表情からも疲れが透けて見えた。


「大丈夫か……?」


「ええ――。正直、こんなことは初めてで、そんな魔法を作り出せるか不安でしたけど――。この魔法の杖のおかげで、なんとか――」


「シルガーは――」


 キアランは、空を見上げた。神経を研ぎ澄ませてみたが、シルガーの気配も、オニキスの気配も感じられなかった。 


 シルガーは、無事だろうか……?


 空に、答えを示すようなものはなにもなかった。


「……炎の剣を投げた。オニキスに向けて。たぶん、攻撃することができたと思うが――」


 確認はできない。でも、研ぎ澄まされたキアランの感覚が、なにかしらの手ごたえを感じ取っていた。

 キアランは、空を見上げ続ける。

 空は青く、雲がところどころに浮かんでいる。

 フェリックスの尾は、虫を追い払っていた。少なくとも、この場所は安全なようだった。小鳥のさえずり、虫の声、カエルの鳴き声が聞こえる。あの魔の気配も、獣の気配もここからは遠いようだった。

 アマリアも、空を見つめていた。


「……戦いの気配が消えています」


「! やはり……! 私も、シルガーとオニキスの気配を感じられない……!」


 不思議なくらい、静かだった。

 キアランの手に、汗がにじむ。


 どくん。


 嫌な予感がする。キアランはそう思いつつ、思い切ってアマリアに尋ねた。


「アマリアさん……。私たちがあの空間から落ちた、ということは、どういうことなのだろう……」


 黒い影が横切る。ただ鳥が上空を飛んで行っただけなのだろうが、ほんの少し森の気温が下がったような気がした。


「……おそらく……。シルガーさんが術を維持できなくなったということかと……」


「術を維持……?」


 ぎゃあぎゃあ、静寂を切り裂くような声。鳥なのだろうか、猿の声なのだろうか。

 さっと、目の前が暗くなったような気がした。

 術を維持できない、それがなにを意味するのか、キアランの心は、理解すること、受け入れることを拒んだ。


 ま、さか……。


 アマリアの、次の言葉をキアランは待った。

 きっと大丈夫、アマリアの唇は優しく微笑むに違いない、そうキアランは信じた。

 アマリアは、キアランの期待する言葉を届けてくれるはず、キアランは待ち続ける。

 アマリアの瞳は、かすかに揺れ、そしていくら待っても、その美しい唇は沈黙を保ったまま――。


 シルガー……!


 冷たい風が吹き、緑の葉が揺れていた。

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